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21日朝刊での天野祐吉さんの訃報には驚いた。
驚いた理由はふたつある。
ひとつはつい前日、20日付の「朝日」の読書欄でその文章を読んだばかりだったからである。
従前より連載の、「CM天気図」については毎回欠かさずというほどではないにしろ、目に付けば必ず読んでいた。その論調は、大所高所はともかく、昨今のCMのウオッチングを通じ、その周辺との関連の中での出来事に触れ、それらの着地点などをサラリとまとめるという小気味の良い読後感を残すものであった。
先に触れた「朝日」の読書欄では、「■1964年に売れた本」と題し、その年のベストセラーを表示しながら、同年の東京オリンピックによる古い東京の変貌や、女子バレー監督の大松博文氏の「おれについてこい!」や、よき時代の経営者像などに触れたあと、純愛書簡集の「愛と死をみつめて」で書かれている日本語の質に言及し、「いま、こういう日本語をかける若者が何人いるだろう。世の中が変わるということは、実は“言葉”が変わるということであるんだろう。」という含蓄のある文章で結んでいる。
ちなみに、この文章全体のタイトルは、「“日本”遠のき“ニッポン”へ」であり、高度成長期の中で、ある種の“日本”が失われ、“ニッポン”へとのぼせ上がって行く過程を言い当てていて絶妙というべきだと思った。
先に驚いた理由がふたつあるといったが、もうひとつは極めて私的なものである。
天野さんの死因は高熱を発しての肺炎によるものだとのことだが、奇しくも、氏が入院された先月の15日、私も高熱を発して入院したのであった。
さいわい、私の場合は、気管支炎に留まり、一週間の入院とその後の通院を経て全快にいたったが、氏はそのまま還らぬ人となられた。
こうした偶然のご縁も含めて、そのご冥福を祈りたい。 合掌