所用の帰りに、とある家の敷地にある黄色っぽい花の上で、その翅を閉じたり開いたりしている蝶を見かけた。
世界中の熱帯や亜熱帯に生息する蝶で、さほど珍しくはないのだが、近年は個体数が減っているのか、そんなに頻繁に見かけることはない。
写真に収めようと、ケータイを取り出し、身構えた途端、身を翻し、かなり遠くまで飛び去ってしまった。ろくすっぽ望遠もついていないケータイでは、シャッターを押してもあの距離では点にも写りはしないであろう。
諦めてケータイを仕舞い、その場を立ち去りかけた時である。
その蝶が戻ってきたのだ。
そして私の顔の前を、何かを確認するかのようにヒラヒラ舞い始めた。どうせまた、すぐに飛び去るのだろうと思っていたら、なんと、私の目の前の先ほどの黄色い花に再び止まったのだ。
その距離わずか数十センチ、慌ててまたケータイを取り出し、この距離なら接写だとそれに設定して撮り始めた。次第に大胆になり、30センチ、20センチ、そして最後には10センチ以内にケータイを近づけても一向に逃げる気配はない。
この流れは一体なんなのだ。
一度は逃れたものの、もう一度よく見たら、この男なら人畜無害だろうと戻ってきて、さまざまなポーズをとってくれたとしか思えないのだ。
あるいは、キリスト教の聖人アッシジのフランチェスコのように、鳥獣や虫の類、草木などの自然そのものが私に心を開いたのだろうか。
もちろん捕らえようとすれば容易に手にできる距離だ。
しかし、この蝶の友情に背くようなことがあってはならない。
とまっているとはいえ、しょっちゅうその翅を閉じたり開いたりしているので、撮すタイミングが難しい。
それでも、何枚か、至近距離のものを撮ることができた。
ありがとう、だけど人に捕まったりするなよといって別れた。
蝶や花というと女性を連想しやすい。
ましてや、あれほど私に馴染んでくれたのだから女性に違いないと思って帰宅してネットで調べたられっきとした男の子であった。
でもいいんだ、君の美しさはそれでもっていささかも減じることはない。