六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

早口言葉ではないのですが・・。

2007-04-25 14:49:52 | フォトエッセイ
 一昨日の日記は私にとってはとても有益であった
 休耕田にはレンゲが生えているにもかかわらず、現役の田圃にはレンゲが生えていないという私の発見と謎解きに、その道の専門的な知識を持った人が適切な補足をしてくれたのだ。
 やや長文であるが引用する。

 「レンゲを肥料としない理由にもう一つ<こしひかり>の普及があります。昔は5月にレンゲを鋤込み6月に田植えをする農林○号という品種が作られていました。今は食味を優先するということで沢山コシヒカリが作られていますが、この品種、もともと田圃にある分も含め田植え前に入れる窒素分肥料の量を正確に管理しなければいけない品種なんです。さもなくば収穫前に倒れてしまい品質の低下と大幅収量減となってしまう。。。レンゲによって春作られる窒素肥料分がその年どれだけあるか全くわからないので田植え前にどれだけ肥料を入れたら良いが分からないということで恐くてコシヒカリ作る田圃にレンゲなど蒔けないという訳です。また田植えの時期も4月中旬~5月初旬(中旬も可かな?)ということでレンゲを鋤込んでも肥料化する時間的余裕もなく水を入れて代掻きしなくてはいけなくなる。。。こうなるとレンゲも肥料どころか田植えにじゃまな単なる雑草に成り下がってしまう。
コシヒカリばかりを喜んで食べている我々もレンゲによる循環農業を衰退させていることの片棒を担いでいるとうことも言えると思います。」 (カラーによる強調は六による)

  おかげで、現在の米作りの一端がさらに明らかになった。
 「レンゲ畑から世界が見える」というタイトルもあながちオーバーではなかったという次第だ。

 
 
 花の話題が続いたのでさらに続ける。
 この花、どこの道ばたにでも咲いている雑草の一種だ。
 見慣れてはいるが名前は知らない(ご存知の方、例によって教えてちょうらいませませませ)。

 これがまた、わが家の片隅にいつの間にか侵入してきた。
 雑草である以上引っこ抜いて始末を付けるべきだろう。
 しかしである、こんなに可憐に咲かれてしまっては引っこ抜くには忍びないではないか。

 
 
 よくよく見ると、花の回りの薄紫が何とも言えない風情だ。
 だいたいが、雑草であるかそうでないかは、商品価値や希少性によって人間が恣意的に決めたものに過ぎない。
 だから、「雑草即抜く」と短絡するのはやめ、ひとまず、花の終わるまでは刑の執行を猶予することとした。

 
 
 早口言葉風にいえば、「可憐な花は、引き抜きにくい」だ。


                       
コメント (3)
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