今年の冬は長かったと思います。過去形で書きましたが、もういい加減かんべんしてほしいという願望と、にもかかわらずやはり春は確実にやってきているという兆しがあるからです。
私の住まいは都市の郊外で、割合自然が残されてはいますが、まさに「残された」というように人工的な自然(言語矛盾ですがそうなのです)でしか ありません。そんな中、植物たちは一見、その種固有の太古からの営みを繰り返している様に見えるのですが、それとてもちろん、時代とともにその生態系に大 きな変化を被っていることはいうまでもありません。
整備された清水川 アユも登ってくる
しかし、それ以上に著しい変化は動物たちのそれでしょうね。
私がここに住み始めて約半世紀になりますが、その頃は、今はバス通りになっている道路をイタチが横切ったりしていました。近所の草むらでは、キジがヒナたちを連れて闊歩していました。
うちの敷地内にもしばしば、シマヘビがやって来ました。
夏の夜には近くの小川でウシガエルがバスの音域を奏で、隣の田からはトノサマガエルのバリトンが聞こえたものです。今はもうその両者ともにいません。
とくにトノサマガエルは、雨の日など隣の田から遊びに出て、私のうちの玄関先で飛び跳ねていました。
今も、田に水が張られるとカエルが合唱するのですが、低音部を欠いたそれには全く迫力がありません。本来ポリフォニックなはずなのに、単調なモノフォニーを聴いているような感じなのです。
しかし、もっと激減したのが魚類です。
もう何度も書きましたが、このへんの灌漑用水はかつては自然の小川に依存していました。しかし今は、随所に掘られた大きな揚水ポンプに依存して います。その水を効率よく送るために各種の水路はすべてU字溝に替えられました。しかもそれらは、もはや自然の河川とは切断されていますから、田に水を必 要とする以外の時期は完全に干上がっています。川=魚類の生息場所ではもはやないわけです。
私はこれらを非難しようとしてこれを書いているわけではありません。これらはまさに、私を含んだ近代人の欲望の結果として現れたものなのです。曰く、近代化、合理化、効率性などなどの要請への応答で、その意味ではすべての人はギルティなのです。
足元にはマーガレットの花も
そんな中、奇跡的に蘇った川があります。
それは岐阜駅のすぐ南を流れる清水川です。
文字通り自噴もあった清流で、子供の頃、この近くに住んでいた私は、ズボンを濡らし、母に叱られながらも、タモを持って川に入り、小魚たちを追っかけ回したものです。
それが高度成長期の環境汚染で、垂れ流しの淀んだ流れに成り果て、魚類も激減しました。
それが蘇ったのが岐阜駅の改築に伴う周辺の環境整備によってでした。
清水川の環境整備の監修をしたのは後藤宮子さんでした。
この方は、私の高校時代の生物の先生で、私はこの方の授業から多くのものを学びました。
後藤先生は、長良川の中流域で、いわゆる「登り落ち漁」で捕らえた魚を毎日観察し、時代とともに河川環境が変化するのを如実に記述し続けました。
その膨大な研究資料は、今は京大のしかるべき研究室に収められています。
陽光を受ける木製ベンチ 日向ぼっこにはまだ寒い?
その研究はまた、長良川河口堰がこの川にもたらした生態系への悪影響を明らかに示していて、後藤先生はそのデータを元に河口堰のもたらした弊害を主張し続けました。
近年まで、先生とは付かず離れずで連絡がありましたが、今は先生の老化の影響もあって途絶えています。
さて、その先生が監修をして整備した清水川ですが、見事に蘇りました。
水はその名の通りあくまでも清く、その幅わずか数メートルなのですが、フナやハヤはもちろん、夏にはアユが登ってくるのです。
私は何度もそれを目撃しています。というか、その近くを通りかかると、必ず川を覗きこむのが習性となってるのです。
昨日も所用の帰り、そこを覗いてきました。
時期的にアユはいませんが、それでもハヤたちが楽しげに群れていました。
「水ぬるむ」というのはありきたりですが、俳句の世界では亀を鳴かせてしまうのですね。「亀鳴く」は春の季語だそうです。
亀はどんな声で泣くのでしょう。多分、それは高(甲)音ではないでしょうか。
ということで、春の兆しを味わってきました。
帰宅すると、うちの敷地と道路の間に何やら黄色いものが・・・。
やや小ぶりなタンポポの花でした。
こんなところに咲いたら道行く人に踏まれるぞと思ったのですが、わざわざ移植するほどの物好きでもありません。それにタンポポは踏まれたぐらいではポシャラないほどの生命力があるのです。
昨秋苦労して植えたラッパ水仙の蕾が少し膨らんできました。
何十年も前、交通事故死した飼い犬を埋葬した上に植えた桜桃の花もいつの間にか五分咲きぐらいになってきました。
私自身は人生の晩秋を迎えていますが、やはり春は少し華やぐのです。
図書館で本を借りてきました。
アントニオ・ネグリに少し向き合ってみようと思います。
私の住まいは都市の郊外で、割合自然が残されてはいますが、まさに「残された」というように人工的な自然(言語矛盾ですがそうなのです)でしか ありません。そんな中、植物たちは一見、その種固有の太古からの営みを繰り返している様に見えるのですが、それとてもちろん、時代とともにその生態系に大 きな変化を被っていることはいうまでもありません。
整備された清水川 アユも登ってくる
しかし、それ以上に著しい変化は動物たちのそれでしょうね。
私がここに住み始めて約半世紀になりますが、その頃は、今はバス通りになっている道路をイタチが横切ったりしていました。近所の草むらでは、キジがヒナたちを連れて闊歩していました。
うちの敷地内にもしばしば、シマヘビがやって来ました。
夏の夜には近くの小川でウシガエルがバスの音域を奏で、隣の田からはトノサマガエルのバリトンが聞こえたものです。今はもうその両者ともにいません。
とくにトノサマガエルは、雨の日など隣の田から遊びに出て、私のうちの玄関先で飛び跳ねていました。
今も、田に水が張られるとカエルが合唱するのですが、低音部を欠いたそれには全く迫力がありません。本来ポリフォニックなはずなのに、単調なモノフォニーを聴いているような感じなのです。
しかし、もっと激減したのが魚類です。
もう何度も書きましたが、このへんの灌漑用水はかつては自然の小川に依存していました。しかし今は、随所に掘られた大きな揚水ポンプに依存して います。その水を効率よく送るために各種の水路はすべてU字溝に替えられました。しかもそれらは、もはや自然の河川とは切断されていますから、田に水を必 要とする以外の時期は完全に干上がっています。川=魚類の生息場所ではもはやないわけです。
私はこれらを非難しようとしてこれを書いているわけではありません。これらはまさに、私を含んだ近代人の欲望の結果として現れたものなのです。曰く、近代化、合理化、効率性などなどの要請への応答で、その意味ではすべての人はギルティなのです。
足元にはマーガレットの花も
そんな中、奇跡的に蘇った川があります。
それは岐阜駅のすぐ南を流れる清水川です。
文字通り自噴もあった清流で、子供の頃、この近くに住んでいた私は、ズボンを濡らし、母に叱られながらも、タモを持って川に入り、小魚たちを追っかけ回したものです。
それが高度成長期の環境汚染で、垂れ流しの淀んだ流れに成り果て、魚類も激減しました。
それが蘇ったのが岐阜駅の改築に伴う周辺の環境整備によってでした。
清水川の環境整備の監修をしたのは後藤宮子さんでした。
この方は、私の高校時代の生物の先生で、私はこの方の授業から多くのものを学びました。
後藤先生は、長良川の中流域で、いわゆる「登り落ち漁」で捕らえた魚を毎日観察し、時代とともに河川環境が変化するのを如実に記述し続けました。
その膨大な研究資料は、今は京大のしかるべき研究室に収められています。
陽光を受ける木製ベンチ 日向ぼっこにはまだ寒い?
その研究はまた、長良川河口堰がこの川にもたらした生態系への悪影響を明らかに示していて、後藤先生はそのデータを元に河口堰のもたらした弊害を主張し続けました。
近年まで、先生とは付かず離れずで連絡がありましたが、今は先生の老化の影響もあって途絶えています。
さて、その先生が監修をして整備した清水川ですが、見事に蘇りました。
水はその名の通りあくまでも清く、その幅わずか数メートルなのですが、フナやハヤはもちろん、夏にはアユが登ってくるのです。
私は何度もそれを目撃しています。というか、その近くを通りかかると、必ず川を覗きこむのが習性となってるのです。
昨日も所用の帰り、そこを覗いてきました。
時期的にアユはいませんが、それでもハヤたちが楽しげに群れていました。
「水ぬるむ」というのはありきたりですが、俳句の世界では亀を鳴かせてしまうのですね。「亀鳴く」は春の季語だそうです。
亀はどんな声で泣くのでしょう。多分、それは高(甲)音ではないでしょうか。
ということで、春の兆しを味わってきました。
帰宅すると、うちの敷地と道路の間に何やら黄色いものが・・・。
やや小ぶりなタンポポの花でした。
こんなところに咲いたら道行く人に踏まれるぞと思ったのですが、わざわざ移植するほどの物好きでもありません。それにタンポポは踏まれたぐらいではポシャラないほどの生命力があるのです。
昨秋苦労して植えたラッパ水仙の蕾が少し膨らんできました。
何十年も前、交通事故死した飼い犬を埋葬した上に植えた桜桃の花もいつの間にか五分咲きぐらいになってきました。
私自身は人生の晩秋を迎えていますが、やはり春は少し華やぐのです。
図書館で本を借りてきました。
アントニオ・ネグリに少し向き合ってみようと思います。