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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

天野祐吉さんの訃報に驚くふたつの理由

2013-10-21 14:24:55 | ひとを弔う
           

 21日朝刊での天野祐吉さんの訃報には驚いた。
 驚いた理由はふたつある。

 ひとつはつい前日、20日付の「朝日」の読書欄でその文章を読んだばかりだったからである。
 従前より連載の、「CM天気図」については毎回欠かさずというほどではないにしろ、目に付けば必ず読んでいた。その論調は、大所高所はともかく、昨今のCMのウオッチングを通じ、その周辺との関連の中での出来事に触れ、それらの着地点などをサラリとまとめるという小気味の良い読後感を残すものであった。

 先に触れた「朝日」の読書欄では、「■1964年に売れた本」と題し、その年のベストセラーを表示しながら、同年の東京オリンピックによる古い東京の変貌や、女子バレー監督の大松博文氏の「おれについてこい!」や、よき時代の経営者像などに触れたあと、純愛書簡集の「愛と死をみつめて」で書かれている日本語の質に言及し、「いま、こういう日本語をかける若者が何人いるだろう。世の中が変わるということは、実は“言葉”が変わるということであるんだろう。」という含蓄のある文章で結んでいる。

 ちなみに、この文章全体のタイトルは、「“日本”遠のき“ニッポン”へ」であり、高度成長期の中で、ある種の“日本”が失われ、“ニッポン”へとのぼせ上がって行く過程を言い当てていて絶妙というべきだと思った。

 先に驚いた理由がふたつあるといったが、もうひとつは極めて私的なものである。
 天野さんの死因は高熱を発しての肺炎によるものだとのことだが、奇しくも、氏が入院された先月の15日、私も高熱を発して入院したのであった。
 さいわい、私の場合は、気管支炎に留まり、一週間の入院とその後の通院を経て全快にいたったが、氏はそのまま還らぬ人となられた。

 こうした偶然のご縁も含めて、そのご冥福を祈りたい。      合掌
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長浜(滋賀県)を散策しながら、街のにぎわいを考える

2013-10-21 02:30:23 | 写真とおしゃべり
 岐阜を出る頃は小雨だったが、東海道線で米原まで行き、そこから北陸線に乗り換える頃には雨は上がり、長浜に着いたときは曇ってはいたが雨の心配はなくなっていた。一昨日のことである。
 地域の人たちのグループで、長浜を散策し、写真でも撮ってこようかという催しへの参加である。ここんとこ追い込みにかかっていた同人誌関係の仕事を前日の夜までにやっとし終えて、ちょっとホッとした思いでの参加である。

 

 長浜へは通算して4度ほど来ているが、一番最近来たのは昨年のことで、しかも10月のちょうど今頃のことであった。
 ただしその折は、この長浜が目的ではなく、イヌワシを見たいという沖縄から来た女性を伊吹山へ案内したのだが、生憎の悪天候でその目的が果たせず、その代替地としてこの長浜にやってきたのだった。その経緯は拙ブログに書いた。
   http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20121020

 

 その折はウィークデイのしかも雨降りとあって人の気配は少なかったが、今回は土曜日の、しかも天候は回復過程とあって、かなりの人出で賑わっていた。しかも、その賑は街の一角にとどまらず、面としての商店街全般に及んでいた。

    

 この街はその点で結構面白い。決定的な観光スポットがあるわけではないが、ちょっとした契機のものを巧く活かしている。
 街の内容や佇まいからしてそうだ。本当に古くからあるものが保存されてあるかと思うと、それに似せた、いわば、擬古的なものがかなりある。そうかと思うと、とてもモダーンな店もある。

 

 トータルしてみると、いくぶんキッチュな感じもあるのだが、しかしそれらは場当たり的で薄っぺらなものではない。そうした混在にもかかわらず、商店街のアグレッシヴともいうべき「やる気」がビュンビュン伝わってくるのだ。
 結果として、その内実は分からないが、いわゆるシャッター通り化を免れている。

    

 ようするに商店街が生きているのだが、そのためには街ぐるみの努力が不可欠だろうと思う。加えて、各店舗の努力がよく見て取れる。先に、擬古的といったが、そうした点を巧く捉え、応用した各店舗のファサード、もっとも目につくフロント部分の商品展示など、さまざまな工夫が見てとれる。
 ある程度の賑いを保つために、町の人々が水面下で懸命に努力しているさまを思い、それにはもちろん敬意をあらわす以外ない。

 

 シャッター通り化に悩む各地の商店街や地域は、ここをじっくり視察などして研究してはどうかと思うが、視察というと議員様や商店街組合のエライさんたちがチラチラっと街を眺め、あとは観光気分の宴会でおしまというのでは話にならない。

 

 反面、大型店の全面支配のもと、専門店や小売業者が、衰退の一途をたどる街にもそれなりの必然性がある。1973年(昭和48年)10月に定められた「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(略称、大店法)」によって、当初は、地域小売業者を守るために大規模小売店舗の商業活動の調整を行なう仕組みを定め、地域との協議などを義務付けていたものが、なし崩し的に改正され、ついには2000年(平成12年)6月に廃止されてしまったことが大きい。新自由主義的な規制緩和のなせるところである。

 
 
 つい堅い話になってしまった。
 ついでながら、この長浜、年間を通じてさまざまなイベントを企画し、相当の人びとを集めているようだ。私たちが訪れた一週間前(10月12日)には、この街が呉服商が盛んなことから始まった「長浜きもの園遊会」が催され、全国から1,000名を越える着物姿の女性が集まり街の華やぎは最高潮だったという。
 一週間遅れたことを悔やんだが、これがホントの後の祭りだ。
 
 

 

コメント (2)
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