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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【読書ノート】哲学者も老いる 『晩年のカント』を読む

2021-07-13 11:36:47 | 書評

 『晩年のカント』 中島義道(講談社現代新書)

  タイトル通り、カント学者の著者が晩年のカントに焦点を合わせて書いたエッセイ風の書であるが、二つの意味で面白い。ひとつは文字通り、晩年のカントのありようがその理論面、私生活の面で書かれているからである。
 もうひとつは、それを通じて、晩年を迎えた著者も含んだ哲学者一般ありようようなものがみえるからである。

              

 カントは当時のデカルトを嚆矢とする大陸合理論と、ロックなどのイギリス経験論を統合したとして知られている。
 私たちはその成果が、「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」の三批判であり、彼の哲学を「批判哲学」総称することに慣らされている。確かにこの、「真であることはいかにして可能か」、「正しいということはいかにして可能か」、「美しいということはいかにして可能か」の三批判は、彼の主著であると受容しているから、批判哲学者とするのはまんざら間違いではあるまい。

 しかし、この書を読むと、それらはカントの目指したものの前段階、ないしは前提条件の構築にしか過ぎず、彼はそれに基づく新たな形而上学の体系を目論んでいたにもかかわらず、それを果たせず生を終えたことがあらためて分かる。
 だから、著者にいわせれば、「カントは、神が〈いる〉とも〈いない〉とも言わなかった。私が〈不死である〉とも〈不死でない〉とも言わなかった。両者のいずれにも飲み込まれない中間のところに、ずっと留まり続けよと提案した。この世界はまるごと〈現象〉であると言った。〈ある〉とも〈ない〉とも言わなかった」ということになる。

         
          著者中島氏 この人も結構変わっているようだ

 しかし、形而上学的体系を書き上げたとしたら、こんなことで済んだだろうか。むしろ、それを書き上げ得なかったことが彼の後半生のリアルな現実であり、それが故に彼の哲学はいまも参照点たりうるのではないだろうか。

 体系というのは当時の哲学者にとっては魔性の誘惑であったろう。
 著者によれば、カントの同時代やその後の哲学者たちは、自分の体系を構築することにかまけていて、同時代の他者の哲学をろくに読んでさえいなかったそうなのだ。それらの哲学者というのはフィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどである。
 
 その一つの例が、カントとフィヒテの関係で、フィヒテはすでに高名だったカントに泣きついて自分の著作の出版を依頼するのだが、頼まれたカントはそれを了承し、出版社を紹介し、それがフィヒテが世に出るきっかけになる。しかしその書は、カントの立場を真っ向から否定するものであった。ようするにカントはフィヒテの書いたものをろくに読んではいなかったのであり、また、フィヒテもカントのものをまともに読んでいなかった可能性がある。だからフィヒテはカントに依頼できたし、カントもまた了承したといえる。
 しかし、その相違が相互にわかった時点が、二人の決別のときであった。

         
                カント先生

 当時としてはカントは長生きをした哲学者である。1724~1804年と80歳まで生きた。
 それは同時に、ひとつのリスクを背負う生涯でもあった。明言はされていないが、カントの最後の数年は、いまでいうところの認知症の疑いがあるという。その症状は、幼児化であったと示唆されている。

 カントの哲学は講壇調でとっつきにくいかもしれないが、最晩年の1798年に書かれた『実用的見地における人間学』は、大学内の講義ではなく、いまでいうところの市民講座のように開かれた場所での語りの収録で、もちろん、時代の制約は免れないが、砕けていて実に面白い。
 彼はそこで、人間の風習、世間、女性論などを奔放に語っている。
 しかし一方、私たちは彼の生涯が謹厳実直そのもので、とりわけ女性については、生涯独身で、しかも女性との触れ合いがあった痕跡すらまったくないにもかかわらず、なぜそれを語ることができたのかはほんとうに謎である。

 散漫であったカントについての知識を少し整理できたかな。
 

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誰が何を見たのか? 現代ロシアの長編小説『サハリン島』を読む

2021-07-11 00:53:21 | 書評

 昼食後、気だるく身体が重い。昨夜の途中覚醒が長かったのを思い起こし、少しだけ午睡でもと横たわる。目覚めたら1時間半ほど経過していた。衰えという言葉がよぎる。改めて否定してみても仕方あるまい。

 それはともかく、最近読んだ小説について書いておこう。
 行きあたりばったりの読書だった。というのは、県図書館はコロナ禍で閉館し、返却と予約図書の貸付というカウンター業務のみだったので、いま取り組んでいるテーマに関係したもの若干と、それだけでは芸がないからとなにか小説でもと、新着図書の情報のなかで見つけたものを予約した。
 私の読書は、同じものを読了まで継続して読み進むということは少なく、学校での授業のように、一日のうちに、違うジャンルのものを交互に併読してゆく場合が多い。これが自分の飽き性に対応しているのだ。

            

 で、見つけた小説というのが、エドゥアルド・ヴェルキンという作家の『サハリン島』(北川和美・毛利公美:訳 河出書房新社)だった。もちろんこの作家やこの小説についての予備知識はまったくない。ただ、ロシアの現代作家で、そこそこ売れているらしいというはかんたんな解説に書かれていた。
 カウンターで手にとって驚いた。予備調査が不十分だったのだが、なんと400ページ二段組の大長編小説ではないか。

 初めて出会う外国の小説の場合、冒頭で状況を掴むまではちょとスリリングだ。それがいつの時代で、どこで、主人公の年齢、男女、その素性のようなものが次第にわかってくるからだ。
 この小説の場合、ロシアの小説であること、タイトルなどからして、ロシアの中央部、モスクワとかサンクトペテルブルクからロシア人の男性の主人公がサハリン島に出かけるのか、あるいは、サハリン在住のロシア人の話かとあたりをつけて読み始めた。
 男性と特定したのは、祖父譲りのマッキンソッシュのコートを改造し、拳銃二丁を素早く操作できるポケとをつけるなどとあったからだ。

            

 しかし、これは大違いで、まずはロシア人ではなく日本人だったことだ。もっともロシア人の血が混じっていて瞳が美しいブルーであったのだが。それと、男性ではなく、若い女性であった。うかつにも、それに気づくためには数ページを要したのだ。
 名前はシレーニ、彼女は、未来学の権威オダ教授の命を受け、国の指令をも背負って、サハリン島の実態調査に出かけるのだった。サハリン島=樺太の北緯50度の南側が1945年までは日本の領土だったことを知る人はいまや少ないだろう。

 しかし、この書の描く状況はそれ以上に奇妙である。それも一挙に説明されることはないので、読み進めるうちに徐々に把握して行くほかはないが、どうやらアメリカ、北朝鮮(この小説ではコリアンとだけ書かれているが)を中心とした第三次世界大戦が勃発して、その激烈な核兵器の攻防の結果、安保条約を無視したのだろうか、鎖国的に生き残った日本のみが国家の体をなして存続していて、しかも、天皇制をいただく大日本帝国を国体としているのだ。ただしその軍隊は「自衛隊」と呼ばれ、その戦艦などに、「エラの・ゲイ」(広島へ原爆を投下したB29の改造機だ)とか「マッカーサー」とか名付けているのは笑える。

           

 アメリカを始め、他の国々はほとんど消え失せたようだ。アジアではコリアンや中国の生き残りはいるものの、人をゾンビ状態にする移動性恐水病(MOB この命名は、ハンナ・アーレントなどが説く全体主義を先取りするような暴虐性を秘めた群衆=モッブを意識しているのかもしれない)の蔓延で、人間が住む状況ではなくなっている。それでも、それらがサハリンに潜入し、患者が暴徒化する様子が描かれている。

 ようするにこの小説では、大日本帝国が序列の中心にあり、最下層には戦争を引き起こしたコリアン、それに加担したともとれる中国人がいる。それに黒人やしばしば白人のアメリカ人は、見世物的に檻に入れて吊るされ、投石などの虐待にさらされている。これらは極めて差別的に描かれていて、しばしば抵抗を覚えることもある。で、ロシア人はというと主人公がハーフであったり、サハリンでそれを警護する青年、アルチョームがロシア系であったりするなど、好意的ないしはニュートラルに扱われている。

 この二人を中心としたサハリンの南部をほぼ一周する紀行は奇妙な風習に満ちており、ガリバー旅行記を思わせる風刺も含まれる。しかし、この視察旅行、サハリン地区での大地震により、ここに集中していた刑務所や収容所が損壊し、収容者たちが暴徒化し、加えて、上述したMOBの感染が広がるなど、緊迫した後半へと至る。

 最終的に大日本帝国はサハリンを全面的に「浄化」することとし、12発の核弾頭を打ち込む。主人公、シレーニもこの巻き添えで命にも関わる重症を負うが、「皇室病院」の手厚い治療で回復へ向かい、オダ教授への報告は、学術報告書ではなく小説になるのだが、この小説自体がそれであるということにもなっている。しかし、それだけではない。このエピローグは丁寧に読まれねばならないだろう。

         
 
 本文ではほとんど述べられなかったシレーニとアルチョームとの死の別れに先立つ関係が明らかになり、その未来の結晶である記念すべき物体に彼の名が刻まれることになったことが述べられている。
 また、少女時代のシレーニに感動を与えたかつての詩人、彼はその後転落し、冷酷な殺人鬼としてサハリンに収容され、視察に訪れたシレーニと対決するはめになるのだが、そのシンカイという男性の述懐がラストに置かれている。そこには、シレーニとの再会が「エデンの園の門のそばで」と希望に満ちて語られているのも皮肉というほかはない。

 このように、この小説では、時折語り手が転換したりする。それはどうしてかというと、それはまた、ロシア人のエドゥアルド・ヴェルキンがなぜ日本を名指したような小説を書いたかに通じるのだが、彼が敬愛する日本の小説家が芥川龍之介であり、中でもその『藪の中』をもっとも評価していることからしても頷けるところである。

 総じていって、400ページを飽きることなく読み続けられる面白さをもっているし、映画的な描写もあってまさに映画にしたら一大スペクタクルになることは間違いないのだが、問題は、コリアン、中国人、黒人などがあからさまに人間以下の存在としてしか描かれていないことである。
 いかにSF的な設定で、自然条件的な背景として「そうなってしまったデストピア的状況」として語られていようとも、当のコリアンや中国人がこれをどう読むのだろうか。
 
 この辺がどうしても気になってしまって仕方がないのだ。
 著者に人種偏見的な先入観があるとは思いたくないのだが、もしそうならば、もっと抽象度を上げる表現があったのではとも思える。しかし一方、それでは現実のサハリンを取り巻くリアルな状況から逸れてしまうのだろうか。

 いろいろ、複雑な読後感が残る小説であった。

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どこでどう違ったの?『日本とドイツ ふたつの「戦後」』を読む

2021-06-19 14:40:41 | 書評

 『日本とドイツ ふたつの「戦後」』 熊谷徹 集英社新書

 現代の世界を見るに、アメリカ、中国、それにEUを中心としたヨーロッパの三極にその動因をみることができるようだ。ロシアは相対的にその影響力を低下させているし、かつて、ジャパン・アズ・ナンバーワンと浮かれていたこの国などは、もはや先進国という区分けも恥ずかしいくらいだ。現今のコロナ禍のなか、その対策を誤り、しかもそのワクチン供給状況においては、まったくの後進国であることが露呈してしまった。
 もっとも、はしゃいでいた80~90年代にかけても、単に成り上がり者然として登場したのみで、いかなる意味でもリーダーシップをとったとは言い難いものであった。

             

 日本とドイツは、ともに第二次世界大戦の敗戦国であり、その戦後復興の歩みなどいろいろ比較対照されてきたが、ここに来て歴然たる差異が明確になったように思われる。
 ドイツはいまやEUにあって、押しも押されぬ中心的、かつリーダー的存在であり、上に見た世界の三極の一つのピークともいわれる位置にある。
 一方、日本という国は世界的レベルでもその地位を低下させているのだが、地元の東アジアにおいては、いまや単なる嫌われ者扱いである。
 ネット上でのレイシストたちの嫌韓嫌中の罵詈雑言は相変わらずだが、それはまた、自分たちがこの地域で受け入れられていないことの鏡像的反応でもあろう。

 日独のこの差異はどこでどのように生じてきたのだろうか。
 著者は、それに関して多くの書を書いているが、NHK時代のワシントン支局在任中にベルリンの壁崩壊を経験し、米ソ首脳会談などを取材した後、1990年ドイツ再統一前後から、フリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住している。この経歴が示すように、30年余の在独でドイツを内在的に実体験し、それをもとに書かれたこの書はそれなりの説得力をもつ。

         

 同じように「戦後」を始めながら、なぜこのような差異を産むに至ったのかに興味があってこの書を手にしたのだが、結論をいうならば、私が想定していたものとさほど違うものではない。
 しかし、具体的局面での事実や諸データなど、新たに接する情報も多く、とりわけ、いま私が関心を持っている、この国、日本の戦後が抱えていた問題を映し出す鏡の役割を担うように思えた。

 ドイツの戦後は、600万人といわれたユダヤ人の虐殺、500万人といわれる各種障害者や同性愛者、ロマなどの少数民族の抹殺という加害者としての自身を出発点にしながら、それへの自己否定とそれら被害者への徹底した謝罪、そして具体的な補償から始まった。
 それらは、経済的な賠償を伴うとともに、再びそうした罪過を犯すことが不可能な体制づくりに集中した、いわば倫理的な大手術の展開でもあった。

 一方、日本の戦後においては、戦争に対する 否定的な観念は一般的にあったとはいえ、それらは日本人が戦死をしたり、家が焼かれたり、原爆を落とされたりしたということに対する被害者意識に根ざすものであり、その一方では、戦前、戦中の国体の維持=天皇制の継続をひたすら祈念する守旧的なものでもあった。
 そこには、加害者意識のかけらもなかった。戦時中、軍国幼年であった私の意識のなかにも、加害者としての思いはまったくなく、それが生じたのは戦後10年以上経過した後、かつてこの国がなしたことどもを具体的に知る過程を通じてであった。 
 ようするに、日本の戦後は、戦争を始めたこと、その前後に関わるこの国自体のありように関する自己点検的な検討とは無縁のところで迎えられたということである。

 この国は、加害者としての事実を突きつけられるに従い、渋々それらを認めるのだが、その値引き措置に余念がない。例えば、南京虐殺の人数に対しての異論から、それがなかったとの見解すら導き出すのである。
 こうした人数の確認という点では、ナチスの被害者、ユダヤ人600万人、その他500万人というのも確定されたものではない。しかしドイツは、その確認は然るべき部門の作業に任せるとして、その過大かもしれない数字にこだわることなく、まずはそれへの責任を果たそうとする。

 しかし、日本の立場はまったく違う。姑息な数字の解釈によって、その加害の事実を無化しようとすらしている。
 18日の朝刊が報じるところによれば、文科省は、教科書検定に当たり、従来の「従軍慰安婦」から「従軍」を削り、「慰安婦」とのみ記述することを求めるという。ようするに、国家や軍が関わったことはなく、勝手に体を売る女性たちが集まってきたというストーリーをゴリ押しするつもりなのだ。

 ここに透けてみえるのは、嫌韓嫌中のレイシストたちの見解が日本会議などを媒介として自民公明の現与党と完全に通じ合っているということである。
 日本は、いまだに自分たちが加害者であったことを認めてはいない。ただ、経済や交易のプラグマティックな要請に応じて、部分的に妥協してきたに過ぎない。

         

 ここに欠如しているものはなにか。単純にいって倫理的な意識の絶対的な欠如である。
 ドイツは、敗戦時、自らの罪過を認め、それを償うこと、再びその罪過を犯す道を塞ぐこと、それによってしか未来はないと考え、いまに至るまでそれを実行している。
 それに対しこの国は、加害者たる意識をいまだに明確にはもたず、被害国からの指摘に対し、なんで今さらとか、逆に自分たちが被害を被ろうとしているかの態度をとり続けている。

 やはりこの国の戦後の受け止め方、戦後民主主義というもののいびつさ、それが生み出した理念も倫理も欠いた政治体制、それこそが問題なのだろう。

 ドイツやメルケルを手放しで礼賛するつもりはない。しかし、そこにはこの国にないものがあることは事実である。
 この書はそれをわかりやすく記している。
 後半で展開されるその経済政策、環境対策、とりわけ、原発容認派だったメルケルが2011年のフクシマの事例を受け止め、直ちにその全廃を決意するに至った過程も面白い。
 フクシマの事故は、その深刻な放射能汚染によって東日本はほとんど居住不可能になるという事態から紙一重のところにあった。それを免れたのはまさに僥倖というほかはないことをメルケルは正確にキャッチしたのだ。
 その当事国は今、40年を過ぎた原発は稼働しないという当初の方針を改変してまで老後の原発を再稼働させようとしている。

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【読書ノート】『PACHINKO パチンコ』 必勝法ではありません。

2021-06-10 01:01:54 | 書評

 『PACHINKO パチンコ』(ミン・ジン・リー 訳:池田真紀子)文藝春秋社

 上・下巻、合わせて七〇〇ページ余の大河小説である。登場人物は四代にわたるコリアンの家族とその周辺の人々。時代背景は一九一〇年、日本が朝鮮を併合した年を起点に一九八九年に至るまで約八〇年にわたる。
 私の生まれた年、一九三八年のノーベル文学賞をとり、私が高校生の時に読んだパール・バックの『大地』を思わせる大河小説である。
 『大地』が中国大陸を舞台にしていたのに対し、『PACHINKO パチンコ』の舞台は当初、釜山・影島(プサン・ヨンド)に始まり、しばらくして日本に移る。ようするに在日コリアンの人々の物語である。

 作者は、コリアン系のアメリカ人女性で、学生時代に、在日コリアンについての特別講義を聞いて以来、それが念頭を離れず、それらをテーマにした短編などを書いていたが、彼女の連れ合いが転勤でともに日本に住むことになり、それを機会に数十人の在日コリアンから取材をし、これまでの知識の足らざる点、偏りなどを修正しつつ、この長編を仕上げたという。

         

 その内容であるが、それが実に面白い。ストーリー展開も波乱に富み、ときには読み手の意図をプイと裏切ったりして進む。寝食を惜しんでというか、つい明け方の三時過ぎまで読んでしまったこともあった。
 
 上巻を読み終えた段階で、不思議なことに気づいた。タイトルが『パチンコ』であるにも関わらず、パチンコの話がまったく出てこないのだ。私の記憶では、上巻三五〇ペジほどのうち、たった一度だけ、しかも単なる一般的な名詞として出てくるのみで、それ自身、タイトルとはなんの関わりもないのだ。
 在日コリアンの人のうち、南北を問わず、パチンコ業界と縁の深い人が多いという一般常識があるので、たぶんそれに触れた展開になるだろうという読み手の思惑は完全にはぐらかされる。

 ただし、これはあくまでも上巻のみで、下巻に入るやアレヤコレヤとするうちにすべてがパチンコ業界に飲み込まれたように事態は進む。
 にも関わらず、それは登場人物たちの活計(たずき)の道に過ぎないのだが、一方、それが在日コリアンによって選択される所以についての示唆もあるように思う。

 これら物語の展開の時代背景として、朝鮮時代の日本統治の問題、戦前の在日への特高警察の弾圧(実質の主人公、ソンジャの夫の牧師は、その仲間が神社崇拝の折、キリスト教の祈りをつぶやいていたのを咎められ、それとの連座として捕らえられ、釈放された折は、死の寸前であった)、戦後も続く制度上の差別(外国人登録証明書発行時の指紋押捺や諸権利の制限)、さらには社会全般にある日常的な差別や排斥の動きなどなどが厳然とあるのだが、しかし、著者は、それについての悲憤や慷慨をあえて述べ立てることはせず、あたかもそれらが自然的条件であるかのように物語は淡々と進む。
 
 登場人物たちも、それへの抗議や抵抗を試みるのではなく、その厄災が自分の身に降りかからないような生き方をひたすら模索して生きてゆく。その意味では、いわゆるプロパガンダ的な叙述は避け、ひたすらリアルな選択による登場人物の日常を記しているといってよい。

         

 しかし、この事実は、こうした背景に対し、作者がニュートラルであるということでは決してない。この著作の動機が、在日であることによるいじめで自死した少年のエピソードであったと語る作者の立場からは、実際にはそれは許されざる事態なのだ。

 著者の立ち位置は、その第三部のエピグラフ(題辞)としてつけた、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』からの一ページほどの長い引用に如実に示されているとみていいだろう。
 「国民の定義を次のように提案しよう。国民とは想像の政治共同体である」ではじまり、「この共属意識のゆえに、過去二世紀のあいだ、何百万、何千万という人々が、そのように限定的な想像の産物のもとで殺し合ってきた、というよりも、自らの命を捧げてきたのだ」で結ばれるその引用は、主として日本という国民国家や、単一民族としての日本人の意識を、単なる想像の産物として退けている。

 それのみか、その射程は、日本と在日、日本と朝鮮半島の歴史とあり方をさらに超えて、国民国家や民族に内在する想像=共同幻想にまで及んでいることがわかる。
 ただし、先にみたように著者は、小説のなかでそれを声高に叫ぶことはしない。
 「想像の共同体」の「共属意識」が、対外的は抑圧や排斥、差別として作用すること、それはこの小説の通奏低音として鳴っているに過ぎない。
 
 大河小説の常として登場人物は複数にわたり、そのそれぞれへの興味は尽きないが、ソンジャが亡き夫の墓に詣でるしんみりしたラストシーンに接するとき、彼女が少女時代を過ごした故郷(コヒャン)、釜山・影島(プサン・ヨンド)を離れ、一九三三年に日本に渡って以降の在日コリアンの長い歴史がそこにあったことをあらためて彼女とともに想起するのであった。

本書の構成は以下の通り。
 第一部 故郷(コヒャン)  1910年~1933年
 第二部 母国  1939年~1962年
 第三部 パチンコ  1962年~1989年

《付記》文体も奇をてらわず読みやすく、そのストーリー展開もとても面白い。うまく脚色し、映画にしたら、アカデミー賞ものだろう。

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『新対話篇 東浩紀対談集』ノートをとったまんま

2021-06-03 23:41:49 | 書評

 表題のものを読み、もう一度目を通してきちんとまとめてみようとしていたところ、姉の葬儀で二日を費やすなどして図書館への返却日が来てしまった そこで文字通り、「読書ノート」で、ノートしたままを書きとめておくこととする

            

 表紙の写真で明らかなように、以下にノートした以外の人との対談もあって、決してそれらはみるべきものがなかったというわけではないが、いま私が抱えているテーマとの関わりでノートをとったために省略されている
 また、私のノートのとり方として、読点はしるすが句点は省略するので、以下の表記もそれに倣っている

 なお、ここでの東は単にホスト役にとどまることはなく、相手によってはむしろ東の主張のほうが目立っていることもある その意味では、東の立場を知るいい機会でもあるし、彼がこの対談集に「新」の接頭語をつけた「対話」というものへの意義付けを表しているともいえる
 それでは、荒削りなノートであることを承知で読んでいただきたい

中沢新一と
中沢 盆踊り=生者が作る踊りの輪の中に死者たちを招き入れてともに踊るという趣旨
 死者を生者の世界に祭のイリュージョンを通して取り込むこと
 死者は、国家や靖国神社に帰るのではなく、竿灯の先に帰ってくる
 竿を立てて死者を迎える人びとはそれを通じ死者とのある種のつながりを再確認する

         


東 戦後日本では、国家が慰霊に失敗し続けている しかし大衆の無意識のレベルでは慰霊の行為は続いていて、国家の硬い層の下の、種に対する別の感性が顕在化している

 震災地や原発被害地跡に記念碑などの建立をするのではなく、(核汚染で人が離れたため発生した)放れ牛の生存なども含めた動植物の聖域(サンクチュアリ)とする
 明治神宮 元は練兵場があった殺風景な箇所を一〇〇年かけて見事な森にしてしまった 資本主義的な時間から解放された庶民のためのサンクチュアリ その方が、追悼施設や慰霊碑を建設するより、はるかに列島文化本来の慰霊に近い


加藤典洋と
東 今やリベラルの側も天皇制は尊重し天皇に対して敬意を表すのが基本 (論壇でも)若い論客もまったく天皇制そのものを疑問に思わない
その不気味さ

加藤 天皇が亡くなった時、天皇を「彼」と書いたのは私一人(?)
 共和制への道が自然 天皇は京都の御所へ帰ってもらう
 天皇で安倍を止めるという意見 内田樹などの問題
 
【六文銭の私見】天皇専政の復権が現実になるとしたら、たとえそれが安倍や菅が対象であっても、天皇の専政は拒否すべきだ 天皇が安倍や菅に対してより公正でいられるとしたら、天皇がその憲法の規定にある限り、政治的にニュートラルだからにすぎない
 ようするに、天皇は政治的な決断を迫られることはないから しかし、もし天皇が政治的決断を下すこととなれば、事態はまったく変わってくる
 安倍や菅の政治的決断が公共性を欠いたパーソナルなものであることはとことん批判すべきだが、それに代えての天皇専政はまったくのナンセンス
 
國分功一郎と
國分 日本においての憲法論議 文学者が文学的に語ってきた 憲法学者も文学的に語る人が多い これは評価すべき面もある

東 憲法そのものもいろんな思惑(GHQ 当時の日本の支配層など)が絡んだ重層的なもので、国民が政府を縛る合理的なものではない その意味で憲法そのものも文学的
 商品を開発する、映画を作るなどなど様々な行為があるが、必ず目的とはズレる何かが生じる そのズレが文学的であり哲学的な感覚の発生 私=東の言葉では「誤配」

東 ベ平連にあって現代のリベラルの運動にないもの それは非合法なものへの容認 ベ平連の実践→脱走兵への支援 スエーデンのパスポートの偽造して海外へ
 現在の運動はこれらを許容しない どう行列をさばき大衆をコントロールするか 警察に睨まれないよう終電できちんと帰りましょうまで
 

 ベ平連の時代 祝祭的な市民運動と非合法すれすれの運動はセットになっていた 鶴見俊輔自身が座り込んでごぼう抜きにされている 祝祭は実体的な権力闘争につながっていた
 いまは非合法なものは完全に排除され、残ったのは文化祭のような安全な祝祭 完全に権力のコントロール下にあるガス抜きに過ぎない


            

*國分 正義=合法性ではない 市民的不服従で徴兵・兵役に応じなければ非合法 ただしそれは正義になるかもしれない
 非合法化を恐れ、文化祭に終わっているのはジャスティス(正義)ではなくコレクトネス(正当性)にしか過ぎない

*東 コレクトネスはあくまでの現在の時間のうちであるがジャスティスは時間を超える

 闘技民主主義と熟議民主主義の統合として合意形成(アーレント的な政治概念) これが機能しないとすべてを多数決で決めるしかないことになる

柳美理&飴屋法水と
 種の論理・数の論理が内在している論理=一定数の個体は死んでも構わない 生き残りさえいれば・・・・
 その実践的適応としての戦争 あるいはある体制内の実践としての全体主義


 以上、まったく不十分なまとめだが、文中にもある「闘技民主主義と熟議民主主義の統合として合意形成」が強調されていて、これがまた「新」対話篇というべき、対談、座談に寄せる東の思い入れでもあるようだ
 

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【読書ノート】我が家にいること『ノスタルジー』バルバラ・カッサン

2021-05-30 02:45:51 | 書評

 著者であるフランスの哲学者、バルバラ・カッサンは父祖の代からの南仏育ちで、同じフランス領とはいえ、地中海のコルシカ島が故郷ではない。コルシカに居を構えたのは、人生半ばからにすぎない。
 にもかかわらず、そのコルシカにおいて彼女は歓待されてると感じ、その島にこそノスタルジーを感じている。

 ということは、ノスタルジーとは、一般に「望郷」と和訳されるような故郷への思いのみではないとうことだ。そういえば、この書のサブタイトルは「我が家にいるとはどういうことか」であった。

             

 その前に、彼女に即して、この「ノスタルジー」の語源的探索を済ませておこう。
 「しかし、ノスタルジーはギリシャ語ではない」と彼女はいう。それは、17世紀後半、ドイツ語圏のスイスで見いだされた「病名」だというのだ。 
 ジョン・ホーファーという19歳の青年は、バーゼル大学へ医学論文を提出するのだが、そのなかに、ベルリンから来た学生が次第に衰弱するのでベルリンに帰したところ回復したとか、また、入院中の農婦が帰宅を強く望むので帰したところ病が癒えたという事例を載せているという。

 ノスタルジアが、ドイツ語圏のスイスで発見された病名であったとは面白い。
 日本で作られたアニメの「アルプスの少女」では、フランクフルトから来たクララは、アルプスで麻痺しているし、逆に山の娘・ハイジは、フランクフルトで不調を訴える。

 まあ、そんな事例を引かなくとも、ノスタルジーに近い英語が「ホームシック」で、ちゃんと「シック」であることが明示されている。

       


 さて、カッサンは古代ギリシャの最大の叙事詩・オデュッセウスを題材にその故郷との関係を見てゆく。 
 オデュッセウスはは長い旅の末、故郷へ戻る。しかし、彼は妻からも、飼い犬からも自分を求めてもらうことができない。何よりも、彼自身がそこを故郷と実感することができない。やがて、時が相互の隔たりを埋め、やっと彼は故郷へ受け入れられる。
 しかし、それは同時に彼の旅立ちのときだった。彼には二重のノスタルジーがあったのだ。オデュッセウスのノスタルジー、それは、故郷イタケーへの想いをもち続けること、そして、冒険者、ノマド、世界市民であり続けることであった。どこにいてもわが家にいて、どこにいてもわが家にはいない、それがオデュッセウスのノスタルジーであった。

 ついでカッサンは、トロイア戦争の敗北者であり、ギリシャから追放され放浪の末、イタリアの地に至り、そこでローマの建国に関わるアエネアスをとりあげる。
 彼は、このイタリアの地こそ、実は自分の父祖のルーツであることを知り、この地に新たな建国をと思い立つのだが、それはもはやトロイアの再生ではなく、新しいものの追求となる。そのため彼は、トロイアの言葉=ギリシャ語をあえて採用せず、その地の言葉、ラテン語での出発とする。

 ローマにとっての外国人であるアエネアスは、ローマの人びととともに、新たな故郷を創設したのである。
 ここには、当時のヨーロッパ文明の先進国・ギリシャの言葉を押しいただかないという「統一言語」に関する問題もあるが、それを踏まえたままで次章のハンナ・アーレントへと進められる。

                

 アーレントは、ユダヤ系ドイツ人として生を享けたこともあって、ナチの台頭により1933年にはフランスへの亡命を余儀なくされ、更にフランスがナチの手に落ちるや、41年にはアメリカへ脱出せざるを得なくなる。こうして、51年にアメリカ市民権を得るまで、18年間の無国籍難民の生活を強いられたのであった。
 
 晩年、ドイツ時代について郷愁を感じる対象は何か?と問われた彼女は、それは「母語」だと答えている。彼女にとっての母語はドイツ語である。しかし、あえてドイツ語と言わず母語と表現したのは、母語とは、国や所属する民族の言葉ではなく、自分がそれに囲まれ、それを習得し、そのことによって自分の周囲に共生関係を生み出したそんな言語のことであることを言おうとしたのだろう。

 ようするに、どれか特定の言語の優越性を語ろうとしたのではなく、それぞれの人が習得した言語がそれによって世界へと参入する可能性を開くことを言おうとしているのだろう。そしてそれは、特定の言語を特別視する、例えばハイデガー、ドイツ語はギリシャ語にもっとも近く、「存在」を顕わにできるといった言語観を退けるものでもある。

 これは同時に、バベルの塔のような統一言語への否定でもある。言語の複数性は人びとの複数性の原因であり結果でもある。
 様々な言語のうちで、人は世界との関わりを産み出す。そして、それぞれの言語には他の言語と対応しうる面と対応しない面とがある。これが、翻訳可能性と不可能生の問題である。

 そして、これらの言語と人間の複数性をあってはならないものとして抑圧するのがグロービッシュ(グローバルイングリッシュ)のような統一言語への要請である。この立場は、世界においての偶然性を否定し、すべてを必然性のうちに置こうとする志向にも通じる。
 この立場によって失われるのは、文学と哲学である。なぜなら、文学や哲学は、人間と世界の、論理性、必然性、法則性からつねにはみ出すもの、その過剰、余剰、余白、他者性のうちにこそ棲息しうるものだからである。

 ようするに、「世界の揺れ動く曖昧さ」(カッサン)こそが、私たちが実存するそのリアルな土壌なのである。そして、これへの否定と抑圧こそが、全体主義的思考というべきであろう。
 カッサンのアーレントへのシンパシーは、彼女自身が母語はフランス語と異なるものの、アーレント同様、ユダヤ系フランス人であることと重なる。

 まとめとしていえることは、ノスタルジー(望郷)とは、決して場所としてのそれを指すものではないということである。そうではなくて、自分との共生関係全般が可能になる場(地理的な場所ではない)を指しているということである。

 以上がきわめて恣意的なこの書のまとめであるが、前半のオデュッセウスやアエネアスに関する部分はあまり自信がない。理由ははっきりしている。私自身が、こうしたヨーロッパの古代史、その頃に書かれた古典への知識について、きわめて曖昧だということである。
 では、アーレントについてはどうかといわれるとこれも不確かであるが、多少は読み込んでいるのでそんなに外れてはいないだろうと小さな声で付け加えておこう。


 *なお、同書の目次は以下の通りである。
  ・コルシカ的歓待について
  ・オデュッセウスと帰郷の日
  ・アエネーイス ノスタルジーから流浪へ
  ・アーレント 祖国としての言語をもつこと

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【読書ノート】『全体主義の克服』(マルクス・ガブリエル&中島隆博 集英社新書)

2021-05-20 01:53:11 | 書評

 ガブリエル・マルクスの書はこれで三冊目だが、まだこの著者については捉えきれない面があって、確信をもって語ることはできない。
 ただし、この書は中島隆博との対話ということで、概念の展開が続くという形はとらないので、比較的読みやすいとはいえる。
 
 テーマは題名通り、「全体主義の克服」なのだが、 途中、形而上学的な側面への言及もかなりあり、ガブリエル・マルクスのよって立つ ところが見えたりもする。それは例えば、シェリング哲学からハイデガー批判、 それに意外にも中国古代哲学からの吸収もあったりして、その幅の広さに驚くのだが、それら形而上学的な問題についてはここでは触れない。

          


 本書のタイトルに従って「 全体主義」に焦点を絞って見ていこう。
 ガブリエル・マルクス(対談相手の本田も含めて)は、この21世紀の全体主義の危機について語る。そしてそれは、前世紀、20世紀における全体主義とはいささか状況が異なると指摘する。
 
 いずれにしても、全体主義は公と私の区別が破壊され、全てが公のうちへと統合され ていくシステムであるが、20世紀の場合には、それが特殊な主義主張、ないしはそれを象徴する人物の独裁的支配のもとで 展開されることが多かった。例えばヒトラーのもとにおけるナチズム、スターリンのもとにおけるソ連邦のそれ、 そして天皇を中心にした日本の戦前のファシズム体制などである。

 しかし、と彼らは言う。この21世紀の全体主義はデジタル化の進行により公的な領域と私的な領域の境界線が破壊されていくこの内にあると。
 確かにデジタル化の進行は、諸個人の主義主張、趣味や欲望、その諸行動などの情報の一元的集約として実現されつつある。こうした監視・監督の具体的例は中国における今や3億台とも4億台ともいわれる監視カメラの設置、それによる諸個人の行動の軌跡の追跡可能性などに 顕著に見ることができる。 

 それはこの国でも、今年9月に開設が予定されているデジタル庁の設置によって加速されようとしている。
 ようするに、この私たちは、自分固有の欲望に従って独自の行動を選択しているように思いながらも、その実、ネットなどの情報を通じた誘導に従った結果としての欲望に従い、それを追求するために予め敷かれたレールの上を、ひたすら走っているのであり、その行為の軌跡もまたデータに記録され、次に密かに与えられる「指令」にも反映される。

 そうしたデジタル化全体主義を許したものはなにかが問われる。
 近代は、科学技術によって神話的世界観は克服されたという「神話」によってスタートした。神話的な世界統一原理に、科学技術がとって代わったというわけである。
 しかしである、そこからすべてが生み出される神話的「一」としての統合原理などがないのと同様、科学技術もまた、全てを生み出す「一」ではありえないのだ。

 この点だけで言うなら、前世紀後半のポストモダンが既に指摘していたところであるが、G・マルクスはそのポストモダンがあらゆるものを相対化することによって、逆にある特殊なものを強調し、それに固執するようなそうした傾向を激しく批判する。
 それは例えば、とてもショッキングなタイトルで注目された彼の書、『 なぜ世界は存在しないのか』などのいわゆる「新実在論」が支えているところである。

 それを平たく言うことは困難だが、 事実は無限の錯綜した連鎖の絡み合いのうちにある。それらは私たちの観察の対象ではなく、私たちもまたそのうちにあるものである。確かにそれらの一部を取り出せば、 そこには反復がみられ、科学技術はそれら一部の反復に依存した方法に過ぎない。しかし現実の反復は単に同じものの反復ではなく、その都度何らかの差異を含んだものとしてある。ようするに、実験室のような完全な反復はリアルでもなんでもないのだ。

 ようするに、現実は何らかの「一」から出発した体系ではなく、常にそれから逸れてゆく偶然性のうちにこそある。そうした偶然性の生起に開かれた立場こそが「全体主義」に陥らない立場といえる。
 なぜなら、全体主義は「一」からなる原理原則に固執し、それに反して偶然的に生じるものを異端、ないしは魔女として暴力的に抑圧することで成り立っている。

 こうして、21世紀の全体主義の様相と、それに対峙する私たちのありようが語られるのだが、それでは、実践的な面で私たちは何をなすべきかという点では、いささか心もとないものがある。

 まずは政治の中立化が図られるべきであり、そのためには、学者や学問、大学が政治的中立を確保し、その立場から政治にコミットすべきだとする。
 また、一方では大企業の倫理コンプライアンスチームの要員として哲学者が参加し、フェアトレードを実現すべきだともいわれる。
 また、新たな望ましい市民宗教として、強力な哲学的思考と科学的思考を融合させたものが提唱される。

 どれもまあ、実現すれば結構とは思うが、何かいまひとつインパクトに欠ける。
 また、政治、経済、市民社会での哲学の覇権というイメージを考えると、なんとなく、プラトンの「哲人政治」を想起してしまうのは私の的はずれな感想だろうか。

 まあ、いろいろ考えさせられる書ではあった。

 なお、昨年の夏、ガブリエル・マルクスの『新実存主義』(岩波新書)を読んでいるが、その折のノートを読み返してみて、やはり、いささか消化不良であるといえる。
  https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20200710

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自由への道は血塗られていた 『地下鉄道』(コルソン・ホワイトヘッド)を読む

2021-05-13 02:00:07 | 書評

 『地下鉄道』は、アメリカ、コルソン・ホワイトヘッド の小説である。この小説を読んだのは、彼の作品『ニッケル・ボーイズ』に感銘を受けたからである。実はこの『地下鉄道』 の方が前に書かれた作品で、私の場合は『ニッケルボーイズ』から遡ってこんな小説を書く人は 、他にはどんな作品を書いているんだろうかと興味を持ったからである。

              

 『ニッケル・ボーイズ』について衝撃的だったのはその内容もさることながら、この小説の舞台、ニッケル校のモデルになった少年院が、前世紀の中頃過ぎまで実在したということであった。ということは、私たちが先の戦争に敗北し、 アメリカ占領軍が経て、民主主義や基本的人権の洗礼を受けたその時点において、アメリカの本国においては、かくも凄惨な黒人差別が堂々と存続していたということなのだ。
 なお、『ニッケル・ボーイズ』についてはすでに先々月のこのブログに その感想などを書いている。以下を参照されたい。
  https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/d/20210322

 この『地下鉄道』のほうはさらに100年以上遡る南北戦争直前、19世紀の中頃以前のアメリカ南部が舞台である。
 当時アメリカは奴隷制廃止に傾いている北部と、奴隷制に固執する南部との対立が明確になり始めた頃であったが、奴隷制度は緩和されることなく、その凄惨な度合を保っていた。

             

 この小説は、そうした南部の綿花農園に育った黒人少女の逃避行の物語である。 そしてそれを援助するのは「地下鉄道」と呼ばれる秘密機関で、逃亡奴隷たちを安全な北部へ移送することを事業内容としていた。
 したがってこれは実際の鉄道ではないのだけれど、作者はそれを実際に地下道を走る蒸気機関車の線路網として描写し、この凄惨極まりない物語に幾分SF的な要素を持ち込んでいる。

 主人公の黒人少女 コーラは、 この地下鉄道を頼りに逃亡を図るのだがその行程は楽ではない。というのは、実際の援助組織がそうであるように、この列車も一路北部へ通じているわけではなく、行く先々で一定期間の停滞があった後、次の列車に乗る機会を待たなければならないのである。

          

 したがって、その足踏みの間にも、 賞金稼ぎ=奴隷ハンターの手が回る可能性があるのである。実際、彼女は何度もその危機に襲われ、実際にその手に落ちたこともある。
 このハンターたちは、残忍そのもので、邪魔をするもの、捕らえても採算に合わない者の顔面に銃を押し当て、平気でその引鉄を引く。

 その過程はまさにスリリングであるが、危機に陥るのは、コーラのように追われる者ばかりではない。彼女たちを助ける地下鉄道の組織の傘下にある人々もまた、見つかり次第なぶり殺しとも言われるような悲惨な最期を迎える。 事実、彼女と逃亡を共にしたり、その手助けをした人たちがこの作品の中では何人も血祭りに挙げられている。

             

 奴隷たちの扱いはまさに胸くそが悪くなるほど凄惨なのだが、逃亡奴隷を見つけたハンターたちは、それを殺戮することなく、「持ち主」のところへ届け、賞金をせしめる。ただしこれは、逃亡奴隷の命を保証するものではない。 奴隷たちは家畜以下の扱いにしか過ぎないのだ。

 もし家畜が逃亡するならば、見つけ次第それは 元の持ち主の元へ収容されて事態は収まる。ただし、逃亡奴隷の場合はそうではない。彼らのほとんどは、他の奴隷が集められたその衆目のなかで、残忍極まりない損傷を与え続け、なぶり殺しの刑に処せられる。
 家畜も 奴隷も持ち主にとっては商品であることには関わりないが、奴隷の場合は、その逃亡者にできるだけ残虐な処罰を与え、それを見せることによって、その他の奴隷たちの逃亡の意欲そのものを削ぐことができるのだ。

 主人公コーラは、これでやっと救われたかと思うシーンが何度もあるのだが、その都度新たな危機に見舞われ、その最後まで予断を許さない。
 ここに描かれているのは、レイシズムということすらおこがましいようなまさに鬼畜の行為ともいうべきだが、 ただしこれは、すでに過ぎ去ったことではない。その後遺症のようなものは、アメリカにおいては、南北戦争における北軍の勝利、奴隷解放宣言などを経て、さらには前世紀中盤の公民権運動等を経た後にも、なおかつ目を覆いたくなるような事象が絶えないのは。まさに近年のBLM運動が示すところである。

          

 もちろんこれはアメリカのみの問題ではない。人間を人間として扱わない行為は、前世紀には、ナチズムにおけるユダヤ人大量虐殺、日本軍による周辺諸国民に対する残虐行為、ソビエト連邦内における人民の敵に対する凄惨な粛清行為などなどがあったし、そして今なお、紛争地域においては民族浄化的な動きが絶えない。 そうした歴史上の、あるいは現実のさまざまな事柄に目を凝らすとき、自分自身がその同じ人類であることに ある種の戦慄を覚えざるを得ない。もちろんこれは、自分がそうならない保証が決してないという深淵を思うからである。

 最近、さまざまな意味で、人間というものは誕生しない方が良いのだという思想が広がりつつあると聞く。もちろんこの命題は、 人間が生存していると言う現実の上で、初めて主張できるという意味で、自己言及的な矛盾を抱えているが、そうしたことを主張したくなる状況そのものはわからないではない。
 
 人は、単純に性善説、性悪説に分けることはできない。 つまり人間は、状況次第によっては容易に鬼畜になり得るということである。それでは、自らが鬼畜にならず、また、人を鬼畜にしないことは可能なのだろうか。そのためには、何が必要なのだろうか。
 
 人が鬼畜になる構造や状況を知り得た者たちが、そうした構造や基軸になる状況そのもの実現を防止する営為を日常的に積み重ねるという「未完の努力、未完の過程」の継続でしかありえないのではないか。
 歴史にはここが到達点などという地点はありえない。私たちは、その過程のなかで、許される最良のものを選択しながら生きてゆくほかはない。
 そうした折、優れた文芸作品は、私たちの知らない他なる出来ごとの多様性を指し示してくれる。

          

 この小説を読み続ける間、私の頭のなかでは、下に貼り付けたビリー・ホリディ歌うところの「Strange Fruit」が鳴り響いていた。
 南部の樹々に吊るされた奇妙で異様な「黒い」フルーツ・・・・。
 英語と、日本語の訳詞を載せておく。

https://www.youtube.com/watch?v=Web007rzSOI


Strange Fruit

Southern trees bear strange fruit,

Blood on the leaves and blood at the root,

Black bodies swinging in the southern breeze,

Strange fruit hanging from the poplar trees.

Pastoral scene of the gallant south,

The bulging eyes and the twisted mouth,

Scent of magnolias, sweet and fresh,

Then the sudden smell of burning flesh.

Here is fruit for the crows to pluck,

For the rain to gather, for the wind to suck,

For the sun to rot, for the trees to drop,

Here is a strange and bitter crop.

奇妙な果実(Strange Fruit:訳詞)

南部の木は、奇妙な実を付ける

葉は血を流れ、根には血が滴る

黒い体は南部の風に揺れる

奇妙な果実がポプラの木々に垂れている

勇敢な南部(the gallant south)ののどかな風景、

膨らんだ眼と歪んだ口、

マグノリア(モクレン)の香りは甘くて新鮮

すると、突然に肉の焼ける臭い

カラスに啄ばまれる果実がここにある

雨に曝され、風に煽られ

日差しに腐り、木々に落ちる

奇妙で惨めな作物がここにある。


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言語論的考察のあとに来るもの 多和田葉子さんの小説について

2021-03-10 16:13:05 | 書評

 多和田葉子さんの小説はかなり読んできた。
 端的にいって面白かったし、それに、言語について極めて意識的な作家として見るべきものがあると思っていたからだ。
 事実彼女は、ドイツに在住し、ドイツ語でも表現活動を行い、1996年にはドイツ語を母語としないにも関わらずドイツ語で文学活動を行っている作家が選考の対象とされるシャミッソー文学賞を受賞している。

 小説ではなく言語への立場を述べた彼女の書には『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』(岩波書店2003年 のち岩波現代文庫)、『言葉と歩く日記』岩波新書、2013年などがある。

            

 最近読んだのは、『星に仄めかされて』(2020年)で、これは前作、『地球にちりばめられて』(2018年)の続編をなしている。
 ざっくり言ってしまえば、もはや「NIPPON」という国もその列島も消滅してしまったと思われる未来社会において、失われた言語(日本語?)とそれを話す同胞を求めてヨーロッパを旅するHIRUKOが、それらしい人物SUSANOOに出会うという物語で、その周りにはまた、トランスナショナルな人物たちが配置されている。

 こう書いただけで明らかなように、やはりこれも言語をめぐる物語といえる。
 
 しかし、部分的に面白い点があるものの、トータルとしてはあまり印象に残らないのだ。私はなにを読んだのだろうと自問したとき、これと浮かぶような印象が希薄なのだ。

            

 なぜだろうと考える。それはどうも彼女の興味の対象の、ある種の閉塞性にあるのではないだろうか。彼女は、言語に対して意識的であると書いた。しかし、逆にその強度がまさって、メタ小説、あるいはメタ言語的な小説を目指しているのではあるまいか。その試みを全面的に否定しようとは思わないが、それによって犠牲にされているものがあるのではないかと危惧するのだ。

 確かに言語論的な意識は彼女の特異点かもしれない。とくにシニフィアン(表現される言葉や記号そのもの 例えば「花」)とシニフィエ(それによって指示される内容 例えば「花」と言われて思い浮かぶイメージなど)を峻別し、そのうちのシニフィアンのもつマテリアルな質量感とその戯れを描くのは彼女の文章の特徴ともいえる。

 しかしである、それに基づく小説となると、ある実験的な意味合いはあるとしても、それが面白いのかというと、それは別問題のようにも思われる。
 やはり、小説にはグローバルであれ、極小化された私的なものであれ、状況との切り結びのようなものが必須に思われる。
 多和田さんの近作にそれがないとはいわないが、言語論的意識高い系が目立って、そうした状況との関係が希薄になっているのではないかと思ってしまうのだ。
 そしてそれが、読み終わっても何かもの足らない印象しか残らない要因ではあるまいかと思うのだ。

            

 『献灯使』までは面白かった。たしかにここでも、ダジャレに似たシニフィアンの戯れのような表現は多くでてくるが、そこで描かれる緩やかなディストピアのイメージは、あの3・11後を示唆する近未来を思わせ、それへの応答としてのリアルさを失ってはいなかった。 

 しかし、近作の『地球にちりばめられて』や『星に仄めかされて』には、何かそうしたリアルな芯のようなものが感じられないのだ。したがって、次ページを繰る際のあのドキドキ感も以前のようではない。
 むろんこれは、私の読みの浅さにのみ起因する一方的な感想であるかもしれない。 

 読者である私が求めているのは、言語論的洞察そのものではなくて、その上に立ってどのような小説が可能かである。多和田さんもそうした点でいろいろ模索をしているのかもしれない。
 かなり否定的なことを書いたが、もう少し、この作家に寄り添って読んでみたいとは思っている。

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統合失調症と診断された人の書から学ぶ 「ぼーっとすると、よく見える」

2021-03-07 01:23:16 | 書評

  「ぼーっとすると、よく見える  統合失調症クローズの生き方
             あべ・レギーネ  ラグーナ出版 1,200円+税      

【書の内容に即して】
 ひょんなことから統合失調症と診断されたひとの手記を読んだ。   
 この書を読んでいて驚くのは、著者が極めて自省的であることだ。自分の置かれた状況、そこへ と立ち現れる他者、そしてその言動、それへの自分の応答とそれによる新たな状況の変化、それ らが逐一、意識的に捉え返されているのだ。 

            

 私のずさんな世渡りでは、それらはほとんど意識的な自省 の対象にならないままスルーされ、なんとなく周辺とのバラン スが保たれている。しかし著者は、その過程を意識的にとり行 う。いやとり行わなければならないのかもしれない。   
 著者はその診断内容を他者に対してオープンにすることな く、いわゆる「クローズ」のままで日常を送っている。それは それで緊張を余儀なくされる。上に述べたその自省ぶりも、他 者に与える違和感を最小限にしてその間で生きるたため自衛に 通じているのかもしれない。   

 それではオープンにすれば楽になるのかというと、逆に、そ れが著者のような立場の人をより生きにくくさせる現実がある ことは否めない事実なのだ。   

 そうした状況を踏まえたこの書には、それらの自己省察の記述であるとともに、病名をクロー ズにしながら生きてゆく筆者がある種の平衡を獲得してゆくに至った姿が自己ドキュメンタリー 風に展開されている。ある意味ではそれは、彼女がそこでもがき苦しんできた軌跡ともいえる が、その過程が、失礼ながらとても面白いのだ。   

 第二章でのアザミ先生との関係は、どちらが治療者かわからないほどに辛辣であり、相互に 「伝わらない」感が解けないままに終わる。この場合、こうした ディスコミュニケーションのリアルで自覚的な意識は、治療者で あるアザミ先生よりむしろ患者である著者の方にこそあるよう で、あやうく治療ー被治療の関係が逆転しそうなのである。   

 これがその後の転院の結果、別の関係に変化してゆくくだりも 面白い。人と人が繋がるコミュニケーション、繋がらないコミュ ニケーション、その差異は何なんだろうと思わず考えさせられ る。   クローズで生きるということは人並みに仕事をもつことであ る。著者もまた職業をもつ。ただし、二つもだ。一つは日常的 に務めるいわば糊口をしのぐための仕事で、もうひとつは自分の 趣味と合致した仕事なのだが、こちらの方は頻度が低く、これ だけでは食えない。

                

 彼女は、この二足のわらじを、当初は後者のために前者をするかのように語っていたが、読み 勧めるうちにそうでないことがわかる。多くの主婦同様のパートの仕事は社会的評価も低く、家 族の間でも評判は良くないのだが、しかし、それはそれで社会で必要とされる労働の一端なので あり、自分の生活を支える場なのだとして、それを決して疎ましくは思わないという境地に至 り、ときとしてその単純労働に自らの積極性によるプラスαを付与したりもする。   

 ともすれば否定的に評価される病い、自分もその否定性に陥りそうな地点から反転するには何 らかの基盤が必要とされる。彼女はそれを、「際限のない劣等感に底ができた」と表現する。ひ たすら沈下し続けた者が、底へと到達し、それを蹴って浮上してくるイメージがそこにはある。   

 それは言ってみればある種の居直りにほかならない。居直ることによって自己肯定の契機を得 る、そして「自分は自分でよいではないか、私はこの自分に 満足している」と言えるようになり、ついには「自分で人生 を転がしていく体験」を得るに至る。もちろんそこに至るに は彼女の側からの並々ならぬ努力があるのはいうまでもな い。   それは、さまよえる客体として、身の置きどころを探してい た「私」が、主体として立ち上がる契機でもある。ニーチェ 風に言うならば、ルサンチマンを捨て、自分の生を「ヤー」 と肯定してゆく瞬間である。

               

 とはいえ、この病と診断された者にとっての生活の条件 は、自らの「気のもちよう」によってのみ規定されているわ けではない。当然、それをとりまく社会的諸条件とのすり合 わせが不可欠である。   

 著者が恐れるのは、入院や隔離を強制されることである。そ んななか、彼女は「精神病院を廃絶した」というイタリアのことを知る。そこで彼女はその行動 力を発揮してイタリアのトリエステに向かい、かつての病院跡に開設された開放病棟的なミーティ ングにも参加する。   

 そのなかで彼女は、患者が自由にその環境を選んで生活することの重要性、必要性を自分自身 に刻み込み、その実現のための工夫を求めてゆくに至る。   
 「患者が健全に社会参加するのは難しい。はっきり言って、友達付き合いすら難しい。自らを 人間の枠に入れて考えるのさえ難しいことがある。なので余計に、病者の権利を主張することは 重要になってくる。病者にとっては、誇りをもつことが、健常者以上に重要なのである」   
 これは、イタリア紀行を回想した彼女のエッセイの結語部分である。   

 ここにも、ネガとしての自分の存在をポジに転じる決意が述べられている。   それを、さらに平たく表現した言葉で、彼女の書は閉じられる。   
 「病気ゆえにできなかったことを数え上げることはせず、病気ゆえにできたこと、わかるこ と、味わえることを生活の礎にして、笑って、自由に生きてゆきたい」 

               

 通読して圧倒された。これまで「健常者」として、「病者」を対象として見たり、それについて書かれた書に接し たことはあるが、「病者」そのものの自己省察から、これ ほど豊かで示唆に富んだ言葉を受け取ったことはない。   
 その語りは、凡百の人生論よりもはるかにリアルで生き ることの機微に通じている。   読み進めるうちに、第二章で「患者」であるはずの彼女 によってその対象として「診断」されてしまうアザミ先生 のように、私自身の曖昧な生き様に、彼女のメスが当てら れるような気分になるから不思議だ。   

 人が真摯に生きるというのはどういうことかのひとつの 具体的な事例がここにはある。   それは、一般的なお題目ではない、透徹した立場からの 優れた人生論だともいえる。 
 病の有無に関わらず、一般性をもった書として一読に値すると思う。   
 その病いをもったり、それに近い状態にある人には、それを生き抜いてきた先達の事例とし て、心強い導きの書たりうるだろうことは言うまでもない。   

 なお、付録に彼女が作った「いろはかるた」がある。言ってみれば日めくりの隅に書かれた箴 言集のようなものだが、一般的な意味での人生訓ではなく、彼女自身が遭遇している状況への対 応の心得のようなものとしてのリアルな重みがある。   そしてそのうちのいくつかは、私の胸にもじゅうぶん響くものであった。   

【私が考えるとことなど】
 このように一般化してしまっていいのかどうかにはいささかの躊躇はあるが、私なりの まとめのようなものを記しておこう。   
 どんな人でも、意識するしないに関わらず単独者としての自負がある。いうならば私は 私という自同律に裏打ちされた自意識の結節点のようなものである。それはしばしば、優 越性として働く場合がある。誰がどう言おうが、私と私が感得している世界は唯一無二の ものであり、他者の侵犯を許すものではないというわけだ。   

 しかし一方、私は他者と交わることなく生きては行けない。他者はまた、私同様に固有 の「私」とその固有の世界をもっている。   
 人と交わるということは、そうした相互の世界がぶつかり、浸透し合ったり、反発し 合ったりすることである。そこで否応なしに知らされるのは、他者は私のアンダーコント ロールのもとにあるのではないという他者の絶対的他性のようなものである。 

             

 こうして、私は私としての優越性と、私の力及ばない他者としての他なる存在へのコン プレックスや劣等感との間を往還することになる。優越感と劣等感の併存、あるいは交互 の顕現。人は多かれ少なかれそうした往還運動の中にあるのではあるまいか。   
 
 この状況に耐えきれず、恨みつらみの顕在としてのルサンチマンの立場を生きる人たち がいる。彼らは疑似信仰や疑似科学へと身を寄せることによって、自分たちの不安定さを 糊塗し、それでもなお不安を払拭できない場合には、そうした擬制の真実から自分たちを 隔てようとする陰謀が働いているとする。ネットウヨクなどに蔓延するフェイクに依拠し た陰謀論の世界観もそうした一例であろう。   

 優越感と劣等感の併存、そしてその往還は私の中にもある。それは常態なのだとは思う のだが、しばしばそのいずれかが支配的になり、私を苛む。   
 短期間であったが、若年の折、ヒッキーに陥り、死の影がちらついたことがある。そこ から生還できたのは、それ自身がより浅い具体的要因によるものだったこともある。 

          

 しかし、その生還のパターンは、この書で述べられている彼女の具体的経験と重なる部 分が多い。   
 劣等感に「底」ができ、それを蹴って浮上する瞬間、自己肯定による居直り(=状況を 引き受ける決意)への到達、「主体」として「自分の人生を転がしてゆく」能動性の獲得。 
 人が他者と共存して生きてゆくことは、無意識に流されているうちはともかく、意識的 に引き受けてゆこうとした場合けっこう困難を伴う。しばしば訪れる決別や逃避などの裂 け目は、それを垣間見させてくれる。   

 彼女はそれを日常的に生きてきて、ある地点へと到達した。そこにはただ受け身である ばかりではなく、卓越した自己省察と、自己をとりまく客観的状況の変革をも目指し、精 神治療そのものを積極的に学ぶという営為があったことを忘れてはならない。 

                

 既に述べたことの繰り返しになるが、一般的なお題目ではない、透徹した立場からの優 れた人生論がここにはある。   
 病の有無に関わらず、一般性をもった書としてじゅうぶん一読に値する。   
 その病いをもったり、それに近い状態にある人には、なおさらのこと、それを生き抜い てきた先達の事例として、心強い導きの書たりうるだろうことは言うまでもない。               

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