フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月23日(金) 曇りのち晴れ

2009-01-24 01:31:02 | Weblog
  8時、起床。フィールドノートの更新をして、ハム&エッグ、トースト、紅茶の朝食。いよいよ「ライフストーリーの社会学」の答案の採点に着手する。文化構想学部の1・2年生、文学部の1・2年生、計378枚である。今日は両学部の2年生の答案(計80枚ほど)を採点した。所要時間は2時間半。3問の中から1問選択ですと何度も注意したのに2問答えている答案が1枚、選択した問題の記号を答案の余白に記しておくように注意したのに無記入の答案が1枚、選択した問題とは違う記号を記入した答案が1枚あった。いずれも入学試験であれば0点だが、もちろんそんな血も涙もないことはしない。多少のペナルティを与えた上で、採点の対象とする。1枚の答案に費やす時間は3分以内。3分を越えたらブザーが鳴るようにタイマーをセットして作業をしたが、ブザーが鳴ったのは数回しかない。裏面までびっしり書いてあっても3分あれば読める。ブザーが鳴るのは、分量が多いからではなく、書いてあることがすんなり頭に入ってこない(したがって評価に苦しむ)答案である。
  昼食に地鶏丼を食べてから、ひさしぶりにジムへ行く。授業が終了し、しばらく採点等のデスクワーク中心の生活になるので、こういうときこそ運動が必要である。人間ドックで指摘されたコレステロールの値も下げねばならない。ウォーキング&ランニングを50分。ジムを出て、「シャノアール」で読書。先日、東京都写真美術館へ行った際に、売店で購入した『WALK』57号、水戸芸術館ACM劇場が発行している雑誌(季刊)である。特集「物語の手触りーなぜ物語は求められるのか」に惹かれた購入したのだが、なかなか面白い雑誌だ。大学の同僚の藤井慎太郎先生が「現代フランス演劇の冒険」という連載を担当されている。雑誌の連載というのは一定の間隔で締め切りがやってくるからなかなか大変だが、長いものに取り組むにはそうした外的な強制力があった方がよい。加藤周一が『日本文学史序説』を書き上げることができたのも、『朝日ジャーナル』の連載というお膳立てがあったからだ。どこかの奇特な雑誌が「清水幾太郎と彼らの時代」の連載をやりましょうと言ってくれないかしら。そうしたら大学に特別研究期間を申請して(そろそろその権利が生じる時期だ)、1年間、授業はしないで、それだけに集中するのだけれど。でも、ゼミ(2年単位)があるからなぁ。ゼミ制度を導入したことで、文化構想学部の教員は特別研究期間を申請しにくくなった。
  有隣堂で、津村記久子『アレグリアとは仕事はできない』(筑摩書房)を購入。帯に「野間文芸新人賞受賞第一作」と書かれているが、それよりも、彼女はつい先日、「ポストスライムの舟」で第140回芥川賞を受賞した。いまもっとも注目される新人作家の一人だ。本書は明日の楽しみ。
  夜、今日が締め切りの来年度の大学院の担当科目(演習と特論)のシラバスをWeb入力。これで自分自身の講義要項関連は全部片付いた。でも、論系主任としては、シラバスを未入稿の非常勤講師の先生が何人かいらして、まだ安堵はできないのだ。論系の同僚の先生方にお願いして、未入稿の先生方に督促のメールや電話をしていただいているところだ。こういう仕事を主任が一人でやっていたら身が持たない。読み終わったばかりの本多孝好『チェーン・ポイズン』の中にこんな言葉が出てくる。主人公の週刊誌の記者の言葉だ。

  「面倒ごとは全部他人に押しつける。押しつけ切れなかった仕事を自分の仕事と呼ぶ。それがうちの編集部の基本方針だった。」(68頁)

  座右の銘にしたい言葉だ。