午後、散歩に出る。昨日の天気予報では春のような気候になるとのことだったので、それを鵜呑みにしてコートもマフラーもなしで外に出たが、確かに暖かくはあるものの、思ったほどではなく、マフラーはしてきた方がよかったかもしれないと思ったが、もう一度家の中に戻るのも億劫で、つまりはその程度には暖かな一日だった。
「テラス・ドルチェ」で昼食(炒飯、珈琲)をとりながら、本多好孝『チェーン・ポイズン』(講談社)を読む。昨日、東京都写真美術館に行く電車の中で読み始めた本である。「著者の最高傑作」と本の帯に印刷されている。近頃、こういう宣伝文句が多用(乱用?)されている気がする。私が最近読んだ小説についてだけみても、ジュンバ・ラヒリ『見知らぬ場所』、ポール・オースター『幻影の書』、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』、いずれも著者の「最高傑作」として宣伝されている。実際に読んだ感想は、ラヒリは確かにそうだなと思い、オースターについては『ムーン・パレス』を越えるものではないと思い、伊坂についてはこれまで短編しか読んだことがないので判断はつきかねる(大変面白くはあった)。つまり、「最高傑作」という宣伝文句は、誇大広告とはいえないが、かといって鵜呑みにもできないということだ。ただ、どこかの書評で「最高傑作」と書かれたことを帯で引用するのならまだしも、そういう外部の評価に基づかないで、最初から出版社が「最高傑作」として売り出すのは「最高傑作」の安売り、インフレであり、品のない感じがする。『チェーン・ポイズン』に関しては、本多好孝の「最高傑作」かどうかの判断は微妙だが、ミステリーとしての仕掛けの巧妙さは文句なしにすごい。私はまったく騙されてしまった。最後の最後まで著者の仕掛けた落とし穴にすっぽりとはまっていた(もちろんそのことに気づかずに)。よくもまあこんな仕掛けを考え付くものである。しかし、やはりそこにはちょっと無理があるような気がする。仕掛けそのものもそうだが、その仕掛けに新聞記者(小説の主人公)が気づくということにちょっと無理がある気がするのだ。なんで気づいてしまうのだと。ミステリーである以上、謎解きをする人物は必要なわけだが、それがシャーロック・ホームズとか名探偵コナンならまだしも、週刊誌の記者ですからね。気づかないだろう、ふつう。
散歩の足を池上まで延ばし、「あらい」で今年最初の贅沢あんみつを食べ、本門寺にお参りをした。ちなみに本門寺通り商店街は『ありふれた奇跡』のロケ地の1つとして使われている。
夜、見切ったはずの『ヴォイス』の2回目を観る。ゲストで鶴田真由が出ていたからである。こればかりはしかなたがない。
「テラス・ドルチェ」で昼食(炒飯、珈琲)をとりながら、本多好孝『チェーン・ポイズン』(講談社)を読む。昨日、東京都写真美術館に行く電車の中で読み始めた本である。「著者の最高傑作」と本の帯に印刷されている。近頃、こういう宣伝文句が多用(乱用?)されている気がする。私が最近読んだ小説についてだけみても、ジュンバ・ラヒリ『見知らぬ場所』、ポール・オースター『幻影の書』、伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』、いずれも著者の「最高傑作」として宣伝されている。実際に読んだ感想は、ラヒリは確かにそうだなと思い、オースターについては『ムーン・パレス』を越えるものではないと思い、伊坂についてはこれまで短編しか読んだことがないので判断はつきかねる(大変面白くはあった)。つまり、「最高傑作」という宣伝文句は、誇大広告とはいえないが、かといって鵜呑みにもできないということだ。ただ、どこかの書評で「最高傑作」と書かれたことを帯で引用するのならまだしも、そういう外部の評価に基づかないで、最初から出版社が「最高傑作」として売り出すのは「最高傑作」の安売り、インフレであり、品のない感じがする。『チェーン・ポイズン』に関しては、本多好孝の「最高傑作」かどうかの判断は微妙だが、ミステリーとしての仕掛けの巧妙さは文句なしにすごい。私はまったく騙されてしまった。最後の最後まで著者の仕掛けた落とし穴にすっぽりとはまっていた(もちろんそのことに気づかずに)。よくもまあこんな仕掛けを考え付くものである。しかし、やはりそこにはちょっと無理があるような気がする。仕掛けそのものもそうだが、その仕掛けに新聞記者(小説の主人公)が気づくということにちょっと無理がある気がするのだ。なんで気づいてしまうのだと。ミステリーである以上、謎解きをする人物は必要なわけだが、それがシャーロック・ホームズとか名探偵コナンならまだしも、週刊誌の記者ですからね。気づかないだろう、ふつう。
散歩の足を池上まで延ばし、「あらい」で今年最初の贅沢あんみつを食べ、本門寺にお参りをした。ちなみに本門寺通り商店街は『ありふれた奇跡』のロケ地の1つとして使われている。
夜、見切ったはずの『ヴォイス』の2回目を観る。ゲストで鶴田真由が出ていたからである。こればかりはしかなたがない。