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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

♪アーアーアーアーア~ 高校三年生~♪(なに、飛び級にするって?)

2012-06-06 16:18:58 | インポート
 高校時代の同級生たち4人で遊ぶ。
 岐阜市内が私を含め2人、一人は各務原から、そしてもう一人は岡崎からだ。
 まず、とりあえずの目的は谷汲の日帰り温泉。
 
 途中、学生時代にも、卒業してからもよく遊びに行ったやはり谷汲山近くにある恩師の墓に立ち寄る。かつて、その師のもとに集まるということそのものが私たちの青春にとって欠かせない一面であった。
 有縁の人が周辺にいなくなったせいか墓は淋しい。
 とはいえ、近隣の人や、私たちのように教え子が時折立ち寄るのか、それほど荒れた感じはない。
 私自身も、2、3年前、近くを通りかかった折に立ち寄り、近くで採った野花などを手向けたことがある。

 簡単な掃除をする。やはり花を手向けようかということになったが、ちょうど墓前に矢車草などが咲いていたので、わざわざ折り取るよりそのままの方が良かろうということでそれに任せる。
 一同、頭を垂れてそこを離れる。

       

 さあ温泉!と駐車場に着くと、ほかの車両が全く見当たらない。
 そして入り口には「本日休業」の無情な札が・・・・。

 ならば別の温泉をと車を巡らせたところで、運転者がガス欠寸前に気づく。
 谷汲山門前に近いスタンドで給油をしたついでに、そこのおばさんに近辺の温泉事情を尋ねる。
 なんと、そこから5分も行かないところに日帰り温泉があるという。
 その名も「満願の湯」。
 なるほど、西国三十三所観音霊場巡りの第三十三番札所、結願・満願の古刹、谷汲山華厳寺の門前にふさわしいネーミングだ。

 こじんまりとした温泉だが、泉質もよく、涌泉量も多いようだ。
 チャラチャラとした余分な施設がなく、内湯と露天風呂のみの入浴一筋がいい。
 それに、カルキ臭(晒粉の匂い)が全くないのがいい。

 帰途、そば懐石の店によるかどうかで意見が別れる。
 そこの食事がうまいことは先刻承知だが、そこを利用するとなると運転者のみ、飲酒ができない。彼はそれでもいいというのだが、彼を尻目に飲むのは気が引けて落ち着かない。
 しかし、その本人がそれでもいいというので立ち寄ることに。
 だが、やはり駐車場ががらんどう・・・・。
 やはり休日か、あるいは閉鎖してしまったのかもしれない。
 いずれにしても今日はよく蹴られる日だ。

 岐阜へ取って返す。
 旧知の居酒屋へ。
 ここは今時の若者向けの喧騒がなく、大衆店だがそれなりに落ち着ける。
 料理も、レトルトやチ~ンではなく手造りだ。

       

 話題は多岐に及んだが、まず車中では、以前もここで紹介した、現役で商店を営んでいるH氏がかかわる、不合理極まりない同業組合との戦いの報告が主体であった。
 かつて1,300人いた組合員が今は300人だという。その300人も決して楽な営業ではない。営業成績は低下し続け、後継者もいない中、せめて自分の代はと必死で店を守っている人がほとんどだ。

 H氏にしたところで、海外旅行はおろか国内での一泊も難しいという。
 そんな中でである、理事連中がその組合を食い物にしているというのだ。
 前の専務理事は、年間900万の給与をとり、2,400万の退職金を得て逃げ出すように去ったという。
 どこにそんな金があるかというと、やむなく廃業した人たちが残した積立などが残っているからだ(組合規約ではそれらを返さないことになっている)。
 要するに、死屍累々の業界にあって、落ち武者の屍から金目の物をむしりとるような所業といっていい。
 どうも、日本の官僚機構のミニチュア版であるような気もする。

 ところで、彼の改革の運動だが、その問題提起がじわじわと浸透し、同意者も増えているという。しかし、切り崩しや裏切りもあって予断は許されないらしい。
 彼自身が、理事でもなんでもなく、自ら営業をしながら、しかも身銭を切ってのチャレンジだから、常任の専従などに比べたら、物量戦でもかなり困難な戦いであることは想像に難くない。

 彼自身、いろいろ勉強したという。ことを構えた以上、もちろん勝利が目標だが、その過程で学んだことも多いという。こうした達観の上で進めるなら、たとえ敗れても彼が傷つくことはあるまいとは思うが、やはり勝たせてやりたい。
 その他、当然のこととして原発の再稼働を巡る状況なども話題に登ったが、それらは省略する。

 帰りに一悶着あった。
 メンバーの一人が、あらかじめ公言していた帰りの時間を急に一時間早めたのだ。
 これにH氏が反発した。
 もちろん、大げんかになったわけでもなく、名鉄の岐阜駅まで4人で歩き、そこで互いに握手をして別れることができた。

 H氏にしてみれば、早朝の仕入れから日常の営業、それに加えて今回の組合の改革運動と多忙な日常なのだが、その中で気を許してなんでも語れる場や相手が貴重なのだろうと思う。
 帰宅を早めたN氏にしても、相方に先立たれて以後の独居でいろいろ事情もあろう。
 
 そんなことを反芻しながら、夜風を頬に受けて自転車を漕いで帰宅するのだった。
 家の近くの田圃で、ケリが甲高く一声、三声、鳴いていた。

 岡崎のM氏は、時折私のブログを見ていてくれるとのこと。嬉しかった。



 

コメント
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