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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「花はいざ」と、人間の能力としての希望

2011-03-23 04:48:18 | ラブレター
 「人はいざ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほいける」は紀貫之の歌ですが、人のことはともかく、季節が至れば花は咲くといったような意味のようです。

 地震、津波、原発事故と、被災地では三重苦にあえぐ人たちがたくさんいらっしゃるのですが、わが家ではそんなことを知らぬげに、春の花々が咲き始めました。

       
      やっと咲き始めたレンギョウの間で日本水仙が頑張っています


 お亡くなりになった方々への供花として、また春なお遠い被災地の皆さんへのお見舞いとして、これらの花を献じたいと思います。

 希望という言語を発することすらはばかられる状況でしたが、そろそろ悲嘆から希望へ転じてもいいのかもしれません。もっとも原発事故は、今なおそんな楽観を許さないのですが…。

 50年は草木も生えないといわれたヒロシマやナガサキから蘇った歴史があります。
 国民学校一年生の私が見た岐阜駅頭からの光景は、当時の地方都市ではまだ珍しかった鉄筋の数屋以外はすべて焼け落ち一面の焼け野原でした。
 何キロも見通しが効く光景はかえって不気味で地獄だと思いました。

       
             やっと咲いたラッパ水仙です

 でもそこに今、私を含め人々は住んでいます。そして笑いさざめき平和な日々を送ってきました。
 さすがに今回の事態には粛として声もないのですが、しかし、そちらでのやがての復興を信じています。

       
      ユキヤナギの一種ですがたわわに花を付けることはありません

 人は自己産出的に強くなる動物です。他の動物が状況に飲み込まれたままなのに対し、人間はそれからの脱出を試み、またその道を探し当てます。
 さらにまた、人間は社会的動物です。どんな状況であれ、孤立ということはありえません。周辺の人間、あるいは目には見えない人間が自分とともに生きています。

 被災された方のいまの惨状からすると、こんないい方は無責任かもしれません。
 しかしこれは、人間という動物に備わった特異な能力なのです。変な「知識人」が騒ぎ立てる「民族」や「国家」以前に人間に備わった能力なのです。

       
       桜ん坊がなる木ですが例年の2割ぐらいしか花をつけません

 悲しみは膨大でしょう。
 しかしいつの日か、それを凌駕する希望の到来を信じて疑いません。
 希望を実現するための自由、それは常に人間のものです。

 私のところより少し遅れるかもしれませんが、やがて春が訪れるはずです。
 さしたることは出来ませんが、貴方たちから、視線を逸らせないでいようと思います。

 

コメント (6)
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