最近大きな店の閉店が相次いでいるのですが、実際に
無くなるというので行ってみたという人も実に多いものの、
その前に前回行ったのはいつかというと記憶にないくらい
前というのが落ちとしてつくのです。
つまり閉店というのも致し方ないということですね。
愛されているとか、老舗なんてのはいつまでもそこにあると
思われているもので、みんながそう思っているからあえて
行かなくてもいつでも味わえるなんて志向が働きます。
しかし、すべてが万事そんな感じで済んでしまっているから
デフレ経済とか景気の落ち込みとか何かと問題になり、
地域の疲弊も目立つのです。
時にそういう消費者の目線のいかに頼りなく移り気で
当てにできないものもないのです。
珈琲屋の世界ではいくつかの不文律と伝説で彩られ固く
守られていることがあり、おいそれと改革して自分の
珈琲の魅力で新たな地平を開くと開業する人がつづいて
いるわけですが、私がいくら主張し内幕を明かしても一向に
消費者が気が付き賢くなることはないように感じます。
一番よくあるのが、農園直取引だという豆屋です。
そこの農園に行ってきたらとてもいい環境で豆に惚れ、直に
取引しているというストーリーとその行動力に惚れ特別なものを
飲んでいるという気分にさせるというビジネスモデルですが、
なんでこんなくだらない仕組みをうのみにするのでしょうか。
実際にその農場に行ったらうまいのかなんてのはまったく
別の次元の話なのに、産地に近いとなぜか安心感があり、
うまい豆を優先的に手に入れていると思っている人の多いこと。
広い地球上でたった一軒に絞った理由の愚かさやそうする
メリットの無さはちょっと考えればわかりますよね。
大手流通網に乗らない貴重な有機栽培の豆を手に入れているなどと
いうこともまるで信用なりません。
そもそも大農園で飛行機で農薬撒きまくりの農園がすべてだと
思うことがいい珈琲豆がどういうところで取れているかという
基本的スペックを知ら無すぎです。
もともと高地でシェードツリーに覆われた農園環境では農薬はそんなに
必要としないのです。
人件費の安い産地ではそもそも手で摘み取りは常識ですし、自然に
乾燥するのも一番簡単でコストはかかりません。
気候的にできないところだけが水で果肉を洗い機械で乾燥に掛け
きれいに脱穀して送ってきます。
日本に住んでいると日本の宅急便のようなものがどこの国でもあり、
住所さえ知っていれば世界中に荷物が送れると思っている人も
多いのです。
マスコミの言うグローバル経済やボーダレスな世界が実現している
思っている人は国内でネット取引するのと同じように何でも世界から
パソコンで取引できると思っています。
まず相手の国のある商品がほしい場合、外貨を用意し、輸入保障を
得なくてはなりません。
農産物の場合検疫もあるでしょう。
年に数キロの取引しかない人が現地に飛んでそれを一人ですべて
やっているのでしょうか。
何かを海外のものを買った経験のある人なら容易に解ることです。
こんなことを書くとクレジットカードがあればもっと簡単だとか自分には
海外に多くの友達がいていろいろ送ってもらえるという話をする人もいます。
趣味の世界やお友達とのやり取りで済んでいるのならそれもいいでしょう。
しかし、これは国を超えたビジネスの世界であり、既存のビジネス
モデルやルールを破るのであればそれなりの反撃があるのです。
夢を語ったり、夢を見るのは勝手なのでそういう店が好きな人は
そういうところで直取引の豆を買えばいいと思います。
それが普通だというように直取引ですかとかどこで豆を買ってますかと
平気で聞く人の頭の悪さも実に辟易とさせるものがあります。
でも考えればわかることというのは実は多く、マスコミで言っている
こともよく考えればありえないことも実に常識化してしまっているかの
ように喧伝されています。
DNAにまつわる話も結構眉唾です。
サルと人間の違いはDNAで2%の違いといいます。
最近、犯人特定に指紋のようにDNAの型の特定が使われます。
近親者は方が似通っていますが、他人とは区別できるといいます。
ここで先のサルとの違いの2$が気になりませんか。
60億もの人が特定できる型がその2%の違いの中でさらに60億の
変化を見せているのでしょうか。
とにかく、一度は自分の頭で考えてみることを提案します。
無くなるというので行ってみたという人も実に多いものの、
その前に前回行ったのはいつかというと記憶にないくらい
前というのが落ちとしてつくのです。
つまり閉店というのも致し方ないということですね。
愛されているとか、老舗なんてのはいつまでもそこにあると
思われているもので、みんながそう思っているからあえて
行かなくてもいつでも味わえるなんて志向が働きます。
しかし、すべてが万事そんな感じで済んでしまっているから
デフレ経済とか景気の落ち込みとか何かと問題になり、
地域の疲弊も目立つのです。
時にそういう消費者の目線のいかに頼りなく移り気で
当てにできないものもないのです。
珈琲屋の世界ではいくつかの不文律と伝説で彩られ固く
守られていることがあり、おいそれと改革して自分の
珈琲の魅力で新たな地平を開くと開業する人がつづいて
いるわけですが、私がいくら主張し内幕を明かしても一向に
消費者が気が付き賢くなることはないように感じます。
一番よくあるのが、農園直取引だという豆屋です。
そこの農園に行ってきたらとてもいい環境で豆に惚れ、直に
取引しているというストーリーとその行動力に惚れ特別なものを
飲んでいるという気分にさせるというビジネスモデルですが、
なんでこんなくだらない仕組みをうのみにするのでしょうか。
実際にその農場に行ったらうまいのかなんてのはまったく
別の次元の話なのに、産地に近いとなぜか安心感があり、
うまい豆を優先的に手に入れていると思っている人の多いこと。
広い地球上でたった一軒に絞った理由の愚かさやそうする
メリットの無さはちょっと考えればわかりますよね。
大手流通網に乗らない貴重な有機栽培の豆を手に入れているなどと
いうこともまるで信用なりません。
そもそも大農園で飛行機で農薬撒きまくりの農園がすべてだと
思うことがいい珈琲豆がどういうところで取れているかという
基本的スペックを知ら無すぎです。
もともと高地でシェードツリーに覆われた農園環境では農薬はそんなに
必要としないのです。
人件費の安い産地ではそもそも手で摘み取りは常識ですし、自然に
乾燥するのも一番簡単でコストはかかりません。
気候的にできないところだけが水で果肉を洗い機械で乾燥に掛け
きれいに脱穀して送ってきます。
日本に住んでいると日本の宅急便のようなものがどこの国でもあり、
住所さえ知っていれば世界中に荷物が送れると思っている人も
多いのです。
マスコミの言うグローバル経済やボーダレスな世界が実現している
思っている人は国内でネット取引するのと同じように何でも世界から
パソコンで取引できると思っています。
まず相手の国のある商品がほしい場合、外貨を用意し、輸入保障を
得なくてはなりません。
農産物の場合検疫もあるでしょう。
年に数キロの取引しかない人が現地に飛んでそれを一人ですべて
やっているのでしょうか。
何かを海外のものを買った経験のある人なら容易に解ることです。
こんなことを書くとクレジットカードがあればもっと簡単だとか自分には
海外に多くの友達がいていろいろ送ってもらえるという話をする人もいます。
趣味の世界やお友達とのやり取りで済んでいるのならそれもいいでしょう。
しかし、これは国を超えたビジネスの世界であり、既存のビジネス
モデルやルールを破るのであればそれなりの反撃があるのです。
夢を語ったり、夢を見るのは勝手なのでそういう店が好きな人は
そういうところで直取引の豆を買えばいいと思います。
それが普通だというように直取引ですかとかどこで豆を買ってますかと
平気で聞く人の頭の悪さも実に辟易とさせるものがあります。
でも考えればわかることというのは実は多く、マスコミで言っている
こともよく考えればありえないことも実に常識化してしまっているかの
ように喧伝されています。
DNAにまつわる話も結構眉唾です。
サルと人間の違いはDNAで2%の違いといいます。
最近、犯人特定に指紋のようにDNAの型の特定が使われます。
近親者は方が似通っていますが、他人とは区別できるといいます。
ここで先のサルとの違いの2$が気になりませんか。
60億もの人が特定できる型がその2%の違いの中でさらに60億の
変化を見せているのでしょうか。
とにかく、一度は自分の頭で考えてみることを提案します。