フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月26日(月) 晴れのち曇り

2009-01-27 10:31:54 | Weblog
  8時、起床。フィールドノートの更新をしてから、朝食(ハムとレタスとチーズとトースト、紅茶)。それから答案の採点。
  2時になったところで、ジムの支度をして外出。「テラス・ドルチェ」で昼食(スパゲッティ・アラビアータと珈琲)をとりながら浜矩子『グローバル恐慌』の続きを読む。「もう1月も終わりか。早いなぁ」という話し声が聞こえる。まったくである。切りのいいところまで読んで店を出る。ジムではウォーキング&ランニングを60分(7キロちょっと)。
  ジムの後は東口の「カフェ・ド・クリエ」で読書の続き。おなじ「カフェ・ド・クリエ」でも駅ビル内の「カフェ・ド・クリエ」とは<ゆずホット>の濃さが多少違う(駅ビルは薄味)。一杯分の原液の量が違うのではなかろうか。こちらの方が美味しい。『グローバル恐慌』の続きを読む。巻措くあたわずの面白さだ。切りのいいところまで読んでから、駅ビルのパン屋で食パンを買って帰る。
  夜、『グローバル恐慌』を読み終え、NHKスペシャル「日雇いに流れ込む人々」を観る。大都市で失業し、故郷に戻り、地方都市の派遣会社に登録する人々が急増しているという。鹿児島のある派遣会社を取材した興味深い番組だった。4月から日雇い派遣を禁止する法律が施行されるが、日雇いという最底辺の労働(雇用)形態自体がなくなるわけではなく(それは企業からも個人からも必要とされている)、危惧されるのは請負を偽装した実質的な日雇い派遣である。NHKスペシャルでは定点観測的に「金融危機」や「ワーキングプア」に焦点をあてた番組を放送しているが、学生たちはあまり観ていないようである。これは5年前、10年前の学生と違う近年の学生の傾向である。インターネットの普及がTV離れ、新聞離れを加速していることは理解できるが、それが社会的関心の希薄化を伴うものであるとしたら、不気味である。社会に対する個人の無関心は、個人に対する社会の無力ではないからである。
  「蒲田アカデミア」の世話人のNさんから、2月7日の講演会「スプリングスティーンのアメリカ オバマのアメリカ」(講師は音楽評論家の五十嵐正氏)の案内をいただいたので、載せておく。以前、社会学者の阿部真大氏の講演のときは教会が会場だったが、今度は蒲田駅近くのロック・バーが会場である。

1月25日(日) 晴れ

2009-01-26 10:35:05 | Weblog
  快晴の一日。午後、川端龍子記念館へ行く。一度行ってみたいと思っていたのだが、蒲田と大森の中間、中央4丁目という場所にあって、自宅から歩いていくには遠く、電車やバスを乗り継いでいくのは少々面倒で、なかなかその機会がなかったのだが、今日は穏やかな冬の青空の下を自転車を漕いで行く。だいたいの場所を頭に入れて、近くまでいったら、歩いている人に道を尋ねて、それほど苦労することなくたどり着いた。いまは大田区立になっているが、元々は日本画家の川端龍子が自宅の前の土地に自費で建てた個人美術館で、大変に立派な建物なのに驚いた。入館料は200円。たまたま今日は月に一度のギャラリートーク(ボランティアの学芸員による展示作品の解説)のある日で、けっこう人が入っていた。天井の高い、ゆったりした空間に17作品、その多くは並みの美術館なら展示するのが困難な大作である。筆遣いは男性的というか、動的というか、いわゆる日本画の繊細巧緻なイメージとは大きくかけ離れている。画壇の本流とは距離をおいた在野の巨匠という感じである。ガラスケースの中に高等小学校の授業中に描いたスケッチ(正月の獅子舞などの伝統芸能を描いたもの)が展示されていたが、とても12、3歳の少年の描いたものとは思えなかった。もしこんな少年を授業中に発見したら教師はびっくり仰天して言葉を失うだろう。栴檀は双葉より芳しとはまさにこのことだと思った。同じガラスケースの中には、『少女の友』という雑誌の挿絵画家をしていた若い頃の作品も展示してあって、それは竹久夢路や中原淳一が描いたものだといわれれば信じてしまいそうな優しいタッチの作品で、これを描いた画家と川端龍子が同一人物だとは誰も思わないであろう。生活のために描いた絵なのか、それとも彼の中にはこうした少女的なもの(への憧憬)が潜在しているのか、俄かには判断がつきかねる。学芸員の人に案内されて隣接する自宅とアトリエも見物する。777坪の大きな敷地だ(記念館の方は650坪)。外光をたっぷり取り込めるように設計されたアトリエには魅了された。ついいましがた観た大作たちが製作された現場として相応しいものだと思った。

         
             龍をデザインした敷石(龍子自身がデザインした)

         
                    自宅玄関前の梅の古木

         
                         蝋梅

         
                         母屋

         
                        アトリエ

  川端龍子記念館をあとにして、起伏のある道を自転車を押しながら池上に出て、駅前の浅野屋で葛餅を食べて帰ったきた。
  夕食は妻と息子と三人で「鈴文」に出かけた。近所の薬局の女主人も息子さん(私の中学の2年先輩)と一緒に来ていた。帰宅してから、店のカウンターの下の棚にマフラーを忘れてきたことに気づき、取りに戻る。そのまま「シャノアール」で食後の珈琲を飲みながら、持参した浜矩子『グローバル恐慌』(岩波新書)を読む。「下手な小説よりずっと面白い」という言い方があるが、本書は「下手な小説」どころか「普通の小説」よりずっと面白い。

1月24日(土) 曇り

2009-01-25 11:21:32 | Weblog
  新年の墓参りをまだすませていなかったので、昼、母と鶯谷の菩提寺へ(現地で妹と合流)。住職の二人のお子さん(2歳と0歳)が出迎えてくれる。住職が子どもだった頃は、年に一度のお施餓鬼法要のとき以外は檀家の前に顔を出すことは許されなかったそうで、今昔の感がありますと住職のご母堂がおっしゃっていた。かつて子どもは街中にあふれていたが、いまでは稀少財だ。お墓という、基本的には陰気な場所が、そこに小さな子どもの笑顔があると(ときに叱られて泣き顔のときもあるが)、陰と陽が中和されて、生と死が和やかに交信する場所になる。
  駅の近くの蕎麦屋で昼食(味噌煮込みうどん)をとってから、母と妹は巣鴨のとげぬき地蔵へ、私は大学へ。2時から私の研究室で「社会学年誌」の編集委員会。50号の編集が大詰めに来ている。表紙や目次や奥付といった本体(論文)以外の部分の校正(再校)作業を行う。
  大学からの帰りに日本橋の高島屋へ寄る。腕時計の修理のためだ。25年使っている腕時計の金属のバンドのフックの部分が甘くなって、簡単に腕から外れてしまうようになった(そのため最近では懐中時計のようにポケットに入れている)。地元の時計屋で2回ほど修理してもらったが、不十分で、これは製造元に修理に出してバンド自体を交換してもらった方がいいのではとアドバイスされた。高島屋にクレドールの専門店が入っているというのでそこに持っていくことにしたのである。高島屋の地下(スイーツ・食品)にはときどき来るが、上の方の階にはめったに来ない。それもたいていは贈答品を購入するためで、自分のものを買うためではない。高島屋=高級店という固定観念があるのだ。エレベーターで6階に行く。どきどきしていた(倉本聰か)。バンドの交換の費用はどのくらいだろうか。普通のバンドならいいものでもせいぜい1万か2万である。しかし、地元の時計屋の主人がいうことには、私の時計の金属バンドは特殊な造りのもので、本体と一体化しており、しかも昔の製品であるから、製造元でもパーツは残っていないかもしれない、そうなると修理自体がオリジナルな加工を伴うものになるから、修理費用もずいぶんなものになるかもしれないと。それは暗に新しい時計を買った方が賢明であると言っているように思えた。しかし、この時計は婚約のときに妻が私にプレゼントしてくれたものである。そう簡単に買い換えるわけにはいかない。5万までなら交換に応じようと決めていた。「ウォッチ・サロン」という一画があって、そこには複数のブランドが出店していた。ロレックス、ピアジェ、ブンゲ、ピエール・クンツ、フランク・ミューラー・・・いよいよどきどきしてきた。クレドールのところへ行き、ポケットから時計を取り出し、女性の店員にかくかくしかじかであると説明する。店員は私の時計を受け取り、それを木製のトレーに載せて、修理コーナー(これは各店共通の部門)に運んでいった。私も彼女の後についてフロアーを歩いた。なんだかこれから皇帝に接見するみたいだ。修理コーナーにはスーツにネクタイのホテルの支配人みたいな男性がいて、女性店員から私の時計をうやうやしく受け取り、これから調整してみますので20分ほどお待ちいただけますかと言った。私は番号札を受け取りその場を離れた。6Fは紳士物のフロアーで、帽子の専門店があったので、のぞいてみると、頭の大きな(LLL)私にも合うサイズのものがあったので(これはめったにないことである)、1つ買い求めた。ダックスの製品で8千円ほどしたが、これが高いのか安いのかよくわからない。ただ、隣の店のカシミヤのコートの値段と比べたら(比べることがおかしいのだが)、めちゃくちゃ安い買い物に思えた。修理コーナーに戻るとすでに調整は終っていた。腕にはめるとカチッと心地よい音がした。うん、完璧だ。地元の時計屋で修理してもらってもこうはいかなかったんですと私が言うと、ホテルの支配人のような男性は、場末の時計屋とわれわれを比較されては心外ですというようなことはもちろん言わず、微笑を浮かべてうなづいた。そして代金を支払おうとする私に、ちょっとした調整だけですのでお代はけっこうですと言った。
  高島屋の向かいは丸善である。喉が渇いたので(ずっとどきどきしていたのだ)、3Fのカフェでオレンジフロートを飲んでから、岩波新書の新刊2冊を購入。

  吉見俊哉『ポスト戦後社会 シリーズ日本近現代史9』
  浜矩子『グローバル恐慌 金融暴走時代の果てに』

  丸善から東京駅まで歩く。買ったばかりの帽子を被ってみる。私が子どもの頃、大人の男たちはみんな帽子を被っていたような気がする。いまでは帽子を被った男は数十人に一人くらいの割合である。大人の男がだらしなく感じられるようになったのはいつ頃からだろうか。 

1月23日(金) 曇りのち晴れ

2009-01-24 01:31:02 | Weblog
  8時、起床。フィールドノートの更新をして、ハム&エッグ、トースト、紅茶の朝食。いよいよ「ライフストーリーの社会学」の答案の採点に着手する。文化構想学部の1・2年生、文学部の1・2年生、計378枚である。今日は両学部の2年生の答案(計80枚ほど)を採点した。所要時間は2時間半。3問の中から1問選択ですと何度も注意したのに2問答えている答案が1枚、選択した問題の記号を答案の余白に記しておくように注意したのに無記入の答案が1枚、選択した問題とは違う記号を記入した答案が1枚あった。いずれも入学試験であれば0点だが、もちろんそんな血も涙もないことはしない。多少のペナルティを与えた上で、採点の対象とする。1枚の答案に費やす時間は3分以内。3分を越えたらブザーが鳴るようにタイマーをセットして作業をしたが、ブザーが鳴ったのは数回しかない。裏面までびっしり書いてあっても3分あれば読める。ブザーが鳴るのは、分量が多いからではなく、書いてあることがすんなり頭に入ってこない(したがって評価に苦しむ)答案である。
  昼食に地鶏丼を食べてから、ひさしぶりにジムへ行く。授業が終了し、しばらく採点等のデスクワーク中心の生活になるので、こういうときこそ運動が必要である。人間ドックで指摘されたコレステロールの値も下げねばならない。ウォーキング&ランニングを50分。ジムを出て、「シャノアール」で読書。先日、東京都写真美術館へ行った際に、売店で購入した『WALK』57号、水戸芸術館ACM劇場が発行している雑誌(季刊)である。特集「物語の手触りーなぜ物語は求められるのか」に惹かれた購入したのだが、なかなか面白い雑誌だ。大学の同僚の藤井慎太郎先生が「現代フランス演劇の冒険」という連載を担当されている。雑誌の連載というのは一定の間隔で締め切りがやってくるからなかなか大変だが、長いものに取り組むにはそうした外的な強制力があった方がよい。加藤周一が『日本文学史序説』を書き上げることができたのも、『朝日ジャーナル』の連載というお膳立てがあったからだ。どこかの奇特な雑誌が「清水幾太郎と彼らの時代」の連載をやりましょうと言ってくれないかしら。そうしたら大学に特別研究期間を申請して(そろそろその権利が生じる時期だ)、1年間、授業はしないで、それだけに集中するのだけれど。でも、ゼミ(2年単位)があるからなぁ。ゼミ制度を導入したことで、文化構想学部の教員は特別研究期間を申請しにくくなった。
  有隣堂で、津村記久子『アレグリアとは仕事はできない』(筑摩書房)を購入。帯に「野間文芸新人賞受賞第一作」と書かれているが、それよりも、彼女はつい先日、「ポストスライムの舟」で第140回芥川賞を受賞した。いまもっとも注目される新人作家の一人だ。本書は明日の楽しみ。
  夜、今日が締め切りの来年度の大学院の担当科目(演習と特論)のシラバスをWeb入力。これで自分自身の講義要項関連は全部片付いた。でも、論系主任としては、シラバスを未入稿の非常勤講師の先生が何人かいらして、まだ安堵はできないのだ。論系の同僚の先生方にお願いして、未入稿の先生方に督促のメールや電話をしていただいているところだ。こういう仕事を主任が一人でやっていたら身が持たない。読み終わったばかりの本多孝好『チェーン・ポイズン』の中にこんな言葉が出てくる。主人公の週刊誌の記者の言葉だ。

  「面倒ごとは全部他人に押しつける。押しつけ切れなかった仕事を自分の仕事と呼ぶ。それがうちの編集部の基本方針だった。」(68頁)

  座右の銘にしたい言葉だ。

1月22日(木) 小雨

2009-01-23 10:06:16 | Weblog
  終日、傘を差すほどではない細かな雨が降っていた。
  7時、起床。あれこれのメールを書いてから、朝食(炒飯)。学生から頼まれている書類を書き、今日の大学院の演習の指定文献である与謝野晶子が『改造』創刊号(大正8年)に寄稿した「女子改造の基礎的考察」に目を通す。12時ちょっと前に自宅を出て、「ごんべえ」で昼食(忍者うどん)をとってから、3限の授業に臨む。いつもなら昼食は授業の後にとるのだが、今日は朝食が早かったので、空腹感があった。忍者うどんて何?という方のために解説をしておくと、揚げ玉、油揚げ、ゆで卵、蒲鉾、ほうれん草などがいろいろな具材が入っているうどんで、私の解釈だが、「きつね(油揚げ)とたぬき(揚げ玉)の化かし合い」という意味で「忍者」なのではないかと思う。
  授業の後、穴八幡神社に詣で、古い御札(一陽来復)を納める。こんな天気の日でも露店がいくつか開いていたが、どこも暇そうにしていた。
  池袋の「シネマロサ」でギレルモ・デル・トロ監督の『ヘルボーイ/ゴールデンアーミー』を観た。『ヘルボーイ』という「1」にあたる作品が2004年に上映されているのだが、私はそちらは観ていない(知らなかった)。原作は1994年のアメリカン・コミックで、魔界から人間界を破壊にやってくる魔物に立ち向かう正義の(?)魔物が主人公。こういう構図は日本のコミックではおなじみのもので、明らかに日本のコミックの影響が見て取れる(ヘルボーイの外見は角を切り取られた「赤鬼」で、ちょんまげを結っている)。そこにハリウッドお得意の特殊メイクやCG技術が加わって、完成度の高い映像作品になっている。大人も子供も楽しめる。「1」の方も観てみたいと思った。プログラムは購入しなかったが、代わりに(というわけではないが)、「池袋古書館」で『与謝野晶子評論集』(岩波文庫)を購入。

         

  品川駅のエキュートでダロワイヨのマカロンを買って帰る。前回は12個入りだったが、あっという間になくなってしまったので、今回は18個入りにした。大きさから考えると1個210円というのは高価なお菓子である。私は一度に一個だが、妻も娘も息子も一度に続けて2個食べる。「420円」と私はそれを見て思う。やはりあっという間になくなりそうだ。