オディロン・ルドン(1840-1916)の作品を、岐阜県美術館がかなり持っているのは知っていたが、これほどまでとは知らなかった。
展示作品150点ほどのうち、実に4分の3ほどが岐阜県美のもので占められ、それにルドンの故郷、ボルドーから来たものを加えるとほとんど作品が網羅されてしまうからである(もちろん、その他のところから来たものもあった)。
「アポロンの戦車」岐阜県美術館所蔵
作品の質も相当なものである。
フランス国家が買い上げたという「目を閉じて」という作品は現在オルセーに展示されているが、その別テイクのものは岐阜にあるし、「オフィーリア」、「アポロンの戦車」などの別テイクも岐阜にある。とりわけ「アポロン」については、ボルドーにあるものと並んで展示してあったが、アポロンを人間神の形象で表示したボルドーのものより、文字通り燃える炎で表現した岐阜のものの方がいいと思った。
展示のプロローグともいうべき、ルドンに影響を与えたクラボーの植物学図鑑や、ロドルフ・ブレスダンの作品を見た時には、これはもう、シニアグラスの世界ではなく天眼鏡の世界だと思った。視力2.0のひとでもかなり目を凝らして観なければならない細密な絵なのだ。
ルドン本人のものになってからは多少ましになり、だんだん構図も大胆になってくるのだが、黒チョークや木炭で書かれたそれらはただただ黒い。「黒の画家」といわれた所以であろう。
ただし、内容がおもしろくないわけではない。
1800年代の後半といえば、同じフランスでは印象派が花開き全盛期を迎える頃である。その同じ時代に、ルドンはまったく違う絵画を求め続けたともいえる。
その絵画は、印象派風のそれまでの写実からの分離とはまた違った、心象そのものにおける写実からの分離ともいえる。一般には象徴主義の画家といわれているようだが、意識下の形象に似た画風は20世紀のシュールリアリズムに通じるのではないだろうか。
その晩年、マルセル・デュシャンなどと同一の美術展に作品を並べたというのも納得できる。
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「オフェーリア」岐阜県美術館所蔵
普通、美術展というのは、後半になるといい加減疲れてきて、その観方も粗雑になるものである。しかし、この場合はそれに当てはまらない。
それは、その後半に至って、それまで抑制されてきた色彩の世界が一挙に花開くからである。
この優しくて深みのある色使いはなんなのだ。なぜこれをもっと早く描かなかったのか、などの思いが去来するが、それもまた彼にとっては必然だったのだろう。
冒頭部分で述べたような作品、オフェーリアやアポロンやオイディプスが、そして静物が並ぶ。
別にフィナーレを華やかにという演出なのではなく、彼自身の画業がそうした経路を辿ったのだ。
美術館を出ると、しょっちゅう来ていて見慣れた風景なのに、なにか場違いの場所に放り出されたような気がした。
そして、樹々の間から見える夕焼けの赤さに、ルドンの燃えるアポロンを思い出していた。
*10月27日(日)まで、岐阜県美術館で
展示作品150点ほどのうち、実に4分の3ほどが岐阜県美のもので占められ、それにルドンの故郷、ボルドーから来たものを加えるとほとんど作品が網羅されてしまうからである(もちろん、その他のところから来たものもあった)。
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作品の質も相当なものである。
フランス国家が買い上げたという「目を閉じて」という作品は現在オルセーに展示されているが、その別テイクのものは岐阜にあるし、「オフィーリア」、「アポロンの戦車」などの別テイクも岐阜にある。とりわけ「アポロン」については、ボルドーにあるものと並んで展示してあったが、アポロンを人間神の形象で表示したボルドーのものより、文字通り燃える炎で表現した岐阜のものの方がいいと思った。
展示のプロローグともいうべき、ルドンに影響を与えたクラボーの植物学図鑑や、ロドルフ・ブレスダンの作品を見た時には、これはもう、シニアグラスの世界ではなく天眼鏡の世界だと思った。視力2.0のひとでもかなり目を凝らして観なければならない細密な絵なのだ。
ルドン本人のものになってからは多少ましになり、だんだん構図も大胆になってくるのだが、黒チョークや木炭で書かれたそれらはただただ黒い。「黒の画家」といわれた所以であろう。
ただし、内容がおもしろくないわけではない。
1800年代の後半といえば、同じフランスでは印象派が花開き全盛期を迎える頃である。その同じ時代に、ルドンはまったく違う絵画を求め続けたともいえる。
その絵画は、印象派風のそれまでの写実からの分離とはまた違った、心象そのものにおける写実からの分離ともいえる。一般には象徴主義の画家といわれているようだが、意識下の形象に似た画風は20世紀のシュールリアリズムに通じるのではないだろうか。
その晩年、マルセル・デュシャンなどと同一の美術展に作品を並べたというのも納得できる。
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「オフェーリア」岐阜県美術館所蔵
普通、美術展というのは、後半になるといい加減疲れてきて、その観方も粗雑になるものである。しかし、この場合はそれに当てはまらない。
それは、その後半に至って、それまで抑制されてきた色彩の世界が一挙に花開くからである。
この優しくて深みのある色使いはなんなのだ。なぜこれをもっと早く描かなかったのか、などの思いが去来するが、それもまた彼にとっては必然だったのだろう。
冒頭部分で述べたような作品、オフェーリアやアポロンやオイディプスが、そして静物が並ぶ。
別にフィナーレを華やかにという演出なのではなく、彼自身の画業がそうした経路を辿ったのだ。
美術館を出ると、しょっちゅう来ていて見慣れた風景なのに、なにか場違いの場所に放り出されたような気がした。
そして、樹々の間から見える夕焼けの赤さに、ルドンの燃えるアポロンを思い出していた。
*10月27日(日)まで、岐阜県美術館で