King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

雨の中走りチューリングと遺伝子スイッチに

2019年05月15日 11時23分22秒 | 珈琲

昨日は一日雨がぽつぽつと降る日でした。夕方走り出すと

その降り方は段々強まり、雨を感じて走ることになりました。

これはこれでまた爽快な感じです。

 

今月の季節のブレンドは『颯々』です。

 

このさわやかな季節を堪能し、季節のブレンドで季節感を思いっきり感じて

いただきたいと今月からその実況に力を入れるとその時々の思いとブレンドの

持つ味わいをお伝えしています。

 

先日シャトレーゼでケーキを数種買い込み、その中でチーズケーキがある珈琲に

とても合うと感じました。商社のうりこみ文の中ではボディが足りないが砂糖を

入れない人にはちょうど良いというような文章があった豆です。

 

これはこの間中国と日本で漁船が海上保安庁の船に体当たりして問題になった時期

中国がレアアースの禁輸を決めた事件を思い起こさせます。さらにそれはオイルショックと

いう商店の棚からトイレットペーパーがなくなるという現象をどうしても思い起こさせるので

した。

 

日本は島国で資源に乏しく燃料も食料も輸入に頼っているという現実と一度紛争になると

あっという間にモノ不足になるという危機感を抱かせる現象でした。ただ、最近の認識と

してはそういった大衆を脅す手法は俄かに崩壊し、本当に恐怖すべきものは違うのではと

いう感じもします。石油が枯渇するという脅しは随分前からあるのですが、そもそも石油を

主燃料とするという政策転換は昭和の40年頃にされたことでそれまでは木材や石炭だった

わけです。石油の枯渇の前にガソリンエンジンの離脱を人々は考えだしていますし、先の

レアアースでさえ日本は他の手法を開発してその危機を回避しました。つまりはなくなったり

使えなくなったら今まで通り違うものにするか代替する方法があるのです。

 

しかし、人間は伝統とか古くから続くというものに弱く、なかなか習慣を変えられなかったり

前例踏襲から踏み出せなかったりするのです。

 

今回の譲位も戦後初の皇位継承という前例があるので前回の様に訴訟ラッシュになることも

なく、それに力を受けたのかやたらと儀式の内容が報道されその度、憲法に違反していない

とはいえ、そもそもその儀式について見直したり現世にふさわしくないとして取りやめても

それこそ憲法違反ではないし、むしろそうすべきなのではないかと思うことが多いのです。

天皇が政治発言をするのはいけませんが、天皇家の儀式とするのであればその内容とやり方は

伝統を踏まえつつ現代に即した内容でよいと思います。

 

儀式という事で今回は報道されていませんが、どこで採れたコメとかどこのだれが作った麻で

作られた服とかことごとく決められていて昔は何々衆とか作業する人足やらその素性から

決まりがあったのです。コメも御用田は各地にあり、前回は秋田と大分のコメということで

それは金で買って用意したとはしょりが用いられています。それなのに亀は甲羅で占うのは

外せなかったというのもやはりおかしいと感じてしまいます。

 

何らかの代替はなんにせよ可能なのです。

 

矢鱈と神格化したり権威を持たせようと利用されないようにしないといけないと感じるのでした。

 

さて、心地よさという事で今月のさわやかさと次々に咲く花々の香りと庭に訪れる鳥たちの

姿などそれに時には雨の中を走る心地よさなどこの季節ならではを感じそれをお伝えしていますが、

それらは皆簡単に皆さんも感じられることなのでぜひ実際に周りを見渡してあなたも実践して

見てください。

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施餓鬼と亀卜に

2019年05月14日 16時05分58秒 | 珈琲

今朝の珈琲の味も実に秀逸であり、朝にブラジルの一杯の至福は

当分続くものと思います。この至福の中に危うい色どりはないのかと

いえばどうしても先日の法事で聞いた住職の法話と先日行われた天皇による

亀卜という行事に同じような彩を見る思いがしました。

 

昨日のランニングではその前の日がミューズパークの二往復で、少し軽めにして

おこうかとかかしの先の信号まで行って帰ってくるだけというごく軽いものにしました。

秋葉神社の先のお菓子屋さんのハンカチの木はもう花はなく、その代わりに押堀橋の

アカシアは満開でそれは心地よい匂いを出していました。キヤノンのつつじは盛りを過ぎ

香りはやや控えめになっていてあの花園をかけ抜けるような心地よさとは違うものと

なっていました。これらがすべて朝の珈琲の至福につながっているのですが、反面それを

脅かすような事象も浮かびただ喜びことほぐとはいかないのが今朝の空模様と同じです。

 

簡単にその危うい感じを説明しておくと法事の時の話は次はお盆という行事があり、それは

何を表しているかという事から施餓鬼の話になり、釈迦の十大弟子のひとり目連が神通力により

亡き母が息災か見てみると餓鬼道で苦しんでいるのが見て取れ、釈迦に相談するとあらゆる人に

施しなるべく多くの人に食事を与えよという答えでそれを受け施すことで母を救うことができた

ということでこの施餓鬼というものができたという事でした。

 

さらに天皇は大嘗祭に使うコメをどの田んぼで採るかを決めるため亀卜という占いをして栃木と

京都が選ばれたという事でした。天皇が行事をするたび憲法違反という訴訟が起きされてきましたが、

判例として天皇は刑法も民事も訴訟主体とならないという事は確立しており、天皇が被告の訴状は

却下されます。政教分離となり祭祀は全て天皇家の行事として国家行事や祭祀とは違うとされていますが、

そもそも絶滅危惧種のアオウミガメの甲羅を使用して行う意義とかそれを許す法制上の意義とか色々な

矛盾に突き当たるのです。

 

同様に私たちも多くの宗教的行事や葬儀などの科学とは埒外の事に金と時間を費やしそれが科学的に

何ら意味をなさないことや宗教家の事を真に受けてもいないくせにその法話に耳を傾け、故人の安寧の

ために一緒の時間を過ごすのです。

 

法話に出てくるのは神通力とか餓鬼道に落ちた母という普通の人には見えないことであり、そのために

今でも毎年時期にはそれにそった行事をしてその意図を汲むようなことをするわけですが、そもそも

その弟子の話のどのあたりまで話そのままで受け取っているのかというのが今回実に気にかかったのです。

 

つまり、趣旨として欲望を批判されそれを捨てる修行として施餓鬼というもので表していると

意訳して理解しているのか、それとも神通力という存在まで仏教としては肯定していて高弟なり

ありがたいお坊さんになると今でもその存在は認められるのかとかそんな常人では見えないこと

で悩んでそれがお釈迦に相談という話でしたが、年代的にはすでに亡くなっている存在としての

宗教的存在への問いであり、生前呪を唱えよとか何々の教を上げよというはずはなく、いずれも

言い伝えであり,後日談に過ぎないのです。施餓鬼の話では目連の話の外、多門の餓鬼が現れて

三日後にお前は死んで餓鬼道に落ちるが免れたかったら自分や餓鬼やあらゆる困苦の衆上に施し

三宝に供養すれば寿命が延び免れるだろうといわれ釈迦に相談すると『加持飲食陀羅尼』を唱えれば

無量の食べ物になり餓鬼の空腹は満たされ、寿命を延ばすことができたというのもあります。

こういうものは後日仏陀の教えとは別に作り出された話であろうことは想像できます。ただし、

気になるのは今の仏教界でもそんな教は現存しており、それを唱えて加持すれば本当に無量の

食べ物になるのかとか現実性との整合がどこまであるのかという事です。今の人はまったくの

精神性からこの話を聞き、理解して今生の欲を戒めて施しを良しとして後は先祖供養の重要せいだけを

聞き入れているのか。この二面性を常に考えるのです。今でも別に信じてもないくせになにかと

寺やら神社やらに出向きパワースポットだからとありがたがったり、天皇の行事に何の実効性も

感じないけれど希少な生物の犠牲をともなってもそれを行う価値があるのかとか誰も問おうと

しませんが、実際いかばかりの意義が両者にあるでしょう。

 

ここで出てくるのが大人の判断という態度です。何も宗教や呪術的な効果はなくても先祖を供養し

亡き人の供養に寄り添う人の心に即するという考えです。気持ちを理解してお話や由来はそんな

こともあったんだねえ程度に聞いて置くという事です。ただ、天皇の場合亀の甲羅を今も使うというのは

科学的にも現代的にも整合性がないのでわざわざそんなことを復活させる意味は甚だ怪しいといわざるを

えません。もともと祭祀はその年や年代によりやったりやんなかったりというものであり、伊勢神宮の遷宮も

応仁の乱で途絶えて以来、時の権力織田信長が復活させたりとその時の権力の力の象徴で儀式を復活させてその

恩恵にあずかるという経緯を考えれば亀の甲羅に罅にどれだけの意味があるのかと思わずにいられません。

現代的統計で今年の産地を決めてよいはずです。秋篠宮殿下がこわしてしまうものに巨額の税金をかける

べきでないというお言葉にも真実がこもります。憲法に定められた国家行事なのだからという意見がありますが、

それならば嫡出子で男子の世襲という定めも幻の象徴となる可能性もあり、法の定めというのがたいした意味も

なさないことを今後知ることになるのではないでしょうか。

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ガンサバイバーのつぶやき

2019年05月13日 11時29分29秒 | 日々のこと

先日のテレビのドキュメンタリーで元アイドルの人がガンを公表したその後を

やっていました。

いまではガンは直ぐに死に至る病気とは言えない実態とそれにつれて感じること

が最近周りにあり考えることが続くのでした。そのアイドルの言ったことによると

若い女性が乳がんになるのは10人に1人の割合であり、仕事を続けて治療が可能な

病気であるという事でした。

 

一方樹木希林さんのように全身に転移して亡くなる方もいるわけで直ぐには死なない

けれど以前のように実験的最新治療を受けてもたいして余命が伸びるわけでもなく

苦しいだけという状況でもないようです。

 

そうなると何故とか理不尽とか、怒り、不安といった感情が渦巻くといった状況の中

何気ない会話が癒されるのだとか。

 

人生100年時代などといわれ高齢の人が増える中、昨年、今年と葬式に参加する日は増え

その人たちの年齢は皆80以上でした。

 

人間の寿命は最高で130歳という限度は変えられないそうです。

 

いずれはほとんどの人が130の寿命を全うし、その人格は電子保存されるような未来があるかも

知れません。

 

一方地球上で一番寿命の長い生き物として楠や銀杏などがあります。400年500年という寿命と

いわれていますが、現存する巨樹は2000年の物もあります。しかし、黙して何も語らない彼らに

その存在理由と現存を問うとなにやら生そのものの意義を考えざるを得ません。

 

そうなると人類の一員としての生とか、DNAを残す意義とか、ハイデガーの存在論などだしてきても

元々東洋の思想としては最初に無という観念があり、西洋の神やら創造主というそれこそ想像の物を持ち出して

応えてきた歴史からすれば、現実に2000年も生きている生命を前にすれば100年と2000年の差は歴然で

一言も発しないその存在の前に人間などは何を言っても無意味に思えてくるのでした。

 

確かに今までに人類が解き明かした科学的実績は自然の一端を明かし、その謎に光をさしはしたものの、

なぜ我々が生まれ何をなそうとしているのかという単純な事さえわかってはいないのです。それは2000年も

生き続けた巨樹とたいして差はないのではとどうしても思えてきます。

 

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満開のつつじの通りを

2019年05月13日 09時54分44秒 | 珈琲

今庭の杏の木には毎日様々な小鳥たちが訪れ目を楽しませて

くれます。とりわけコゲラのユーモラスなしぐさに癒され朝の

珈琲タイムは豊かなものになっています。

 

夜のランニングは6時頃出ると明るいうちに走ることになりまた違った

風景の中走り抜けることになります。

昨日はまたミューズパークで走りましたが、もうすでにねむの木の花が咲き

シャクナゲの花も咲いているようです。これはランニングコースにもあったのですが、

シャクナゲ園の様にまとめられて今はそちらに移植されてしまいました。

 

サイクリングコースにはつつじも植わっていますが、ここいらのつつじは低い植え垣で

走っていても別に影響はありません。この先気になるのはハクウンボクやアカシアなど

の高い木の花が楽しめることです。

 

走っているとそんな花が目に入るだけで応援されたように感じるのですが、さらに

花の群落はその香りの中を走ることになり、また特別な心地になります。

今だと、キヤノンの通りの生垣が丁度満開でこのツツジの香のシャワーを浴びて

走るという稀な体験ができます。

 

今後このような体験が可能なところとして、秩父駅から公園橋までの歩道に植えられた

アカシアがありますが、こちらはあまり匂い立つというほどの花が多くなく、気が付くの

が稀なくらいです。金仙寺原のアカシアは匂いが強く夜走っていてもはっきりと甘い香りが

感じられます。さらに伝承館の歩道のジャスミンの香は格別です。これは癒されるなんて

もんじゃなく生き返った感じになるくらい香りによる効果があります。

 

そんな体験も暑い中ヘロヘロになりながら走り続けての感覚であり、花の香で癒されると

いっても一般の人にどれだけ理解されるかは不明です。しかし、これは珈琲を味わう上で

強い味方になっていることは間違いなく、味の表現にをするときにこの花々が咲き誇っている

中を走り抜ける経験がないとイメージの広がりも香りと味の共鳴も言葉を尽くしても感じて

戴けないことなのかもしれません。

 

これは簡単なことなのでどんなサプリや健康飲料などよりも効果的であるのでぜひ実践して

見ていただきたいと思います。今なら軽くキヤノンの前を一往復ジョギングするだけで今説明

したことがお解りいただけると思います。これは何も花が咲いているときだけではありません。

雨上がりの森の中とか日が落ちた田んぼの脇とかホタルが乱舞する水辺とかいくらでもあるのが

秩父なのです。

 

何も人工的なものを作って人を呼ぼうとあれこれするよりももっと何かを見落としている

そんな感じの方が強くします。

 

例えばミューズパークに新アトラクションでフリーフォールというアトラクションが

あるらしいのですが、それがどんなものかどこでどうやれば体験できるのかというのは

ミューズパークのホームページを検索しても良く解らないのです。さらに、今どんな花が咲いて

どんな感じなのかさえわかりません。同じように新アトラクションを作った草津の場合など

SNSで盛んに広報していてあの天狗の壁の所からリフト乗り場まで降りるんだとすぐわかります。

今ミューズパークのそれと似たアトラクションでさらに今は開設記念で安く利用させているという

アピールもネット上からは解りません。

 

雲海などもアピールされていますが、それはほんの一部分なのだという意識がないとただのインスタ映え

で終わってしまわないでしょうか。

 

同様におざなりな空き家対策などもそうでもともと不動産に対する認識の甘さが日本にはあり、他の先進国と

資産の価値が土地に偏るという誤った利用と法体系により空き家が増えて過疎化もそれによりすすんでいると

いう側面があり、行政がそれに少しでも対策できることが可能なのに下手な起業や観光資源の開発など

行政主体で行う事でないことばかりが行われています。

 

これもツツジの咲き誇る中を走るとどんな気持ちになれるのかそれを知る人を増やしていくと変われる

のではと思います。

 

 

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あきらめのタイヤ交換

2019年05月10日 13時22分32秒 | 珈琲

昨日はお昼休みにタイヤ交換をしました。

暑くて汗が滝のように流れる中、休み時間中にこなしてしまわなければと

頑張りどうにか次の試飲タイムに間に合いました。

 

今年は異常事態で三月四月のスキーシーズンに一度も出かけていないという

例年にない状況で、そして雪が悪くてもズルズルと連休過ぎまで滑るのが

未練たらしくもあり、またコブを滑るという目標もこの時期ならではのもの

なのですが、あの視界もままならない吹雪の中新雪に戯れて、宿に帰れば暖かい

温泉が待っているという体験をしてしまうと三月は風と天気の良い日を見極めて

溜まった期末処理などの中を潜り抜け宿を予約するということになり、昨年から

冬は葬式が続くというのが新たに加わり、昨年は葬式とスキーと交互にこなして

いたのですが、今年はついに葬式と法事に明け暮れるだけとなりました。それに

バスケットの試合が加わり、後確定申告でもう手いっぱいで身動きできず、この

三月をスキーに行かないともう雪が緩んでくる中、さらに続けようという気も

起きなくなってくるというのを今年は経験しました。

 

それに昨年より宿が高くなっている印象や予約がとりづらくなっていることなど

も影響して益々手控えてしまったのです。実は4月になればもう各スキー場に

外国人の姿もなく、それでも滑れるスキー場も限られてくるので客足は平日でも

途切れることはなく人はいるものです。

 

昨年行った白馬や志賀は宿も安く、ゆったりと過ごせて温泉も良いので気に入っている

にもかかわらず、昨年行ったしという気も起きてしまうのでした。ならばかぐらに日帰りで

行こうとタイヤは交換せずに置いたのにはたまたいろいろな出費が重なるのがこの季節で

保険やら税金やらと金は出ていく一方で面倒なことも色々と起きるのでした。

 

そして、温暖化の影響で暑い日が続くともう行かないんだろうと周りからは言われ

そうだなあと段々意識も委縮してなんだか周りから免許を返納を勧められる老人の

気持ちが解るこの頃です。

 

ふと日本に大挙して押し寄せる外国人スキーヤーの様に雪のいい時だけでもいいのかも

と思ったりもします。

 

そして、もう一度行った温泉地や同じスキー場じゃなくいつか行こうとしたあの地へ

という思いを果たしていくというのでもいいのではと。

そんなさみしい考えをしている反面今年はカニ食い放題というのをやってないことに

気が付きこれだけはこれから暇を見つけてやって置きたいというささやかな野望も

出てくるのでした。

 

イベント用の豆を今日は焼き、今までより細かい要望に沿うよう私なりに工夫して

焙煎して焼き上がりにハンドピックして容量ギリギリの焙煎ながら以前より十分な

膨らみも香りの立ちも良いことに満足し名前だけの豆を仕入れるバカらしさをまた

改めて感じるのでした。

 

未だにハワイコナやブルーマウンテンはないのですかという電話もあり、今それらの

豆が200gいくらなのか知っているかということや下手をするとブラジルサントスNO2と

コロンビアSPの味の違いがあなたに解りますかと聞きたい気持ちをぐっと抑えそれらを

仕入れるバカらしさともっと安くてうまいと感じる豆がいつでも焼けているので試飲を

してみませんかと私もしゃあしゃあと言い出すこともないのでした。

 

最近は試飲したいとそれが目的で来る人もいますが、試飲を勧めると何か気の利いたことを

いわないといけないと尻込みをする人も多く、店内の入口から先に入らない人もいます。

 

私がスキー行を諦めたのと同様、何かを諦めたり断念しての行動でなければいいのですが。

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さわやかライブその2

2019年05月09日 11時45分37秒 | 珈琲

先ほどは試飲の方が来店され途中で失礼しました。

マイクロロッドのグアテマラオーロラ農園を試飲していただきました。

さて、昨日ネットで見たところ私が長年愛したラーメン屋さんが閉店して

いるのを知り、大変残念な思いをしました。

 

それはラーメン屋さんにはよくあることではやって行列していたにもかかわらず

いつの間にかなくなっているというのはどこの地域でも起きています。とりわけ

私が好むのはタンメンで野菜が大盛りになっているものです。大盛りのラーメンは

珍しいことでなく、山のような映像がネットでも次々に出てきます。

 

ただ、野菜の大盛りというのはなかなか最近なくて、ほとんどがもやしの大盛りです。

 

そんなのちっともうれしくもないもので、食べきれないなどと嬉しそうにみんな書き立てて

いますが、安いもやしにどれだけのうまみや恩恵があるのかと白けた思いに駆られます。

なぜそんな昔よく通った店などを検索したかといえば何かとラーメンマニアという人が

現れてどこどこのラーメンがうまいとか言い出したこととそんなのにつられて家族でも

行きたいという意見が現れたからです。

 

秩父でもランチによく使う店も最近はなく、土日に現れる行列などみるともはやもう

味で選ばれる店とか店側もはやりの物とか観光客の求めるものをメニュー化したりしていて

すっかり足が向かなくなっていました。それどころか観光地などでこれは絶対食べるべしと

されるものにも急速に興味がなくなってしまいました。それでも昔よく食べたあのタンメンは

もう一度食べたいなあという思いだけ残ってしまいました。

 

さて、季節のライブとしてここ数日見られる当店に飛来する野鳥に触れてみます。

ついこの間まではスズメとヒヨドリ、ハクセキレイとどこにでもいる鳥ばかりでしたが、

ここにきてメジロ、コゲラといった一目でわかる野鳥が現れるようになりました。

カビチョウなどもやってきますが、これは目の所の模様が独特で姿と鳴き声が一致すると

より印象的で忘れ難い存在です。ただ、最近の風潮で在来種とか外来種とか差別する人が

多く、野鳥でもそんな見方をする人が増えたように思います。

 

それが良いことかどうかというのも最近の移民を排斥する動きにもにて正しいことか

議論した方がよいのではと思います。特に最近テレビ番組の影響で違法に放流して

外来生物が増えて生態系を乱しているというものもそもそもは人間の経済的理由が

発端で野菜などはどんどんいろいろなものを育てているので下手な純血主義は意味が

ないのは明らかです。また環境問題として種の保存も大事なことであることも理解

しますが、人工的に種の構成に変化を加えていくことにどんな未来像と結末を予測して

のことなのか議論も必要であり、人の手により環境をどう変えていくか、核により

脅しあう世界とももっと科学的に人類の未来を世界的に考えないといけないのではと

常に思うのです。

 

そんなこともコゲラの姿に癒される気持ちと珈琲での会話と癒しにもカビチョウの

やかましい声にも全て通じているように思えることなのでした。

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さわやかですか

2019年05月09日 09時21分23秒 | 珈琲

季節の移り変わりとともに飲みたい珈琲があるということで

始めた季節のブレンドですが、今月は『颯々』です。

 

今までは今月のブレンドは何々と月初めに紹介して終わりでしたが、

それではそもそもの味を伝えるという事と今何を感じているかという

ライブ感とか皆さんと共有できていないのではないかとふと考えて

先月辺りには刻々とその時の気分の変化季節の変化を伝えそれにどう寄り添い

どう共有してどう癒されたかまでブログでフォローしていこうと考えました。

 

しかし、日々の忙しさやつい業務に追われてその思い付きを忘れて日々の事や

焙煎中に思ったことに流れてしまいました。

 

とりわけ先月は元号の変更に伴う万葉集事件がありそれを会う人ごとに話し、その

反応の薄さとあまり次に展開しない事態にじりじりとした感じにも陥り、後は

ゴールデンウィークの人が来ない時間帯に焙煎機と焙煎の事に集中していて

季節感と季節のブレンドのことは中継するまで行きませんでした。

 

その間伝えたかったこととは例えば、今日初めて今年初の燕を見かけたとか

どこどこの店のハンカチの木が今日咲いたとかそんなこととともに今はこんな

珈琲の味でこれが季節のブレンドです。という実況なのです。

 

昨年のゴールデンウィークというととにかく暑くてアイスコーヒーの注文が

入るというくらいでした。と言ってもアイスコーヒーは当店は通年それを飲む

人もいるのでとりわけ珍しいわけでもないのですが、それを受けて道の駅の

品ぞろえにもアイス用の豆を並べたのを覚えています。

 

今は夜のランニングもやっとハーフパンツで走ったり、半袖になったりして

いますが、なかなか冬のロングスパッツやタイツを脱ぐことが出来なくて

冬から脱出できない感じでした。

 

さすがに今月からは軽装になりつつありますが、この時期の楽しみにサツキや

つつじ、さらにはフジといった花々の香がしていることです。

 

さらに次にアカシアやジャスミンと続きます。

 

さてこの甘い花々の香に加え、目には青葉、そして風はその今芽生えたような

緑を含んでいてまさに薫風という感じなのです。

 

そう今月のブレンドはまさにその風を受けている様を表したくて颯々となって

いるわけです。

 

とりあえず今はここまで

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ゴールデンウィークはミューズパークでジョギング

2019年05月08日 13時26分08秒 | ジョギング

結構寒い日も多かった今年のゴールデンウィークは焙煎機のチューニングに

明け暮れる一方、その焙煎方法も苦心して味を極める時間もさることながら

精神や体力のためにいつもより長く走ることにしました。というわけでホームコースのミューズパーク

のサイクリングコースを走ることにしました。ここを二往復します。

取り分け春にこの道を走ることには意味があります。

春に桜の咲く前にこの公園にはヒュウガミズキなどの花が咲き始めてそれらが

実に良い香りがして走る気分を随分癒してくれるのです。

市内を走ると今ではいつでも排気ガスやどこかでごみを燃やすような臭いに包まれて

とても不快なことの方が多く、町の様子や季節の空気を感じるというよりは

臭いことの方が多いのです。

 

それでも毎日走りに出ることでその変化は確実に感じられるし、季節の移り変わりや

自然の変化も肌を通してこそ感じられるのです。これはただ散歩をするのだと

その自然の移り変わりや厳しさまでは感じられることもないのですが、夜走ると

時にはこのまま凍え死んでしまうのではないかという事まで時には考えるほど

冷え込みつらいこともあり、そういうものを肌でじかに感じてこそ季節も感じて

生きているという意識も湧いてくるものだと感じられ続けて走っているわけです。

 

それでも随分走る距離を最近はさぼり気味でそれにつれ走力も落ちてしまっている

感じを受けこのままではいけないという意識も湧いていました。

そんな事もあり、走ることに集中できるところでどれだけ走力の差があるかも見極めて

見たいとも思いました。

 

それでもミューズパークを走るのは気持ちのいいことで、ご褒美的な意味合いも強いのです。

まず、自宅近辺ではまだ聞けないガビチョウの鳴き声も久しぶりに聞いた感じでした。

この鳥の鳴き声はまるでずっと歌を歌う近所の元気なおばさんのようなしつこさとうるささ

がありますが、走る時には結構癒されます。

 

久しぶりに走ると靴のヘリやへたりまで感じられそれらが必要なほど走ることに集中でき

リズムやらフォームやらも気にして今まで作ってきたこととか培った走りとか改めて

チェック出来ました。

 

スピードに乗ってランペースで走る気持ち良さや忘れていたことも改めて味わい無心になることや

自分自身が乗り物になったように感じて体を道具のよう自転車に乗るようなつもりで走ることや

前考えていたことなどをしっかりと思い出されました。

 

唯一気がかりは駐車場が滑り台下の駐車場には止められず、先の芝生の所まで行かないと止められない

ことです。

ランナーは多く、すれ違う人はほとんどランナーでかつていたウォーキングの人は少なくなっていました。

観光客は多く、芝桜の無料駐車場になっていることからその連絡バスがひっきりなしに通りかなり稼働して

いることを知りました。今では温泉施設もあり、ここは走った後に使うこともでき便利で良い施設だと

おもいます。これからシャクナゲやねむの木、アジサイなどの花が次々に咲き、色々な鳥たちが歌い

そんな季節の花と鳥と新緑の香りと木陰の道を走るという良い環境なのです。

 

もっと色々と使いやすくこれからも良い変化を望みたいところです。

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妻籠目宿と山の中

2019年05月08日 12時01分52秒 | 日々のこと

夜中にドキュメンタリーで妻籠宿が世界遺産から除かれたというのを

やっていました。

 

今やこういう世界遺産は外国人旅行者であふれています。

 

平成の大合併で色々と不都合な事は起こっています。

 

この妻籠が岐阜になり世界遺産からも除外されたというのですが、現実問題として

ネットで検索する限りその弊害というか行政が変わったことによる差別化とか

中山道の宿場町から除外されたようには受け取れません。

 

未だに妻籠と馬籠と両方普通に皆訪れているようです。この合併による弊害を

取り上げている人もいません。

 

番組では観光予算が行政により違うので施設に差が現れているとか。

 

ドキュメンタリーが言うほどの弊害もないほど世間は今まで通り妻籠と馬籠を受け止めて

おり、今まで通り木曽路は全て山の中です。

 

秩父も同様山の中であり、過疎が問題になっています。

 

とかくテレビで流れるのは芝桜の映像や武甲山ですが、定期的に秩父に訪れている人は

そんなものを求めているのでしょうか。

 

そんな見えない需要を掘り起こして応えるのが今の情報化社会です。

 

秩父の家々には珍しい花や季節の花々が植えられていてそれらは私がランニングする時には

時には萎えそうになったり気分の乗らない日でもそんな花や木がそっと応援してくれるようです。

私と同じように秩父に走りに来ている人も最近は増えて旅ランナーにも出会います。

 

そんなランナーにお勧めなのは駅中の温泉もいいですが、市内のレトロな銭湯などは

おすすめです。

 

こういう今ある資源ややがてなくなるだろう消えゆくものに行政に何かやってもらう

という態度や期待する姿勢の前にそんな者たちやちょっと変えればもっと良くなるものを

考えたらどうでしょう。

 

我々は行政の枠やら線引きとは関係なく山の中に住んでいるという過疎とその将来に

不安を感じつつそれでもその楽しみの中にいることは間違いなく、それを楽しんでいます。

 

かつてあった国民宿舎や桜のぞんざいに切られた羊山など生かせるものはたくさんある

と思います。

 

こころを形にするとか気持ちを必然に変えていくとかやりようも最近は見えたりします。

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国民統合の象徴の違和感

2019年05月08日 09時33分59秒 | 珈琲

ゴールデンウィーク中はじっくりと焙煎に向き合い、焙煎機のチューニングに

専念して釜の清掃を徹底したり排気管の汚れを取り除いたりと隅々に調整を試みて

いました。

 

ほんの数ミクロンの煤のコーティングでも釜についていればそれは豆のフレーバーに

影響するばかりか温度変化にも影響します。こまめに念入りにそれらは徹底管理しないと

なりません。手を抜けば即座に味に現れるでしょう。少しでも温度変化や豆の膨らみ方、

さらには豆の表面に変化があれば釜の管理に手を下さねばなりません。

 

忙しく注文をこなしているときこそその罠は待ってくれなくてそこここに地雷として

潜んでいるのです。

 

そんな中ラジオのニュースで聞こえてきたのが即位後の天皇のお言葉です。

 

なぜ見世物の様にお出ましになりそれを見物の様に14万もの人が押し寄せるのか解りませんが、

ニュースで聞こえてきたお言葉は日本統合の象徴としての務めを果たしていくというものでした。

 

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 

これが憲法第一条であり、国民主権を謳ったものと言われます。

 

かつて自民党が示した憲法草案では

天皇は、日本国の元首であり
日本国及び日本国民統合の象徴であって、
その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

でした。

GHQにより、議会制民主主義が与えられ国民主権、基本的人権、法の下の平等など近代国家の枠組みを

からの復興をスタートしたわけですが、もともと議会制民主主義や立憲君主制は明治政府から日本は

世界の先進国に倣い整えていたのです。ただ違うのは市民が立ち上がり今までの政治中枢を打ち破り

自分たちで話し合い決めるというルール作りをしてきたという血による改革はなく、大国の覇権の中で

理想の平和主義から再軍備要求などさんざんもみくちゃにされてここまで来ているわけです。


そこに来て、日本の統合の象徴を聞くとあたかも自分が統治していくというような聞こえ方もして

人が象徴であるという特殊な表現は統治のためなのかとか、ただ象徴天皇という飾りというものに

格下げされた存在以上に統合とか統治というのは全体主義的なイメージを沸々と醸してくるのでした。


実は上皇になるという三年前の退位の話の時に、私は退位した天皇が憲法上何も定義のない立場から

公民権を行使して、一般国民として意志発言をSNSでしだすという小説を思い立ちました。


条文上無くても国民に属するか国民(人権享有主体性)に天皇が含まれるかについては学説上肯定派が

通説となっており、なおかつ刑事被告人や民事被告人にはならない存在とされ、その特殊性は判決により

補完され続けてきた存在です。


安倍首相が自衛隊の違憲問題に終止符を打つとして憲法改正を打ち出していますが、これなどは過去の

違憲判決を葬り、基地問題や条文にないが平和的生存権などの理念を確立してきた判例を抑え込み、

今後の基地問題や安保条約に反対する訴訟を封じ込めることになるでしょう。今まではナイキ訴訟の

様に違憲判決を書く勇気ある裁判官もいましたが、今の忖度政治では誰も判断前の門前払いばかりで

有事事態法や有事法制の違憲性など誰も憲法判断を避けています。

 

昨日のニュースでは天皇が執務中の映像が公開され象徴という存在も実際に仕事があるんだよという

機関的印象を強く求めての事なのではと思えてくる初映像なのでした。

 

しかし、その天皇制も嫡出子であり男子に限るという現行の制度ではその存続が危ぶまれ、憲法の

第一から八条まで使い最初に規定した天皇という存在を改めて考えさせられる統合の象徴という

自らの発言なのでした。

 

 

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『フォーリングウォーター』と『グッドドクター』

2019年05月07日 14時10分17秒 | 日々のこと

『フォーリングウォーター』は不思議なドラマで謎の団体から夢を同時に

みる実験に参加するのですが、その夢の中である少年を救うというミッションに

収束して現実界と夢の中と同時に謎を追っていくような夢を見るのが特技のような

不思議な感覚のドラマです。それに共感する部分と自身も連続物の夢をいくつか

持っていて何日か同じ夢を見ていたり、何かを訴えかけているようでいてまるで

意味がつながらなかったりと自身の想像なり空想なりが夢を動かしてしまったりと

意識と無意識が複雑に絡んでいるようなケースも感じられたりしました。

 

このドラマの主要な役としてタカという日本人風な人物で刑事のウィル・ユン・リーです。

彼はファイブオーでサンミン役というチンピラ以来何のドラマに出ても刑事の設定になっているようです。

『グッドドクター』にも途中から主要メンバーとなるのですが、これも警官から医師になったという

設定なのです。彼の出自では韓国系アメリカ人ということですが、日本人の血もながれているとかで

なんとなく親しみを感じるのはそのせいかという事と役名に日本人名の役が多いというのもあるかも

しれません。

 

実際に日本の俳優が海外のドラマに出るケースは非常に少なく、渡辺謙と真田広之ぐらいです。

マシ・オカとか米で活躍する日本人俳優も珍しいのです。反面中国や韓国のスターは多く、この差は

どうしてなのかと思わずにはいられません。

 

しかし、かつては日本のドラマが世界に輸出され一世を風靡したこともありましたが、最近のドラマの質と

いうのはやはり海外の物に比べ程度が低い感じです。

 

その原因の一つに予算の問題もあるでしょうし、原作の不作もあるでしょう。日本でドラマになるのは

原作が漫画の物が多く、重厚な内容の原作というと未だに松本清張や白い巨塔のリメイクという過去から

逃れられない感じがします。

 

そんなわけで日本のドラマは見ないのに、海外のドラマをつい見てしまうわけですが、最近はどんな話か

直ぐに忘れてしまい、どんな内容だったかは書いておかないとどんなことを思ったかも忘れてしまうので気に入ったものは

書こうと思います。今毎週のお楽しみはこの『グッドドクター』しかなく、これはクレジットから韓国のドラマを

リメイクしたと知りました。その後、日本でもリメイクされ、日本はスーツやグッドワイフといったドラマや

コールドケースまでリメイクしており独自性はどうしちゃったのかという状況です。

 

特におもしろいものは最近はどこぞの有料チャンネルに加入してないと見られないという状況は定着しており、

唯一無料のDlifeは貴重な存在でしょう。また、ハンニバルをBS12でやっているのも注目です。前トンネルは

途中からと今回も途中から気が付きましたが、良い作品をやるのですが普段見ないチャンネルだけに見逃しも

多いのです。ブロードチャーチなどもかろうじて見たという感じでした。

 

最近感じる売れる才能とは何かというのを考えさせられます。私の近しい俳優やらミュージシャンや歌手という

人達は自称歌手やCDデビューしたけれど全く無名とかいるわけで、それがどんな才能に裏打ちされどんな資格で

プロの芸術家と名乗るのかというのはまるで測るものもない世界で、才能何てどれだけのことをいっているのか

時に超絶技巧の演奏だったリ、歌唱力という力も果たしてどれだけの力があるのかなんて誰も確かな尺度は

ないのです。

 

それでもたいした才能も技能もなくテレビに出続ける芸能人は多く、見た目がいいわけでも面白ことが言えるわけでも

ないのに茶の間の人気者だったリ、何かのカリスマだったリという世の中何がよくて何がだめなのか良く解らないことも

あるのです。

 

歌の世界も誰々が歌う歌ということで歌唱力や歌のうまい素人の番組とかもありますが、いくらそんなのを集めても

のど自慢というNHKの番組が一時は頭打ちになったこともあるように、やはり演出なり世に送る才能がまた必要なのは

確かです。先日ドキュメンタリーである歌手の活動を一年追いかけるものがあり、いまだにCDを手売りしながらスナック

めぐりや野外イベントのステージに立つ姿を追うものを見てその中でギタリストの押尾コウタローが言っていたことが

すごく重く感じられました。世に送る力が重要で才能なんかに差はなく、プロデュースの力に全てがかかっていると

いうのです。陸上競技の様に一緒に走って一位二位と記録に現れるものでないのでやっかいです。

 

反面インターネットによって自身で売り出すことも可能になり、CDデビューが最終ゴールではないような気も

します。他に認められなくても自身で自らの才能に気が付きそれが唯一無二で誰にもまねできず、しかも芸術的にも

高いと信じてしまう人も昔からいて実際生きているうちは認められずに不遇をかこつも死後すごい売れる人もいますが、

本人の勘違いがずっと過酷の人生を歩むという人も少なくないというなんとも残酷な世界です。それも人類に備わった

虚構を共有できるという才能故です。

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渋滞のニュースに

2019年05月07日 10時49分46秒 | 珈琲

今年のゴールデンウィークはなんといっても10連休という長さとその過ごし方の

アンケートを聞き愕然とした結果に日本という国の特異性を改めて感じるのでした。

そのアンケートとは連休をどう過ごすかというものでしたが、75%以上の人が家で

だらだらするという答えで旅行とか帰省と答えたのはそれぞれ一割強だったのです。

つまり、その一割の人達により、高速道路は大渋滞し、空港では空前の出国ラッシュになり、

韓国、ハワイへのチャーター便は過去最高になるというニュースを聞くのですが、なんだ

それは結局国民の一割程度の人が動くと日本はこうなってしまうのかという、実際には

家にて普通に過ごす人が圧倒的に多いのにもかかわらず、日本中の人が高速道路や電車で

移動していてその混雑ぶりが報道されるたび、人々はそれに乗り遅れてはならないと

行楽に出かけていくのでしょう。

 

ちなみに即位後の皇居のお出ましに出かけた人は報道では14万で入場規制がされて2時ごろには

もう入場できなくなったらしいです。

 

またおかしいと感じたのは非正規雇用の人は休んでも無給なので収入が減るというという

ことで、アルバイトしようにも兼業禁止でどうにもならないというインタビューなどを

ニュースで見て普段から有給をとるという事をしていないからそういうことになるのではと

考えるのでした。コンプライアンスがやかましい昨今、やたらと法の順守にこだわるなら

労働者の権利にもこだわらせなければなりません。それは働く側に意識もただ従うだけでなく

自身の権利について自覚して選挙に行くとか義務の履行も果たして行かなくては実現しない

ものでしょう。

 

さて、そんな連休の中、いつもより暇な日も多く、路地裏の当店はこの時期里帰りを兼ねて

やっとこれたという人もいたり、逆にいつも来る常連さんは市内の混雑を避けるためいつもより

来店試飲などは少ない感じです。それを利用して私は焙煎にじっくりと取り組み特にあたらしく

いれたマイクロロットの豆などそんなもんじゃあないだろうと豆を開かせるために苦心しました。

 

特に焙煎機の各部のセッティングやコンデションを上げるために徹底したチューニングをしました。

 

これが功を奏して豆は今までになくふっくらと膨らみその実力を堪能できました。

 

このために試飲では新しいネルを用意したり、いつもより多い人数分で落としたりとできうる限りの

手を尽くして焙煎に焙煎を重ねて納得できるところまで持って行きました。

 

私がこのマイクロロットの豆に手を出すきっかけになった説明文の内容はまさにプロジェクトエックスの

物語であり、逆転人生の物語そのものでした。オーナーが自身の展開するリゾートで提供する珈琲を生産

したいと農園を買い取り、良い珈琲のために人も設備も採算度外視でそろえやっと160農園四位まできたと

いう成功物語であり、マイクロロットでは珍しいQグレードまで取っています。

 

ここまでの豆ならという思いとなまじな味で済ませられないという思いもして、焙煎には自然工夫も力も入り、

ただでさえ膨らませるのが難しい堅い高地の豆でなおかつ新豆で開くのが難しいところでチューニングも細部まで

力が入りました。釜や排気ファンの清掃はもちろんサイクロンの内部まで全ての排気管の溜まったチャフは全て

取り除き高温時の伸びも排気コントロール時熱の損傷まで十分に気を使えるようになりました。これが功を奏して

いい加減な味でなく本来到達すべきところまで引き上げられたと釜から見た豆の膨らみようを見て十分納得の

物を感じました。

 

もうそれをみれば十分でしたが、こう焼けるとどうしてもふるまいたくもなりゴールデンウィークの試飲は皆

これを用いてマイクロロットの説明からグアテマラの特長やらをしゃべることとなりました。実はグアテマラは

カップオブエクセレンスのコンテスト以来最近では取り扱う豆や専門店も少なく、かつては高いアンティグアなど

もずいぶん安くなっていました。この原因の一つに焼くのがめんどくさいとか難しいというのもあったと思います。

 

私もカップオブエクセレンスに選ばれた当時のコンテスト豆とか有名農園の豆を比べた時に自家焙煎店の店の物も

調べたことがあり、ケニアと同様なことが起きていたことをよく覚えています。それは注文を受けてから焼くような

釜の小さい店では特に顕著でやたらと深煎りにしているのです。それで十分に膨らんでいるならまだしもですが、実際には

小さいままで膨らみ切れておらずなおかつ焦げている店の方が多いのです。

 

最近ではケニアを置いている豆や専門店も少なく、やたら中米のスペシャルティというとブルボン種のものが主流で

シトラスの香とかジャスミンの香りなどという触れ込みの物が増えています。ただすっきりとしているというだけの

店もあり、200g2000円もしているのにそれだけなのかというものも多く見かけます。

 

こうなれば当店でも試飲させ甲斐があるというものですが、感想でもやばいなどという人がいなくてああ

よかったと思うのでした。

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今月季節のブレンドと新豆

2019年05月01日 15時50分26秒 | 珈琲

 

昨日の夜は天気予報から外食と決めていました。

一日雨という予報なので夜走りに行くのはよそうと思ったのです。ですが、

実際には曇りでぽつぽつ降る程度でこれなら走りに行けると外食はキャンセルかと

思われましたが、世は十連休で浮かれているので当家でもせめて外食しようという

ことになり、夕方明るいうちに軽めに走り、出かけました。

 

さて、そうなるとお店はどこがいいかという事で、こういう場合寿司かステーキというのが

我が家のスタイルですが、いつも同じ店ばかりで詰まりません。それに前回の外食で同級生の

店が開店したからと出かけたイタリアンやラーメンというのも候補に出ましたが、なんか芸が

ない感じがしてカレーにすることにしました。

 

実はスキーに行くといつも昼はカレーを食べなくてはならないことが多く、カレーの外食というのは

いつも避けられるのです。それに日本にはインド人の作るカレー屋さんというのがそこら中にあり、

秩父も例外なくそういう店もいくつかあります。ところが私はそういう店にいつも疑問に思うことは

インド人というのはほとんどが菜食主義者であるにもかかわらずそういうインド人のやるカレー屋は

売りと言ったらタンドリーチキンとかマトンのカレーとか肉料理がかなりあります。これはどうも

本場といいつつ実は怪しい物なのです。

 

ところが秩父には本当のインド料理の店というのがあり、それもタンドリーチキンとかマトンとか肉の

入った料理が出てきます。ここはスプーンなどの食器が100円ショップのようなものだったり、色々と

問題のあるにもかかわらず何度となく訪れている店でした。それがより市内の近いところに新店舗を

作ったのがニ三年前ですが、まだ未体験だったことからそこに行ってみようという話になりました。

 

国道沿いのその店は前はステーキ屋さんだったのがしばらく空き店舗になっていてその当時は建物は

青色でした。それがカレー屋さんになりベタながら建物は黄色に塗り替えられていました。ナンとライスは

食べ放題ということでメニューも本店とは若干違うようでした。実は本店で野菜とチーズをタンドリー窯

で焼くものが好きで通っていたのです。ですが、それがどうもないようで最初からどうも勝手が違うかと

いんう感じでした。辛さを聞かれたのも本店と違うと感じた出来事のひとつですが、これはどういうレベルか

良く解らないので中辛と答えて置きましたが、後で聞くところによるとインド辛というのがあるとかで

それが激辛より辛いのか本場の辛さという意味なのかまた謎なものなのでした。

 

それでもナンはモチモチしておいしくサフランライスもたっぷりとでてきてお替りの必要もないくらい

の量でカレーも他のインド人が作っている店の物ともちょっと違うものです。まあここでしか食べられない

ということでまた再訪するかもしれません。

 

さて、今月の季節のブレンドは『颯々』です。

 

この一番気持ちの良い季節の目に入る新緑のまぶしさと吹き渡るさわやかな風とこの季節を讃える言葉には

事欠かない、誰もが感じる心地よさを表しています。この吹き渡る今の風は薫風であり、いや正にとふと

漏れてしまうものです。

 

誰もが感じるこの季節感をどう表現するかとなるとこれはなかなか一筋縄ではいきません。

 

でも、この風のイメージを出さずにはこの季節のブレンドを名乗るものではありません。

阿保なことに令和ブレンドは作らないのですかと聞いた人がいましたが、毎月この季節のブレンドを

楽しみに買いに来てくれている人ならそんなこと出てくるはずはなく、そういう人は今月はどんな味

ですかという質問もしません。

 

もうくどくどと聞くまでもなく解りましたという事のようです。

 

なんでそういう名前なのかというのはたまに聞かれます。

時には何て読むのかという人もいます。まあ試飲タイムはそんなことから会話が始まるので

何を聞いたらいけないという事もなく、聞きたいことは聞いてください。

先月、いつも季節のブレンドを紹介すると後はどんな感じか触れないのですが、雪が降ったり

桜が満開になったり、燕を始めて見かけたりとその都度季節のブレンドの味を書こうとして

なぜか十分に果たせていない感じでしたので、今月はそれを果たしていこうと思います。

 

そしてもう一つ重要なお知らせとして新豆がまた一つ増えましたので紹介いたします。

最近マイクロロットというのをどこの商社でもやっていてこれを使えば自家焙煎店の個性も

出しやすく流量も多くないから容易に独自展開のような使い方もできます。当店ではそのような

物に手を出し高くて希少性で売るような形で個性を主張したりコンテスト入賞豆や看板ばかりの

認証豆を避け安くても味のいいものを常に追うという姿勢で臨んでいますので有名チェーンが

使っていない産地とかうまいのに忘れ去られて人気がないだけで味はいいというのばかりを

追っていました。

 

偶然ブラジルだけどあまり使われない産地とか良い物との出会いがあり、名を追わないことで

良い結果を生むことや商社が抱えてしまって味がいいのに安くなっているものが手に入るという

流れが出来てきました。そんなのと全然別に商社の売り込みの文章が気に入ってしまい買い込んだ

ものがあります。それがグアテマラの豆で普段は扱わないコパンの豆です。この農園は採算度外視で

自身の開発したリゾートで使う豆を作るために農場を買い珈琲開発を進めてやっと満足な味になった

というその開発秘話にこれはよいのではと感じるものがあり、買い付けました。

 

最近多いやたらとフルーティーだったり、すっきりとした味わいとか酸味のきわどさばかりが

注目されてその独特の酸とか切れとかコクとかしつこく説明されますが、そんなのよりこのさっぱりとした

 味が自身のリゾートの客に飲ませたいものとしてできたという誇りに賛同し、これにしてよかったと

思いました。マイクロロットなのにオーロラ農園というのはメキシコとか他にもつけているところがあり、

あまりに差別化されていない感じですがこれは仕方ありません。コロンビアのカサブランカも全く同じで

重なるところが多いのは残念です。

 

でも、そんな他の有名農園や同名農園かぶってしまっても個性までは同じでないのでその差を感じてみてください。

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