伊藤益臣氏の著作から
昨日、私にメールをくれた知人がCCとして同じ文面を伊藤益臣氏にも送っていて、それによって氏のメルアドを知ったばかりでした。「しめた、これで氏宛のメールで文書添付なども送付出来る」と早速アドレス帳に登録したのでした。
そこへ届いた訃報です。
今からでも遅くはない、何かメールを送ってみようという誘惑につい駆られるではありませんか。
伊藤益臣氏とは、まだ三年ほど前からの付き合いですが、毎月一回の勉強会で顔を合わせ、その後の二次会(彼はそれを「補習授業」といっていました)で親しく歓談する仲でした。先月の例会でもそうでした。そして、今月の例会もそうあるだろうと思っていましたのに・・。
大往生であったと思います。
私と同じ70歳の人に「大往生」はないかも知れませんが、その終焉の迎え方がまさに大往生だと思うのです。
親しくなる以前の詳しい病歴は知りませんが、前立腺癌が背骨と骨盤に転移していて手術は不可能という病を背負いながら、地獄の入り口から閻魔様に追い返されて帰還したといっていました。そして、その癌を真正面に見据えながら、それについて語り、新聞のコラムの連載をこなし、ついにはそれらをまとめて一冊の書までなしてしまいました。実に逞しいというほかありません。
それ以上に大往生だと思うのは、そうした病を抱え込み、休火山の上に座しているような身でありながら、最後の最後まで、決して節制というものをしなかったということです。
酒はおそらく私以上にたしなんだようですし、煙草も欠かすことはありませんでした。館内禁煙の会合などの前、ひとり屋外で煙草をくゆらせていた氏の姿が目に浮かびます。
そうしたなかで、文筆に、芝居に、詩の朗読にと八面六臂の活躍を続けてきた氏は、いわば「欲望する身体」に忠実に生き続けてきたといえるのかも知れません。
だから大往生だと思いますし、本人にも悔いはないだろうと思うのです。
私はかつて、氏の、おそらくは主著に相当すると思われる『ひとつの昭和精神史』という著作への書評というか感想文を書いたことがあります。
この書の中で氏は、その対象とした折原脩三(大銀行の行員でありながら思索を続けた)と自らをオーバーラップさせるかたちでいろいろな言葉を拾い上げています。それは例えば、「節約原理の拒否=安易な道を選ばない」、「老いを動態として生きる」、「世間を裁判官としない」、「言葉と姦淫しない」、「一切が解釈」などなどですが、伊藤氏の生き様こそ、まさにそれを生ききったといえましょう。
その意味でもまさに大往生といえると思います。
先に私と同年だといいました。最も多感な学生時代を学校こそ違え同じ名古屋の地で、同じ時代の空気を吸って来た者同士です。
その意味でも、あれ以来継続する時代のアウラがまたひとつ希薄になったようで心細い限りです。
天国か地獄かは知れませんが、どこかで紫煙がスーッと流れたら、目を細めて煙草を味わう氏がそこにいる筈です。
何はともあれ、伊藤益臣氏のご冥福をお祈りします。
(09・4・6 訃報を聞いた日に)
*伊藤益臣氏の仕事は以下で分かります。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%88%C9%93%A1%89v%90b/list.html