暦の上ではもう立秋だそうだが、地域の盆踊り大会の音頭などがあるいは近く、あるいは遠く聞こえたりすると、夏たけなわの感もある。遠く、近く聞こえるのは地域ごとに開催日を調整しているからだ。踊り好きな人は、今日はあちら、明日はこちらと踊り歩くらしい。
宵の口は子供たちに合わせてTVのアニメソングなどが聞こえるが、やがて東京音頭になり、炭坑節になったりする。なぜ、美濃の国で東京音頭なのか、あるいはいまの若い人に炭坑節が分かるのかなどとつい思ってしまうのだが、まあ、それも野暮な詮索といえるだろう。
しかしやがて、終盤に近づき、幼い頃から聞き慣れた郡上節の「かわさき」や「春駒」が聞こえたりすると、なぜかホッとしてしばし耳を傾けたりする。
「かわさき」の
♪郡上のなぁ 八幡出て行くときは 雨も降らぬに袖絞る♪
の袖絞るが涙を含意し、百姓一揆の訴人たちが命がけで郡上を発つときの情景であることを知ったのはいつ頃のことだったろう。
替え歌としては
♪郡上のなぁ 八幡出て行くときは 雨も降らぬに「みの」恋し♪
があるが、これは簑と美濃をかけたものである。
同じく、郡上節の中で「春駒」というややアップテンポな歌があるが、その中の歌詞で、1184年(寿永3)の宇治川の先陣争いで梶原景季の愛馬であり名馬として知られた磨墨(するすみ)と、やはり佐々木高綱が騎乗する名馬の誉れ高い池月(いけづき「生食」とも書く)とが先陣を争った際の、その磨墨が八幡近くの明宝・気良(けら)の里から出た馬であることも知った。
その歌詞にいう。
♪郡上は馬所(うまどこ) あの磨墨の名馬だしたも ササ気良の里 七両三分の春駒春駒♪
この郡上八幡の近くには「磨墨の里公園」という道の駅を兼ねたエリアがあり、そこで馬刺しのブロックを買ったことがある。ポーランド産だったが適当にサシがあってうまかったので文句を言う筋合いはない。
もっとも、この磨墨伝説は全国各地にあるようなのだが、美濃国の人間としてはこの奥美濃説を一応は支持したい。それにこの「春駒」というのは軽快で好きな歌であり踊りなのだ。
春駒が下駄で跳ねてる郡上節 六
なお、本場の郡上八幡では明日13日から、14、15、16日の四日間、宵から明けまで徹夜踊りが開催される。この郡上踊り、日本三大盆踊りに数えられ無形文化遺産にもなっているようだ。
さて地元の夜に戻ろう。
盆踊りとオーバーラップするように聞こえていた花火遊びの音色が次第に鮮明になるのは、やはり、盆踊りが終わった頃である。花火の音のみではなく、それに伴う嬌声などがはっきりと聞こえるようになる。
やがてそれらも次第に静まり、往来する車もめっきり減ると、遠く夜汽車がひた走るのがかすかに聞こえてくる。
かくて夏の夜は更けてゆく。
ん? やはり秋の気配がそこはかとなく・・・・・ <追記>があります。
<追記> このブログに時々コメントをいただいているTさんが、毎年6月に東京は青山で郡上踊りの会があることをお書きになっていらっしゃいますが、この青山という地名、郡上踊りの隆盛に功績があった往時の郡上藩主、青山公の江戸屋敷跡だからだそうです。
なお、このTさん、郡上のご出身でその縁もあってか青山にお住まいです。
なお、郡上一揆(いわゆる宝暦騒動)の藩主はその前の金森公で、お家断絶になっていますが、百姓の側にも大勢の犠牲者が出ました。郡上踊りは、それらの人たちの霊を慰める意味もあります。
宵の口は子供たちに合わせてTVのアニメソングなどが聞こえるが、やがて東京音頭になり、炭坑節になったりする。なぜ、美濃の国で東京音頭なのか、あるいはいまの若い人に炭坑節が分かるのかなどとつい思ってしまうのだが、まあ、それも野暮な詮索といえるだろう。
しかしやがて、終盤に近づき、幼い頃から聞き慣れた郡上節の「かわさき」や「春駒」が聞こえたりすると、なぜかホッとしてしばし耳を傾けたりする。
「かわさき」の
♪郡上のなぁ 八幡出て行くときは 雨も降らぬに袖絞る♪
の袖絞るが涙を含意し、百姓一揆の訴人たちが命がけで郡上を発つときの情景であることを知ったのはいつ頃のことだったろう。
替え歌としては
♪郡上のなぁ 八幡出て行くときは 雨も降らぬに「みの」恋し♪
があるが、これは簑と美濃をかけたものである。
同じく、郡上節の中で「春駒」というややアップテンポな歌があるが、その中の歌詞で、1184年(寿永3)の宇治川の先陣争いで梶原景季の愛馬であり名馬として知られた磨墨(するすみ)と、やはり佐々木高綱が騎乗する名馬の誉れ高い池月(いけづき「生食」とも書く)とが先陣を争った際の、その磨墨が八幡近くの明宝・気良(けら)の里から出た馬であることも知った。
その歌詞にいう。
♪郡上は馬所(うまどこ) あの磨墨の名馬だしたも ササ気良の里 七両三分の春駒春駒♪
この郡上八幡の近くには「磨墨の里公園」という道の駅を兼ねたエリアがあり、そこで馬刺しのブロックを買ったことがある。ポーランド産だったが適当にサシがあってうまかったので文句を言う筋合いはない。
もっとも、この磨墨伝説は全国各地にあるようなのだが、美濃国の人間としてはこの奥美濃説を一応は支持したい。それにこの「春駒」というのは軽快で好きな歌であり踊りなのだ。
春駒が下駄で跳ねてる郡上節 六
なお、本場の郡上八幡では明日13日から、14、15、16日の四日間、宵から明けまで徹夜踊りが開催される。この郡上踊り、日本三大盆踊りに数えられ無形文化遺産にもなっているようだ。
さて地元の夜に戻ろう。
盆踊りとオーバーラップするように聞こえていた花火遊びの音色が次第に鮮明になるのは、やはり、盆踊りが終わった頃である。花火の音のみではなく、それに伴う嬌声などがはっきりと聞こえるようになる。
やがてそれらも次第に静まり、往来する車もめっきり減ると、遠く夜汽車がひた走るのがかすかに聞こえてくる。
かくて夏の夜は更けてゆく。
ん? やはり秋の気配がそこはかとなく・・・・・ <追記>があります。
<追記> このブログに時々コメントをいただいているTさんが、毎年6月に東京は青山で郡上踊りの会があることをお書きになっていらっしゃいますが、この青山という地名、郡上踊りの隆盛に功績があった往時の郡上藩主、青山公の江戸屋敷跡だからだそうです。
なお、このTさん、郡上のご出身でその縁もあってか青山にお住まいです。
なお、郡上一揆(いわゆる宝暦騒動)の藩主はその前の金森公で、お家断絶になっていますが、百姓の側にも大勢の犠牲者が出ました。郡上踊りは、それらの人たちの霊を慰める意味もあります。