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前橋汀の晩年チャレンジ そのカルテットを聴く

2017-10-03 14:55:00 | 音楽を聴く
  過日、岐阜サラマンカホールでの前橋汀子カルテットのコンサートへいってきました。
 曲目や演奏者については以下の通りです。

 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲  
   第4番ハ短調 作品18-4
   第11番 ヘ短調「セリオーソ」作品95 
   第16番 へ長調 作品135

  *アンコール 
    チャイコフスキー「アンダンテカンタービレ」 
    ベートーヴェン 作品18-2 フィナーレ 

  前橋汀子(第1ヴァイオリン) 
  久保田巧(第2ヴァイオリン) 
  川本嘉子(ヴィオラ) 
  原田禎夫(チェロ) 

          

 前橋汀子さんといえば、まだ戦後の雰囲気が残るなかでヴァイオリニストを志し、とりわけ、オイストラフの日本公演に触発されて、当時のソ連への留学を目指して中学生の頃からロシア語を学び、1960年、17歳でレニングラード(現・ペトログラード)音楽院への留学を果たし、さらに3年後には、アメリカのジュリアード音楽院に留学したひとです。

 ようするに、60年代初頭の雪解け現象があったにしろ、東西冷戦下のその双方の音楽を身をもって学んだことになります。
 さらに60年代後半には、渡欧し、スイスのモントルーに住居を構えていた晩年のヨーゼフ・シゲティの門を叩き、その教えを乞います。

            
             サラマンカホールのシャンデリア

 デビューは、1970年4月、ストコフスキー指揮によるアメリカンシンフォニーで、ニューヨークカーネギーホールでのことでした。
 以来、半世紀、デビュー以前の演奏活動も含めると、今年で演奏活動は55年になるそうです。

 以後、国内外の一流オケとともにソリストとして協演する傍ら、リサイタルなどでも活躍してきました。
 こうしてもっぱらソリストとして活躍してきた彼女が、カルテットを組み始めたのは3年前からでした。それは、若き日にジュリアードに留学した折知ったカルテットによる表現への魅力を、晩年に至って自ら再現したいということのようです。
 今回のプログラムもそうでしたが、ベートーヴェンの弦楽四重奏の全曲の演奏を目標にしているようです。

          

 で、具体的な演奏ですが、プログラムなどによると彼女がリーダーのカルテットということになっていますが、アンサンブルの場の仕切りといいましょうか、音による誘導といいましょうか、それらはむしろチェロの原田禎夫によっているように思いました。長年ソリストとしてやってきた彼女に比べ、アンサンブルとしての経験は原田禎夫のほうが遥かに豊かなのですから、それはやむを得ないのでしょう。

 同様のプログラムですでに行われた地方の演奏をお聴きになった音楽経験豊かで耳の肥えた方の、彼女の醸し出す音色などへの意見も拝見しているのですが、耳の悪い私には確たることはもちろんいえません。
 しかし、1943年生まれ(私より5歳下だ)、古希を過ぎた彼女が、これまで未体験のカルテットで、ベートーヴェンの全曲に挑むそのチャレンジャー精神を買ってやりたいと思います。

 聴衆の拍手に対して、子どものような表情で(もともと童顔なのですが)破顔一笑して応えていた彼女を今後も応援してやりたくなりました。
 かつてのビッグネームも、その陰りが見え始める年齢、それをも押して頑張れとういのは単に自分と重ね合わせた、いってみればエゴイスティックな投影なのかもしれません。

 考えてみれば、音楽を聴くということも好きなのですが、それ以前に人間が好きなのでしょうね。だから、シニアグラスをかけて、楽章ごとに楽譜を確認してでなければ弾きはじめることができないそんな彼女に、勝手に感情移入してしまうのです。

            

 まあ、私の音楽の聴き方も、恣意的で皆さんの参考にはならないようでしょうね。
 このカルテット、今後共にこれらのプログラムで全国ツアーを行うようです。
 あなたのお近くにいった際には、ぜひ前橋汀子さんに会いに行ってやってください。

なお、以下に世界を舞台に活躍していた彼女が、1980年に日本に戻ってくるまでの軌跡を、自ら綴った文章があります。
 すでに鬼籍に入った一世代も二世代も前のビッグネームとの交流が綴られていて、彼女自身の長い活躍の跡が偲ばれます。


  http://www.officemusica.com/maehashi_history.html
 



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