わが家には血圧計というような文明の利器はなかった。
診療所へ行くたびに測ってくれるし、幸いにもあまりケアーする必要がない数値内に収まっていたからである。
具体的に言うと最高が130前後、最低が70台といったところであった。
ただし、これは昨年までのことである。
今年になってその自信が揺らぎ始めた。
時折、高いほうが150台になるのだ。
しかし、また次回行くと130前後に戻っている。
まあ、これなら誤差の範囲内かと医師もいってくれたし、自分でもそう思っていた。
先般の日記にも書いたが、岐阜大学医学部での「糖尿病の発症と関連する遺伝子の解析研究」の無作為抽出の検体として出向いた際に、まずは血圧の測定があった。
出た結果に驚いた。
170台の後半を指していたからだ。
「少し高いようですね」と教授(女性)は眉を曇らせた。
この数値はややショックだった。
十数年前脳梗塞で倒れた折、その後に測った数値でも169だったのだ。
でも、急に環境が変わって、見慣れない女性の教授とさほど広くない研究室にふたりきりになったせいだろうと自分に言い聞かせていた。
それからしばらくして、行きつけのクリニックでやはり血圧を測った。
やはり、170台だった。
クリニックの医師(女性)もさすがに警告を発するところとなった。
今年に入ってからの平均がアベノミクス以降の株価状態だったからだ。
そこでやっと決意をした。
血圧計を買うことにしたのだ。
ネットで調べると、手首式のものは2,000円ぐらいからある。
しかし、上腕式のものに比べると精度が落ちるとある。
あまりでかくなくコンパクトなもので上腕式という基準で選んだ。
3,000円台の後半で手頃なものが見つかった。
今日それが届いた。
で、早速測ってみて驚いた。
なんと、184―93ではないか。
今までの最高値である。
「お前はとっくに死んでいる」といわれたようなものだ。
もう一度測ってみたが、やや下がったのみである。
そういえば、今日は多少熱っぽくて軽い頭痛もする。
さいわい、今日中にし上げ無ければならないこともさしてないので、昼寝をした。
うとうとしながら、こんな短編小説を思いついた。
血圧を気にして血圧計を買い、それが届くのだが、それが到着して「宅配便で~す」と玄関で告げる声を聞きながら、発作を起こして死んでゆく男の話である。
ちょっと皮肉だが、リアルすぎてあまり面白くはない。
午睡から覚めて、お茶をいっぱい飲み、もう一度測った数値が上の写真である。
145ー73(脈拍68)。
少し安堵したが予断は許さない。
昨夜読んだ「生権力」、「生政治」に関しての本には、諸個人が健康への留意を図るということが極めて近代の事象であり、そうしたミクロな事態の積み重ねの上に、国家は、人口の管理、出生率、死亡率、衛生や環境というマクロな事業を、それにかかるコストとの兼ね合いのなかで進行してゆくのだとあった。
とするならば、私の行為もそうした「生」をめぐる近代の権力構造による無言の指示によるものであり、同時にそうした構造の一環をなしているともいえる。
医学・薬学の研究関連や病院や諸治療機関はもちろん、老後の諸施設、さらには、健康ジム、それによくわからないサプリメント関連を含めると、今や広い意味での健康関連の分野は一大産業をなしているといえる。