King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

山から音が降ってくる

2013年08月24日 10時52分42秒 | 日々のこと
朝起きると雨が降りだしそうな重い空が迫り、涼しいんだか暑いんだかわからない
むーっとした空気とそよと流れるゆるい風がもはや夏の勢いがあとわずかという
雰囲気を醸し出しています。

しかし、山から下りる空気の層にはやかましいセミと鳥の合奏の背景放射を含み
なんともいえない重苦しさを乗せています。

自然礼賛を盛んに言い、田舎暮らしをさも極上生活のように喧伝するマスコミを
真に受けて我が秩父にも若年リタイヤから熟年離婚やら夫婦で秩父移住やら
最近は多くなっているらしいです。

それにも増してお年寄りが亡くなり、若者は仕事を求めて秩父を脱出し、人口減は
はなはだしく進んでいます。

地方にロマンを感じる人や自然の豊かさを思う人もここのところの必ずどこかが
増水で浸水したり土砂崩れにあったりというニュース映像を見て何を思っている
でしょう。

人類のおごりが招いた公害であるとか自然の反乱だとかまだロマン的な意見を
吐く人がいますが、どう考えても答えのない東日本大震災を見てもまだ自然の
素晴らしさや万能性やら自然に暮らす意味やらをマスコミの刷り込みのごとく
言い散らす行動には理解できません。

自然などちっとも人間と関係なく神や大いなる意思などとも無縁に必然の結果として
ただのパラメーターの結果の積み重ねを出しているにすぎないのです。

そこに神を見たり、大いなる陰謀を唱える人もみんな神や陰謀の一味なので
徹底的に無視しましょう。

自然とは優しくて居心地が良くて気持ちがいいものなわけがありません。

大いなる意思とか遺伝子の進化の結果とかいうのなら、進化の頂点のはずの
人なんかさらにどう進化に進むのか自分の細胞の数より自分に寄生する細胞の
方が100倍も多いのにその遺伝子に思惑に勝てるはずがないのです。

それを知らずに自然を尊重し自然に沿って生きる素晴らしさなどを言い募り
文明機器の機能より里山と身近な人間関係に重きを置き生きる道を選んだ
自分をネットや自分の本など出して言いふらす人までいますが、絶妙だと
言われる環境も実はかなりの偏りがあるし、地球で見てもなぜ北半球だけに
文明社会が多くあり、人口も偏っているのかを見れば自然とは言え何とも
いびつな危ういものの上に立っていることを知ることになります。

日本の諸々のシステムに守られた中で健康で知的な生活を送りながら
文明論をくさすより、いっそもっと貧しい生活とは生きるとはという哲学的
思考が必要になる電気も水道もないが食料は安く暑くて着る物もいらない
熱帯で生活してみたらどうでしょう。

昨日ふと見た辺境で暮らす日本人のドキュメントを見ていたらそう思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする