私の家のさして広くない空間にあちらにひと株、こちらにひと株と数本の南天があります。
そのほとんどが気がついたらそこにあったというずぼらな飼い主によって、水だけ与えられて大小それぞれに育っています。そして今、それらが一斉に小粒な花を付けています。

南天なんてどれも似たようなもので特定したり名付けたりはしないのでしょうが、二本だけ例外があり、特定することができるのです。
そのうちの一本は亡父の家の裏庭にあったもので、その小さな坪庭を取り壊す際、記念にもらってきたものです。この南天、他のものに比べて葉の形状が柳のようなので、私は密かに「親父の柳南天」と名付けています。
この「柳」のイメージは、一五歳の折に、福井県は九頭竜川の源流にある山村から「柳行李」ひとつをもって油坂峠を越え、岐阜へ奉公に来た亡父の経歴を想起させます。
高等小学校しか出ませんでしたが、頭のいい人でした。知識はともかく、「知恵」に関することはこの亡父に多くを教えられました。

これが「親父の柳南天」の葉 ね、柳みたいでしょう
しかし、今日述べるのはもう一本の方で、こちらは「寿限無の南天」と呼んでいるものです。
私はかつて、犬を三匹飼ったことがあります。むろん、同時にではありません。それら三匹はれっきとした血統書付きの(?)雑種でした。
そのうち二匹は、私が無造作に育てている植物同様、いつの間にか迷い込んだものです。
一番最初のそれは、白っぽい犬で、家に居ついて離れようとしません。いればいるで、こちらも親近感を持ちますから残飯の餌をやったりします。するとまた懐くという次第です。
それでもどこかの愛犬かもと、通りに面したところにしばらく繋いでおきました。飼い主らしい人はいっこうに現れません。放してやると、近くにいるだけですっかり私の家を自分のねぐらと心得ているようで、すぐに帰って来ます。
そのうちに、子供たちの「飼ってくでぇぇぇ」という猛攻もあって、本格的にわが家の犬と認定して飼うことにしました。名前は、当時、NHKでやっていた幼児向け番組の「ブー・ウー・フー」からとり、「フー」にしました。
勘のいい方はお分かりのように「お前だあれ?」の「Who?」でもあります。

よく見ると均整がとれた美しい形ですね
この犬はとても温和しかったのですが、ある日、安らかに自然死を致しました。だいたい来た時の年齢が分かりませんから、享年は不明です。
この犬は、今はなき初代の桜ん坊の木の元に埋めました。翌年には大粒の実がたわわに実りました
その後、また同じようなことが起きました。
今度は鎖を付けたままの犬が迷い込んできたのです。しかも、その鎖が柵の根っこに絡んでとれなくなり、ギャンギャン鳴いています。そのくせ、それをはずしてやろうとすると、牙をむきだしてどう猛な表情で威嚇するのです。
持久戦でした。
水をやったり、餌をやったりして懐柔しようとするのですがそっぽを向いています。しかし、自然の摂理には勝てないようで、私たちが見ていないとそれらを飲み食いしているようです。
そのうちにさしもの彼も、親愛の情とまでは行かなくとも、威嚇の表情を見せなくなりました。誰が彼の生命を維持しているのかに賢明にも気づいたようなのです。おそるおそる近づいても噛みつく気配はありません。
やっとのことで、複雑に絡みついた鎖をほどくことが出来ました。鎖が付いている以上、飼い犬であることは明らかです。変に放して車に轢かれてもということで、また、通りに面したところへ繋いで様子を見ました。しばらくしてもなんの音沙汰もないので、犬を放してみました。どこかへしばらく行っている様子ですがまた帰ってきます。
かくして彼は、「二代目・フー」の座に収まったのです。

一見、白いだけの花ですが、けっこう多彩です
この犬の最後は哀れでした。散歩に連れて行ってやろうと散歩用の引き綱に取り替えようとした時に、ふと取り逃がしてしまったのです。
散歩は犬の一番の娯楽です。興奮して飛び跳ねます。私が再び取り押さえようとした途端、彼は飛び跳ねながら道路へ出てしまいました。そこへ自動車が・・。
こんな小さな動物がと思うほどドンという大きな音が聞こえました。跳ねとばされた彼は、それでもヨタヨタと私の足元まで来てぱたりと倒れました。そして尻尾をに二、三度力なく振り、やがてすべての動きが止まりました。
かくして我が家は、同じような経歴でやって来た二匹の犬、初代フーと二代目フー(世襲ではありませんよ)を失ったのでした。
あ、長くなりました。肝心の「寿限無の南天」の話は次回に譲ります。
そのほとんどが気がついたらそこにあったというずぼらな飼い主によって、水だけ与えられて大小それぞれに育っています。そして今、それらが一斉に小粒な花を付けています。

南天なんてどれも似たようなもので特定したり名付けたりはしないのでしょうが、二本だけ例外があり、特定することができるのです。
そのうちの一本は亡父の家の裏庭にあったもので、その小さな坪庭を取り壊す際、記念にもらってきたものです。この南天、他のものに比べて葉の形状が柳のようなので、私は密かに「親父の柳南天」と名付けています。
この「柳」のイメージは、一五歳の折に、福井県は九頭竜川の源流にある山村から「柳行李」ひとつをもって油坂峠を越え、岐阜へ奉公に来た亡父の経歴を想起させます。
高等小学校しか出ませんでしたが、頭のいい人でした。知識はともかく、「知恵」に関することはこの亡父に多くを教えられました。

これが「親父の柳南天」の葉 ね、柳みたいでしょう
しかし、今日述べるのはもう一本の方で、こちらは「寿限無の南天」と呼んでいるものです。
私はかつて、犬を三匹飼ったことがあります。むろん、同時にではありません。それら三匹はれっきとした血統書付きの(?)雑種でした。
そのうち二匹は、私が無造作に育てている植物同様、いつの間にか迷い込んだものです。
一番最初のそれは、白っぽい犬で、家に居ついて離れようとしません。いればいるで、こちらも親近感を持ちますから残飯の餌をやったりします。するとまた懐くという次第です。
それでもどこかの愛犬かもと、通りに面したところにしばらく繋いでおきました。飼い主らしい人はいっこうに現れません。放してやると、近くにいるだけですっかり私の家を自分のねぐらと心得ているようで、すぐに帰って来ます。
そのうちに、子供たちの「飼ってくでぇぇぇ」という猛攻もあって、本格的にわが家の犬と認定して飼うことにしました。名前は、当時、NHKでやっていた幼児向け番組の「ブー・ウー・フー」からとり、「フー」にしました。
勘のいい方はお分かりのように「お前だあれ?」の「Who?」でもあります。

よく見ると均整がとれた美しい形ですね
この犬はとても温和しかったのですが、ある日、安らかに自然死を致しました。だいたい来た時の年齢が分かりませんから、享年は不明です。
この犬は、今はなき初代の桜ん坊の木の元に埋めました。翌年には大粒の実がたわわに実りました
その後、また同じようなことが起きました。
今度は鎖を付けたままの犬が迷い込んできたのです。しかも、その鎖が柵の根っこに絡んでとれなくなり、ギャンギャン鳴いています。そのくせ、それをはずしてやろうとすると、牙をむきだしてどう猛な表情で威嚇するのです。
持久戦でした。
水をやったり、餌をやったりして懐柔しようとするのですがそっぽを向いています。しかし、自然の摂理には勝てないようで、私たちが見ていないとそれらを飲み食いしているようです。
そのうちにさしもの彼も、親愛の情とまでは行かなくとも、威嚇の表情を見せなくなりました。誰が彼の生命を維持しているのかに賢明にも気づいたようなのです。おそるおそる近づいても噛みつく気配はありません。
やっとのことで、複雑に絡みついた鎖をほどくことが出来ました。鎖が付いている以上、飼い犬であることは明らかです。変に放して車に轢かれてもということで、また、通りに面したところへ繋いで様子を見ました。しばらくしてもなんの音沙汰もないので、犬を放してみました。どこかへしばらく行っている様子ですがまた帰ってきます。
かくして彼は、「二代目・フー」の座に収まったのです。

一見、白いだけの花ですが、けっこう多彩です
この犬の最後は哀れでした。散歩に連れて行ってやろうと散歩用の引き綱に取り替えようとした時に、ふと取り逃がしてしまったのです。
散歩は犬の一番の娯楽です。興奮して飛び跳ねます。私が再び取り押さえようとした途端、彼は飛び跳ねながら道路へ出てしまいました。そこへ自動車が・・。
こんな小さな動物がと思うほどドンという大きな音が聞こえました。跳ねとばされた彼は、それでもヨタヨタと私の足元まで来てぱたりと倒れました。そして尻尾をに二、三度力なく振り、やがてすべての動きが止まりました。
かくして我が家は、同じような経歴でやって来た二匹の犬、初代フーと二代目フー(世襲ではありませんよ)を失ったのでした。
あ、長くなりました。肝心の「寿限無の南天」の話は次回に譲ります。