六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

史跡・金華山 岐阜公園 名残の紅葉

2010-12-02 04:16:32 | 写真とおしゃべり
 国道22号線を名古屋方面から北上すると、やがて木曽川に架かる橋に至るのだが、ここが岐阜県との県境になる。岐阜市はこの県境から近いため、橋を渡るとすぐ前方にに岐阜の街を遠望でき、同時にこの街を守護するようにそびえる金華山を目にすることになる。
 その瞬間、岐阜の人間は、「やれやれ、やっとわが街へ帰ってきた」と深い安堵の念を抱くのである。

     

 斎藤道三、織田信長の居城を頂にもつこの山は、長良川と並んで岐阜市民のシンボル的存在ともいえる。
 事実この山は、岐阜市内のどこからでも仰ぎ見ることが出来、岐阜の土着民にとっては、目を閉じればその風貌をきっちり思い描けるような山なのである。

 その山が11月中旬、国の史跡に認定された。個別の建造物ではなく山全体が史跡というケースはまれらしい。
 先に述べた頂上にある城のみではなく、麓の「千畳敷」といわれる場所の信長の住居跡(現在発掘調査中)をも含めて、この山全体が山城として機能していたということで、「中世から近世への転換期に当たる日本史上重要な城」と評価されたようなのだ。

        
 
 別に国に認定して貰わなくとも、岐阜っ子は今までもず~っとこの山を愛してきたのだが、それでもなお、改めて第三者に認められ、日本に住む人々の歴史的共有財産として認められたということは、今まで同棲関係であったものが、正式に入籍したぐらいの嬉しさはあるもので、密かだった自分の誇りが人々に承認された感慨が湧いてくるから不思議だ。

     

 さっそく、ちょっと仕事がらみの取材をかねて、その山麓の岐阜公園(といってもかなり広大ですぞ)へ行って、写真などを撮ってきた。そしてそれは図らずも、名残の紅葉との出会いでもあった。
 全体的には好天だったが、さして高くないとはいえ山の近く、街中とは状況がまったく変わり、小春日和に時折、狐の嫁入りが混じるといった有様だった。

       
       板垣退助受難の地・像       今年は多いという
      板垣死すとも自由は死せず

 
 子供の頃から馴染んだ場所ではあるが、改めて自分の足で歩いてみると、なかなか趣のある場所であることに改めて気づく。全体的には自然がすばらしい。そして、そこに差し込まれるようにして作られた人工のものも、けっこう全体とマッチしていてある種の風情を醸し出している。

          

 若くて、まだ子供たちも小さかった頃、毎年一回以上は約一時間をかけてこの山へ登った。
 孫を連れて行った頃には、もう時間と肉体の疲労をリスクに自分の足で登ることはない時代になりつつあった。徒歩で登るのは年配の層になってしまっていた。
 今一度、時間をかけてもいいから自分の足で登れないものかとは思うが、なんだか自分が壊れてしまいそうでおっかない。

         
                公園内の三重の塔

 例え山に登れなくとも、あるいはロープウェイで登るにしても、この場所へはやはりやって来るだろう。こんな手近に、これだけのものがあるのに、それを享受しないのはもったいないことだと思う。

         
                山頂へのロープウェイ

 一つ気がかりなのは、信長館の発掘調査である。フロイスの記述によれば、それはかなりの規模で、しかも荘厳であったらしい。それらの片鱗が、私の生きているうちに明らかになるだろうか。道三や信長はいずれも一匹狼のような存在であった。
 だからこそ、彼らが築いたものの片鱗に触れることは、その個的な息吹との交流であるように思うのだが、まあ、私の生きているうちにその全体像が明らかになることはあるまいと思う。

      
               信長館跡の発掘調査の一部
 
 だから私は、彼らが埋めてきた歴史の場に彷徨い、せいぜい写真を撮るほかはないのだ。









コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする