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ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか(私の勉学ノートから)

2012-02-06 15:55:45 | よしなしごと
 1975年に野坂昭如がサントリーゴールドのコマーシャルソングで歌った「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか」という歌があります。
 
   ソ,ソ,ソクラテスかプラトンか
   ニ,ニ,ニーチェかサルトルか
   みーんな悩んで大きくなった.
   (大きいわ 大物よ)
   俺もお前も大物だ!
   (そおよ大物よー)


 残念ながら以下はその歌とは関係がありませんが、まあ読んでみてください。

         
           ソクラテス?            プラトン?
 
 ソクラテスはポリスのなかでとりわけ「真理」などというものを主張したわけではありませんでした。ただし、人々がそれを述べる意見(ドクサorオピニオン)に自分の疑問をつきつけ、その誤りを正すとともに人々が独断や偏見におちいらず、ただしく思考するよう促しました。

 ソクラテスはそうした自分の方法を、「虻(あぶ)」や「助産人」に例えました。人々の間をうるさく飛び回って、人々の思考を促す手助けをするという意味です。その意味でソクラテスは、「真理」を教えたりするのではなく、人々の意見をまずは尊重するという姿勢を生涯崩しませんでした。

 しかし、そんなソクラテスが、ポリスの生活に何の有用性をもたらさないばかりかそれを乱す有害なものであるとして告発をされることとなりました。彼があれほど大切にしたポリスの市民たちの意見によりソクラテスは有罪と断定され、毒をあおって死に至ったのです。

 それをつぶさに目撃し、記録(『ソクラテスの弁明』)した弟子のプラトンは、そこに二つの教訓を見い出しました。
 そのひとつは、ソクラテスを死に追いやった複数の意見の不当さに対する激しい憎悪でした。
 そしてもうひとつは、それら市民の意見をあくまでも自分の意見と同等に扱い、それに対して「弁明」という言論で応じたソクラテス自身の限界への批判でした。

 そこからプラトンは次のような結論を導きます。
 市民の複数の意見は無知や偏見に満ちており、それらに依拠することはできないということ、したがってそれらには、哲学者による絶対的な「真理」(彼の場合はイデア)を対置し、その「真理」を有する哲学者による支配(哲人政治)をこそ実現すべきであるということです。

 そうした考えのもとにプラトンは『国家』などの著作を著すとともに、シチリア島のシュラクサイで哲人政治の実験となる新しい国家運営を試みますが、それは不首尾に終わったようです。

 ここに後世の政治哲学に及ぼす大きな分岐点があります。
 プラトンの「正義や真理に基づく政治」は、その後も実験的に試みられ、前世紀には地球上の何分の一かでそれを語る体制が実現したりしました。前提の「真理」の当否はともかく、ナチズムもまたそうした体制のひとつであったともいえます。

 一方、ソクラテスの真理や正義を前提とするのではなく、「複数の意見の交流」のなかで、もっぱら言論やパフォーマンスによって自分たちの未来を見出してゆく政治は、古代ギリシャのポリスにかすかな痕跡を留めるのみで、未だ実現されてはいません。
 人々が複数であることとその言論に依拠した政治は、その前提条件として成員である市民たちが経済的条件などにおいて自由な存在でなければならないからで、そうでなければお互いに自由な意見を述べ合うことは不可能だからです。

 さて、以上、ソクラテスとプラトンの対比をいくぶん単純化して述べてきましたが、あくまでもこれは政治哲学的な場面に限定したもので、これでもってプラトンの哲学そのものを否定したり卑しめたりするものでは決してありません。
 なんといってもプラトンは、現象とそれをもたらすイデアという分離、発見によって、以後延々と続く西洋形而上学、西洋哲学の産みの父ともいえるのですから。

 以上は、ハンナ・アーレントの『政治の約束』のうち、「ソクラテス」の項の読解のためにとった私のノートに依ります。

<おまけ> お口直しに冒頭で述べた野坂昭如の歌をどうぞ。
   http://www.youtube.com/watch?v=uopVGKgd3n8
   (最後の「トンガラシ」のところまで聴いてください)






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