おそらくこの除菌を目的とした首かけ式の「携帯型空間除菌グッズ」はグッズから発生した塩素エアロゾル自体に除菌効果があると考えられる。しかしそれが実際、感染予防効果を表わすためには一定時間空間に留まっていることが条件になる。ところがそんなものはちょっと歩いたり風が吹いたりしてしまえばエアロゾルなどは拡散し効能などなくなってしまうはずである。前述の空気感染の理論からすれば簡単である。一方部屋に「据え置き型の空間除菌グッズ」であるが、「携帯型」よりも効能がありそうであるもののこれも疑わしい。前述のとおり「換気されていない閉鎖空間」であれば塩素エアロゾルも停滞するので効能はあるかもしれない。しかし通常これを据え置く閉鎖空間とはたぶん自宅の一室なのであろうが、人に悪影響を及ぼす感染源が一般家庭の一室に通年で浮遊し存在しているとは考えにくい。もし万が一空気感染する病原菌が部屋の中にいたとしても、窓を1回あけて換気すれば済むことである。結局、据え置く必要のない場所に設置しても意味がない。またこの「据え置き型」でも効力を発するまでには相当濃度の高い塩素エアロゾルが必要とされる。したがって濃度がすぐに下がるためドアの開け閉めはほとんどしてはいけないことになる。これでは「除菌効果はある」とは言っても、居室など実際の使用環境下での効能は期待できないことになる。<o:p></o:p>
ただ距離が離れていても感染する可能性があるとはいうものの、東京で発症した結核菌が東海道を浮遊し大阪にまで到達することはありえない。感染するといっても種々の条件がある。よくある感染条件としては締め切った部屋で複数人が居住するとか、狭く締め切った乗用車内に長時間同乗するなどがありうるのである。またたとえば過去外国の報告例であるが軍艦内で発症した結核患者を一室に留めておいたが、隣接しない遠く離れた部屋の兵士にも感染したという事例がある。これは空中を浮遊した結核の飛沫核が換気ダクトの空気に乗り他の離れた部屋に移動したということである。つまり「狭い閉鎖空間」及び「外界と換気がなされていない」という場合が危ないのである。つまり同じ部屋にいても、窓が全開になって常に外界から換気されていれば感染の可能性は低い。ましてや屋外を歩いている歩行者に感染するはずはない。<o:p></o:p>
空気の動きのない狭い閉鎖空間であれば、限定的にでも除菌効果はあるのかもしれない。しかしポケットの中やバッグの中を除菌して何の意味があるのか? 自分がポケットやバッグの中に居住しているわけではなかろう。このグッズの目的はなんの感染予防を目的としているのであろうか? 何らかの感染性微生物による空気感染や飛沫感染の予防を目的としたものであろうか? 一般的医学知識であるが、飛沫感染の場合くしゃみなどの飛沫が到達する1~2mから離れれば感染はないと言われている。ということは感染源から自分が距離をおいておけば問題ないことになる。またこれに通常のマスクでもしていれば万全であろう。では1~2m以上の距離をおいてでも感染する空気感染の場合ではどうであろうか。空気感染するものには麻疹、水痘、結核がある。これはエアロゾル化した飛沫核(病原性微生物そのもの)が空気中に浮遊するので距離が離れていても感染の可能性がある。<o:p></o:p>
「身につけるだけで1?以内の空間を浄化」(宣伝文句のまま)というキャッチコピーをみればすぐに胡散臭いと思うはずである。携帯型グッズであるということはぶら下げている本人は移動することが大前提である。風の吹く屋外や自分が小走りに走っている最中も1?の浄化空間が一緒に自分の周囲に「ついてきてくれる」というのか? 仮に二酸化塩素というものに除菌効果があるとしてもそのガスを自分の1?周囲に留めておくためには、「空気の流れがない(換気していない)」「極端に狭い閉鎖空間で」「自分が空気をかき乱さないように安静に」しておかない限り、塩素ガスは自分の周囲に滞留してくれないはずである。移動を前提とした「携帯型」というのは最初から怪しいのである。しかも「ポケットやハンドバッグの中に入れておくだけでも可」(宣伝文句のまま)とも宣伝されていた。ここまで来ると、確かにお地蔵様のお守りのほうがご利益がありそうである。<o:p></o:p>
3月27日、消費者庁から「二酸化塩素を用いた空間除菌を標榜する商品」に対して、効能の合理的根拠なしと景品表示法に基づく措置命令が出された。昨年の秋ごろからちらほら親子の患者さんで首からネームホルダー式にぶら下げているのを見かけるようになり、そこで自分もこの商品の存在に気が付くようになった。インフルエンザが流行し始めてからである。どうやらこれがウイルス除菌をしてインフルエンザの予防にもなるとお母さんがいうので驚いたのである。しかも1億円市場であるという。当初から自分はその効能に疑問をもった。おそらく通常の医師であれば最初から「眉唾」ものであると感じたであろう。元同僚の医師にこの話をした。この医師は自分の外来では患者に対して「腰痛や膝痛に効くという市販のサプリメントの類は全く効能がないので今すぐ辞めなさい。お金をドブに捨てています」とはっきりいう医師である。その医師からの言葉は「首かけ式空間除菌グッズ? あ~あれね、とげぬき地蔵のお札を入れておいたほうがはるかにご利益がありますね」・・・であった。<o:p></o:p>
5月の連休中にスーパー銭湯にいった。湯上りに生ビールを頼んだが、メニューに「ザルそば(冷・温)」とあった。ザルそばは「冷」に決まっている。しかし「温」とはどのようなものかと想像した。定員に「温かいザルそばもできるの?」と聞いたら、「あ~はい、できますよ」と。こちらの勝手な解釈では、カモ汁せいろ(鴨つけせいろ)のように、きっと冷たい蕎麦を温かいつけだれにつけるのか、あるいは釜揚げウドンのようにウドンではなく蕎麦がお湯の中にはいってくるのかと想像した。ところが「ザルそば(温)」とやらが運ばれてきてびっくりした。大きな丼には温かい麺ツユの中に蕎麦が入っていたのである。一瞬「ウン?」と思った。これはいわゆる「かけそば」である。どこが「ザルそば(温)」なのであろうか? ひねりも落ちもない。だったら「このメニューはかけそばになりますが」と説明してくれてもよさそうにと思った。こちらの早合点もあるのだが、とんだサプライズだった。まあ嬉しくもないが。<o:p></o:p>
それにしても大昔の大学祭のパンフと、現代のネットというメディアの比較であるが、そもそもこれら二つは比較の対象にならないのかもしれない。利用者数は比べものにならないくらい後者のほうが多いのである。ところが大学祭のパンフでは対象が小さなコミュニティではあるが、ここでは責任が重く問われ、かたや不特定多数のユーザーをもつネット・メディアでは無責任でよいという論理は成り立たない。やはりネットでもどこかで責任が追及できるようなシステムを作る必要があろう。今回のベビーシッター事件では、まったく見ず知らずの相手に自分の子供を委ねるのである。ここの出口をちょっと変えるだけで簡単に営利誘拐などの犯罪にも応用することができる。これからもネット・メディアに関する事件は起こるであろう。当時の生協の店長であればネットというメディアにおいて、その責任の所在をどう考えるのか聞いてみたいものである。何十年も前の話ではあるが、社会を知らないお調子者の自分に痛い刷り込みとモヤモヤを残したのであるから、それを晴らしてくれるような爽やかな論調を期待したいのである。
話を現代のインターネット紹介サイトというメディアの話にもどす。ネットで労働力(商品)を売りたい人とそれを買いたい人を結びつけるのが目的である。そこには商品の保証という概念はないのであろうか? もっとも紹介サイトから「書き込んでいる人たち同士で勝手にやってください。こちらはただ掲示板を置いているだけですから」と言われればそれまでである。確かに登録料を徴収するなどの有料サイトでなければ対価を得ることによる責任問題も発生しないのであろう。しかしこのネット・メディアを閲覧していると、ネットに掲載されていることが外見的には何らかの商品を盛んに宣伝しているようにも見えてしまうのである。もしこれを宣伝とするなら自分の学生時代の刷り込みから判断すると、どこかに責任というものが生じてもおかしくはないのである。ネット・メディアというのはどうやら自分が学生時代には存在しなかった新たなるお化けのようである。どのような見方や付き合い方をすればいいのかまだ先が見えない。どうやらこのメディアは信用してはいけないものなのであろう。<o:p></o:p>
余談になるがその大学祭パンフへのクレームは他の所からも来た。表紙のイラストがどうもアバンギャルドすぎたらしいのだ。自分ではあまり過激とはおもわなかったが、そのデザインに差別的描写があると文句をいわれたのである。そのような指摘をうけても「え~っ? そう解釈するの?」と納得はできなかった。クレームというものはつけようと思えばどんな角度からでもつけられるものだとその時に「勉強」した。そんなこんなで表紙には、あらたに被覆シールを張り付けるという作業が待っていたのである。苦心して皆で作り上げたパンフにシールを張る行為は屈辱以外の何ものでもなかった。この時にいろいろ学んだのであるが、一番こたえたのが、あの「CMを出したら、その商品と会社を保証し責任を負うことになる」ということである。それが当時本当に正しいことだったのか、あるいはその店長の個人的見解だったのかは知らないが、社会に出ていない自分にとっては痛い刷り込みとして残ったのである。<o:p></o:p>