久々に映画のハシゴをした。
そのつもりで行ったわけではない。
計らずもそうなってしまったのだ。
最近の映画館の上映時間などは煩雑でわかりにくい。
名古屋へ出た某日、前からマークしていた映画を観るべく、それまで話していた人たちと袖を分かって息せき切って映画館へと駆けつけた。
で、館内の表示を見たら、15:00からと思ってマークしていた映画は、この日は17:35だというのだ。その間2時間30分、不器用な私はその空隙を埋める方法を知らない。
もう一度館内の表示を見たら、同じスクリーンで私がマークしていなかったまったく別の映画が上映されるとある。それが終わったら私のお目当てになるわけだ。
結局、両方観ることにした。ようするにハシゴになってしまったのだ。
ここでこのふたつの映画を詳しくは述べない。概略に止めよう。
先ずは時間つぶしのつもりで観た映画、これが拾い物だったのだ。
タイトルは『四十九日のレシピ』。
シリアスな面と、マンガチックな面とを併せもった映画である。
愛妻に先立たれた石橋蓮司、夫が浮気をし外に子どもを作ってしまったために離婚を決意して帰ってくるその娘(永作博美)、そこには明るい要素はない。
しかし、そこへ現れるキャピキャピ娘の二階堂ふみや日系ブラジル人三世の岡田将生によって事態は思いがけない方へ進んでゆく。
淡路恵子が扮する石橋の姉がラストで大変身をしてものすごいことになる。
結局事態は収まるところへ収まるのだが、実はその筋書きを予め用意したのは、亡くなった石橋の愛妻・乙美だったという次第。
荒唐無稽ともいえる状況が映画全体を支えているのだが、それは同時に、観客を楽しませてくれる要素でもある。
さて、本命は『もうひとりの息子』。
これは、新生児が手違いで入れ替わってしまう物語である。
その意味では、私がこのブログで先月書いた『そして父になる』(監督:是枝裕和)とシチュエーションは似ている。
http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20131005
しかし、是枝作品は家族や血統を考えさせられる映画だったが、『もうひとりの息子』にはまさに「もうひとつの」要素がある。
それは、取り替えられた子どもが、かたやイスラエルの軍人の息子、かたや、イスラエルの占領地・ヨルダン川西岸地区で自動車修理業を営む家の息子と、この両者は、イスラエルが築いた高い塀と厳しい検問によって隔てられているからだ。
兵役や進学の中で、二人の若者はそれぞれ実子ではないことが明らかになる。それどころか、一朝ことあれば互いに殺しあわねばならない関係ですらある。
そうしたなかで彼らの交流がさまざまなエピソードを伴って始まる。
相互の風俗習慣も異なり違和感もある。
そうした状況に馴染めない家族もいる。当たり前だろう。
結論はいうまい。
ただし、これらの地で生まれ育った若者たちが、現在もなお、一触即発の中で日々を送っていることは肝に銘じるべきである。
そしてそれらは、決してそれら若者たちの責任ではない。
身近なところから世界史的な分野にわたって、いろいろ考えさせられた。
映画のハシゴもたまには悪くはない。
そのつもりで行ったわけではない。
計らずもそうなってしまったのだ。
最近の映画館の上映時間などは煩雑でわかりにくい。
名古屋へ出た某日、前からマークしていた映画を観るべく、それまで話していた人たちと袖を分かって息せき切って映画館へと駆けつけた。
で、館内の表示を見たら、15:00からと思ってマークしていた映画は、この日は17:35だというのだ。その間2時間30分、不器用な私はその空隙を埋める方法を知らない。
もう一度館内の表示を見たら、同じスクリーンで私がマークしていなかったまったく別の映画が上映されるとある。それが終わったら私のお目当てになるわけだ。
結局、両方観ることにした。ようするにハシゴになってしまったのだ。
ここでこのふたつの映画を詳しくは述べない。概略に止めよう。
先ずは時間つぶしのつもりで観た映画、これが拾い物だったのだ。
タイトルは『四十九日のレシピ』。
シリアスな面と、マンガチックな面とを併せもった映画である。
愛妻に先立たれた石橋蓮司、夫が浮気をし外に子どもを作ってしまったために離婚を決意して帰ってくるその娘(永作博美)、そこには明るい要素はない。
しかし、そこへ現れるキャピキャピ娘の二階堂ふみや日系ブラジル人三世の岡田将生によって事態は思いがけない方へ進んでゆく。
淡路恵子が扮する石橋の姉がラストで大変身をしてものすごいことになる。
結局事態は収まるところへ収まるのだが、実はその筋書きを予め用意したのは、亡くなった石橋の愛妻・乙美だったという次第。
荒唐無稽ともいえる状況が映画全体を支えているのだが、それは同時に、観客を楽しませてくれる要素でもある。
さて、本命は『もうひとりの息子』。
これは、新生児が手違いで入れ替わってしまう物語である。
その意味では、私がこのブログで先月書いた『そして父になる』(監督:是枝裕和)とシチュエーションは似ている。
http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20131005
しかし、是枝作品は家族や血統を考えさせられる映画だったが、『もうひとりの息子』にはまさに「もうひとつの」要素がある。
それは、取り替えられた子どもが、かたやイスラエルの軍人の息子、かたや、イスラエルの占領地・ヨルダン川西岸地区で自動車修理業を営む家の息子と、この両者は、イスラエルが築いた高い塀と厳しい検問によって隔てられているからだ。
兵役や進学の中で、二人の若者はそれぞれ実子ではないことが明らかになる。それどころか、一朝ことあれば互いに殺しあわねばならない関係ですらある。
そうしたなかで彼らの交流がさまざまなエピソードを伴って始まる。
相互の風俗習慣も異なり違和感もある。
そうした状況に馴染めない家族もいる。当たり前だろう。
結論はいうまい。
ただし、これらの地で生まれ育った若者たちが、現在もなお、一触即発の中で日々を送っていることは肝に銘じるべきである。
そしてそれらは、決してそれら若者たちの責任ではない。
身近なところから世界史的な分野にわたって、いろいろ考えさせられた。
映画のハシゴもたまには悪くはない。