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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

再稼働会見と梅雨入り そして南天の花と琵琶

2012-06-10 02:29:32 | 社会評論
 いよいよ東海地方も梅雨入りだそうだ。
 昨年は5月27日だったからそれに比べると2週間ほど遅いが、今年がとくに遅いわけではない。むしろ昨年は例年より12日ほど早かったというから、今年が例年並みということになる。

          

 野田がお膝元の与党議員からの三桁にのぼる反対をも蹴散らして原発再稼働を明らかにした翌日の梅雨入りとは何やら象徴的である。
 国民の再稼働反対は、各種世論調査によれば依然として50%を超えている。野田はそうした民意より政官財からなる「原子力ムラ」の権益を尊重したわけである。

 「国民の皆様の生活を守るために」と繰り返された文言はすべて「原子力ムラの権益を守るために」に代入可能なのだ。
 実際のところ、彼らの危機意識は、この夏、原発なしで過ごせるならば、原発再開の目処は立たず、原発プラントの輸出など原子力ムラが思い描いている路線が壊滅するところにある。
             
              

 かくして野田は、民主党政権の弔鐘を高らかに鳴らすことになった。
 誰もが、彼らが「民主」ではなく「民をないがしろにする」政権であることを知ってしまったからだ。「民」は主ではなく、力づくで支配すべき対象でしかないことが明らかになってしまったからだ。

 いわゆる政権交代には、多くの国民が期待を寄せた。それほど期待すべきではなかろうという冷めた人々もいたであろうが、その人たちですら何らかの変化はあるだろうと多少は思っていたはずだ。
 しかし、その期待は見事に裏切られた。
 
 なにが変わったのか?
 従前より取りざたされていたこの国の官僚支配に何かの歯止めがかかったであろうか?
 答えは「No!」である。
 考えようによっては、自民党以上に官僚支配の罠が強化されたといっていい。
 おかげで私たちは、この汚辱にまみれた似非「民主」政権に朗らかに決別を遂げることができるわけだ。

          

 放おっておいても彼らは「原発推進と福祉なき増税路線」によって自壊は避けがたいように思うが、反原発の運動を進める以上、彼らの退陣を迫ることは当然の事態となったと思う。

 では自民党の支配へとふたたび戻るのか?
 いわゆる政権交代は、民主党への期待というよりも、戦後政治を連綿として担ってきた自民党の腐臭を忌避したからだということを考え合わせると、そこへ戻ることは言葉の正確な定義からして「反動」にほかならないだろう。
 私たちはこの間の過程から、いわゆる「二大政党制」というものが、交代で民意を踏みにじる体制でしかないことをも学んだのだ。

          

 そうなると、話題の第三極がクローズアップされてくる。
 いわゆる「維新」グループは、橋下に依る教育改革という強権反動政治や、下級公務員いじめで信用出来ないところへもってきて、今回の原発再稼働で全く無責任は寝返りを見せつけられた以上支持することはできない。

 「減税」の河村グループは、今のところ反原発の姿勢を崩してはいないが、歴史認識でのかたくなさで危うい橋を渡っているし、市民の諸権利に関する事柄でもすっきりしない事が多いようだ。

 この夏、発足する日本版「緑の党」は、綱領レベルでは首肯できる点が多いが、実際の局面でどう機能するのかは全くの未知数だ。

          

 要するにこの国の政治は、安易に出口を見いだせない袋小路に至ったというのが実際のところではあるまいか。
 ここに至っては、従来の支持政党というものをご破算にし、かといってその折々の情勢になびく「無党派」でもなく、私たち一人ひとりが党派や従来の選択肢を超えた「非-党派」として、来し方行く末をじっくり「思考」すべき時ではないだろうか。

 梅雨入りの日、南天の花は咲き誇り、琵琶が色づいてきた。




コメント (3)
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