私の所属しているSNSのなかに元赤軍派議長・塩見孝也という人がいます。ハンドルネームは「預言者」と言います。これはいわゆる暴露ではありません。本人が両方共公表しているからです。
あるとき、彼の方から「友人になってくれ」との申し出があり、来る者は拒まずの原則でこれを承諾しました。それを契機に彼の日記などが届くようになったのですがいつも違和感を感じながら読んでいました。それは、彼がよく「反スターリニズム」などというのですが、どの次元でそれと決別しているのかがよく解らなかったからです。
昨日のことでした。「連合赤軍事件40周年を前にして・・・」という彼の日記が載りました。そのなかの次の一文を見て私のこれまでの疑問は最高潮に達しました。
彼はこう言っているのです。
「ブントや赤軍派の運動には、未熟で、小ブルジョア革命性に限界付けられていたととはいえ、<人間の命とそれを社会的に輝かせる自主性の最高尊厳性、生存権の尊厳>、言い換えれば、ヒューマンな思想性が流れており、それは、否定の否定として止揚されて行くことに於いて肯定され、スターリン主義に汚染されてはいなかったことらが強調され、今の脱原発テント村運動に連なっていることが頷けられます。 塩見 」
私は直ちにそれに対するかなり長文の疑問と問題点を指摘したコメントを付けました。
ところが彼はいきなりそれを一方的に削除してしまったのです。
残念ながらその私の文章はコピーしてなかったのですが、削除を知って改めて次のようなコメントを再度載せました。これはコピーしてありました。
二度目のものは、削除という卑劣な手段への怒りがありますから、最初のものより幾分語調が強くなっています。
以下がその二度目のコメントの多少補足しながらの再録です。
前のコメントは見事に削除されましたね。
結局、自分に都合の悪いコメントはバッサリ削除ですか?
恥しくはありませんか?
再度問います。
連赤とそれに絡む一連の運動には本当に「<人間の命とそれを社会的に輝かせる自主性の最高尊厳性、生存権の尊厳>、言い換えれば、ヒューマンな思想性が流れて」いましたか?また「スターリン主義に汚染されてはいなかったことらが強調され」るとはまさに真逆ではないでしょうか?
あの仲間殺しと、ソ連共産党の中央委員会の大半が「人民の敵」として処刑されたこととの類似性はまさに思想的にも接近していた事実を表していませんか?そして、あの連赤こそがスターリニズム組織のカリカチュアライズされたミニチュアだったのではないですか。
また「それは、否定の否定として止揚されて行くことに於いて肯定され」るというヘーゲリアン気取りの全く薄っぺらな決まり文句やレトリックでもって片付けられるものですか?
むしろ、あの連赤がその後の日本の様々な運動に与えた壊滅的な打撃をどう総括されていますか?
政治の場で真剣にものを考えようとする人々を、そこから締め出す役割を果たしませんでしたか?日本の現実の変革を目指しながら、かと言っていわゆる社会主義圏の現実や日本の「正統左翼」には失望していた人々を出口なしへと追い込みませんでしたか?
私に言わせれば、あなた方の運動はまさにスターリニズムをより稚拙になぞったものであり、そのコピーでしかなかったのではないかと思います。いわく、「この世には唯一の真理や正義が存在し、しかもそれは我がもとにある。したがってその実現のためには人を殺してもいいし、自分が死ぬことも辞さない」というまさにスターリニズムの極地の実践ではなかったかと思うのです。
あなたは何かというとスターリニズムを引き合いに出されますが、私にはあなたがそれを思想のレベルで克服したとはとても思えません。単に、「やり方がまずかった」のレベルでの反省ではないのですか?そして、自分たちの運動もそのうち(広義のスターリニズム)にあったという事実をまったく認識してすらいないのではないですか。
私は、あなたが批判しているK氏に与するものではありませんが、あなたの欺瞞とピエロぶりにはうんざりしています。
私も反原発のために多少ながら尽力していますが、それは、原発自身の危険性もさることながら、その設置と継続のなかに日本の度し難い官僚制という根幹があり、それを同時に撃つ必要性があると思うからです。
いっぽう、あなたの反原発の言説の間にほの見える、あわよくばこれを契機に「左翼の再生*」などという不純な動機は、まさにスターリニスト的な大衆運動の利用をうかがわせるに充分なものがあります。
いずれにしても、都合の悪い言説はバッサリ削除というのはまさにスターリニスト官僚のやり口ですね。
前のものはコピーしていませんでしたが、これはそうします。
*原発反対運動をコミンテルン時代のディミトロフなどの「統一戦線論」に位置づけているのがその証拠です。
=============================
長くなりましたが、以上が二度目のコメントです。
そしてこのコメントがどうなったかとお思いですか?
そうです、またしても見事に削除です。
彼の眼中には他者がありません。
多様な意見を持った複数の人々の存在は常に無視です。
世界は自分が保持する「正義や真理」を中心に回っているのです。
そしてそれが「スターリニスト」の思想的核心なのです。
あるとき、彼の方から「友人になってくれ」との申し出があり、来る者は拒まずの原則でこれを承諾しました。それを契機に彼の日記などが届くようになったのですがいつも違和感を感じながら読んでいました。それは、彼がよく「反スターリニズム」などというのですが、どの次元でそれと決別しているのかがよく解らなかったからです。
昨日のことでした。「連合赤軍事件40周年を前にして・・・」という彼の日記が載りました。そのなかの次の一文を見て私のこれまでの疑問は最高潮に達しました。
彼はこう言っているのです。
「ブントや赤軍派の運動には、未熟で、小ブルジョア革命性に限界付けられていたととはいえ、<人間の命とそれを社会的に輝かせる自主性の最高尊厳性、生存権の尊厳>、言い換えれば、ヒューマンな思想性が流れており、それは、否定の否定として止揚されて行くことに於いて肯定され、スターリン主義に汚染されてはいなかったことらが強調され、今の脱原発テント村運動に連なっていることが頷けられます。 塩見 」
私は直ちにそれに対するかなり長文の疑問と問題点を指摘したコメントを付けました。
ところが彼はいきなりそれを一方的に削除してしまったのです。
残念ながらその私の文章はコピーしてなかったのですが、削除を知って改めて次のようなコメントを再度載せました。これはコピーしてありました。
二度目のものは、削除という卑劣な手段への怒りがありますから、最初のものより幾分語調が強くなっています。
以下がその二度目のコメントの多少補足しながらの再録です。
前のコメントは見事に削除されましたね。
結局、自分に都合の悪いコメントはバッサリ削除ですか?
恥しくはありませんか?
再度問います。
連赤とそれに絡む一連の運動には本当に「<人間の命とそれを社会的に輝かせる自主性の最高尊厳性、生存権の尊厳>、言い換えれば、ヒューマンな思想性が流れて」いましたか?また「スターリン主義に汚染されてはいなかったことらが強調され」るとはまさに真逆ではないでしょうか?
あの仲間殺しと、ソ連共産党の中央委員会の大半が「人民の敵」として処刑されたこととの類似性はまさに思想的にも接近していた事実を表していませんか?そして、あの連赤こそがスターリニズム組織のカリカチュアライズされたミニチュアだったのではないですか。
また「それは、否定の否定として止揚されて行くことに於いて肯定され」るというヘーゲリアン気取りの全く薄っぺらな決まり文句やレトリックでもって片付けられるものですか?
むしろ、あの連赤がその後の日本の様々な運動に与えた壊滅的な打撃をどう総括されていますか?
政治の場で真剣にものを考えようとする人々を、そこから締め出す役割を果たしませんでしたか?日本の現実の変革を目指しながら、かと言っていわゆる社会主義圏の現実や日本の「正統左翼」には失望していた人々を出口なしへと追い込みませんでしたか?
私に言わせれば、あなた方の運動はまさにスターリニズムをより稚拙になぞったものであり、そのコピーでしかなかったのではないかと思います。いわく、「この世には唯一の真理や正義が存在し、しかもそれは我がもとにある。したがってその実現のためには人を殺してもいいし、自分が死ぬことも辞さない」というまさにスターリニズムの極地の実践ではなかったかと思うのです。
あなたは何かというとスターリニズムを引き合いに出されますが、私にはあなたがそれを思想のレベルで克服したとはとても思えません。単に、「やり方がまずかった」のレベルでの反省ではないのですか?そして、自分たちの運動もそのうち(広義のスターリニズム)にあったという事実をまったく認識してすらいないのではないですか。
私は、あなたが批判しているK氏に与するものではありませんが、あなたの欺瞞とピエロぶりにはうんざりしています。
私も反原発のために多少ながら尽力していますが、それは、原発自身の危険性もさることながら、その設置と継続のなかに日本の度し難い官僚制という根幹があり、それを同時に撃つ必要性があると思うからです。
いっぽう、あなたの反原発の言説の間にほの見える、あわよくばこれを契機に「左翼の再生*」などという不純な動機は、まさにスターリニスト的な大衆運動の利用をうかがわせるに充分なものがあります。
いずれにしても、都合の悪い言説はバッサリ削除というのはまさにスターリニスト官僚のやり口ですね。
前のものはコピーしていませんでしたが、これはそうします。
*原発反対運動をコミンテルン時代のディミトロフなどの「統一戦線論」に位置づけているのがその証拠です。
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長くなりましたが、以上が二度目のコメントです。
そしてこのコメントがどうなったかとお思いですか?
そうです、またしても見事に削除です。
彼の眼中には他者がありません。
多様な意見を持った複数の人々の存在は常に無視です。
世界は自分が保持する「正義や真理」を中心に回っているのです。
そしてそれが「スターリニスト」の思想的核心なのです。