King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

教科書を信じて

2013年08月25日 11時41分40秒 | 日々のこと
先日の高校野球については色々なドラマとともに
ルールとはということにも特別関心がいった大会でした。

高校生らしさからバントからカットしてファウルを繰り返し
選手に注意がされ結果準決勝で散るという事件もその
高校生らしさとか高校野球のルールとはということを
もう一度考えさせてくれました。

私はかねてから真夏の炎天下で根性とか特別な精神性
ばかりを説き、ひたすら連戦で酷使される投手の肩をいつも
心配していました。

プロ野球など中五日というローテーションを守り、先発中継ぎ
抑えという役割分担が守られているのに、高校野球はいまだ
エースで四番というのが主流です。

若くて未来のある少年期にあれだけ過酷に連続で投げさせて
いいものかといつも思っていました。

米国ならもっとシビアに投手の投球数は管理されるといいます。

日本人投手の寿命が短いのはやはり投球数が昔から多く、
投げさせられる伝統にしたがってやがて故障して手術して、
球威が無くなり、コントロールと変化球の多さがある選手はそれでも
しぶとく生き残れるが、元々直球勝負の選手ほど短命となる
傾向です。

今現役最高齢勝利の山本昌投手など端から低速で勝負する
タイプだから今があるという感じで、剛速球選手の花をとるか
勝ち星を稼ぐエースになるかというのは選択ができる物では
ないのです。

生き残るためにみがいた技術を高校生らしくないという報道を
するのはいかにも注目を集めましたが、短期集中の大会故に
あるルールとみれば、今回は正しい運用だったと思います。

それもルール上問題があるという注意を受けたものの、はっきり
ゲーム上でペナルティを課せられたわけでなくやんわりやめるように
言われたわけで、取るならとれとカットしてファウルをしてもよかった
のです。

さも悲劇のヒーローのように取り上げたり、高校生らしさなどと
いう求めてもないものを出して報道したマスコミの態度を改めて
あるさもしさを感じます。

取材対象がおさなく拙い受け答えをすればそれを見て求める答えを
リードする態度もよく見られます。

その幼いアスリートが解りませんという真の意味も知らないで、
メダルを目指すんでしょうなどと幼稚なことを言います。

そんなくだらないマスコミに安っぽい世論は作られていると
思うと民主主義という頼りないものをありがたがる意味も
見出せません。決してそれを否定するものではありませんが。
コメント
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