HDの故障からほぼ復帰いたしました。
外付けHDからのデータの復元もほぼ終わりました。
1995年頃からのデータがどっさりですから大変でした。
不要なものを捨てようとしたのですがそれが大変です。
亡くなった人への弔問文など捨てがたいものがあります。
結局また戻したりしました。
写真はかなり捨てましたが、それでも外付けのなかに一万枚ほどあります。
そうそう、この間コメントなど頂いた方、いまさらのご返事では間が抜けますからこのまま、失礼いたします。
写真はすべて名古屋の鶴舞公園です。
映り込みの風景が好きです。
それ自身は虚像なのですが、水面の佇まいを借りてたしかに何かを訴えます。
一陣の風でゆらぎ、消えたりするはかなげなものですが、私たちの視覚よりもしたたかなものがあります。
私たちの視覚は、実は、そこにあるものを映さなかったり、ないものを移したりするからです。
風景というものがそこにあるのではなくて、それはつねに、それを見る者のまなざしと共にあります。
またぼちぼち、いろいろ書きてゆきますのでよろしく。
外付けHDからのデータの復元もほぼ終わりました。
1995年頃からのデータがどっさりですから大変でした。
不要なものを捨てようとしたのですがそれが大変です。
亡くなった人への弔問文など捨てがたいものがあります。
結局また戻したりしました。
写真はかなり捨てましたが、それでも外付けのなかに一万枚ほどあります。
そうそう、この間コメントなど頂いた方、いまさらのご返事では間が抜けますからこのまま、失礼いたします。
写真はすべて名古屋の鶴舞公園です。
映り込みの風景が好きです。
それ自身は虚像なのですが、水面の佇まいを借りてたしかに何かを訴えます。
一陣の風でゆらぎ、消えたりするはかなげなものですが、私たちの視覚よりもしたたかなものがあります。
私たちの視覚は、実は、そこにあるものを映さなかったり、ないものを移したりするからです。
風景というものがそこにあるのではなくて、それはつねに、それを見る者のまなざしと共にあります。
またぼちぼち、いろいろ書きてゆきますのでよろしく。