『中くらいの友だち』という面白い名前の同人誌がある。
ありていに言えば韓国で暮らす日本人と、在日韓国人との架け橋のような雑誌である。
日韓、あるいは韓日の間には、隣国だけあって深い歴史的経緯があって、ともすれば政治やイデオロギーとして語られる側面が多いのだが、ある意味では、それらを棚上げして、とりあえずは相互の文化交流のようなところに視点を据え、そこから見て考えたことを率直に表現するということがコンセプトのようだ。
それを前提にこの同人誌を読んでゆくと、新聞やTV、あるいはネットでも知ることができない相互の交流の実状が、それを担う当事者たち(それぞれの国で活躍するそれぞれの人たち)の視線でみえてきてとても面白い。
ところで、ここに書こうとしたのはその雑誌についてもだが、発刊以来、一年が経過し、その第3号が出来上がったことを記念して行われた【『中くらいの友だち』と韓国ロックの夕べ ”李銀子(伽倻琴)/佐藤行衛(ギター)"】(@得三 名古屋今池)というライブについてである。
この李銀子さんとはほぼ30年を遡る知り合いで、そのお連れ合いもよく知っている。
佐藤行衛氏は韓国へ渡った日本のギタリストで、「コブチャンチョンゴル」というバンドを率いてソウルを中心に活躍している。コブチャンチョンゴルとはごった煮とかモツ鍋を意味していて、彼自身、『中くらいの友だち』には「コブチャンチョンゴルの飲んだり、食べたり、歌ったり」という日韓の民衆音楽の交流や、韓国の、主としてB級グルメの楽しい紹介を行ったりしている。
李銀子さんの伽倻琴というのは、日本の琴に似た楽器だが、琴ほど鋭角的な音色ではなく、ソフトでまろやかで、コントラバスのピチカートにも似た低い音も出るし、曲の聴かせどころでは聴き手の体に響くほどのパンチがある音も出る。
この楽器を聞くのは三回目だが、その都度、なんだか郷愁にも似た懐かしさを感じる。
佐藤氏は今回はアコースティック・ギターでの登場だが、そのギターが上手い。もちろん歌もうまい。ロック特有のガナリ声も表情豊かに聞こえるし、洗練された高音も伸びやかであった。
さらには金利恵さんの歌もしっとりと聴くことができた。この金利恵さん、本業は韓国舞踊とのことだが、最後のフィナレーの身のこなしでその片鱗を見ることができた。
なお、ローマ字で書くと私と同姓同名になってしまう私の友人にして俳人と、この金さんは俳句仲間とのことで、回り回った縁でもある。
出演者ひとりひとりの表現もだが、そのそれぞれのコラボがとても面白かった。伽倻琴とギター、そして歌、それらの絡み合いは、冒頭に述べた同人誌、『中くらいの友だち』のコンセプトが、音響として耳から飛び込んでくるかのような趣があった。
なお、佐藤氏のライブ当日についての記述がMixiの以下ところにあるので、お読みいただければそのライブの内容がお分かりいただけると思う。
http://mixi.jp/list_diary.pl?id=5675730&year=2018&month=5&day=19
ありていに言えば韓国で暮らす日本人と、在日韓国人との架け橋のような雑誌である。
日韓、あるいは韓日の間には、隣国だけあって深い歴史的経緯があって、ともすれば政治やイデオロギーとして語られる側面が多いのだが、ある意味では、それらを棚上げして、とりあえずは相互の文化交流のようなところに視点を据え、そこから見て考えたことを率直に表現するということがコンセプトのようだ。
それを前提にこの同人誌を読んでゆくと、新聞やTV、あるいはネットでも知ることができない相互の交流の実状が、それを担う当事者たち(それぞれの国で活躍するそれぞれの人たち)の視線でみえてきてとても面白い。
ところで、ここに書こうとしたのはその雑誌についてもだが、発刊以来、一年が経過し、その第3号が出来上がったことを記念して行われた【『中くらいの友だち』と韓国ロックの夕べ ”李銀子(伽倻琴)/佐藤行衛(ギター)"】(@得三 名古屋今池)というライブについてである。
この李銀子さんとはほぼ30年を遡る知り合いで、そのお連れ合いもよく知っている。
佐藤行衛氏は韓国へ渡った日本のギタリストで、「コブチャンチョンゴル」というバンドを率いてソウルを中心に活躍している。コブチャンチョンゴルとはごった煮とかモツ鍋を意味していて、彼自身、『中くらいの友だち』には「コブチャンチョンゴルの飲んだり、食べたり、歌ったり」という日韓の民衆音楽の交流や、韓国の、主としてB級グルメの楽しい紹介を行ったりしている。
李銀子さんの伽倻琴というのは、日本の琴に似た楽器だが、琴ほど鋭角的な音色ではなく、ソフトでまろやかで、コントラバスのピチカートにも似た低い音も出るし、曲の聴かせどころでは聴き手の体に響くほどのパンチがある音も出る。
この楽器を聞くのは三回目だが、その都度、なんだか郷愁にも似た懐かしさを感じる。
佐藤氏は今回はアコースティック・ギターでの登場だが、そのギターが上手い。もちろん歌もうまい。ロック特有のガナリ声も表情豊かに聞こえるし、洗練された高音も伸びやかであった。
さらには金利恵さんの歌もしっとりと聴くことができた。この金利恵さん、本業は韓国舞踊とのことだが、最後のフィナレーの身のこなしでその片鱗を見ることができた。
なお、ローマ字で書くと私と同姓同名になってしまう私の友人にして俳人と、この金さんは俳句仲間とのことで、回り回った縁でもある。
出演者ひとりひとりの表現もだが、そのそれぞれのコラボがとても面白かった。伽倻琴とギター、そして歌、それらの絡み合いは、冒頭に述べた同人誌、『中くらいの友だち』のコンセプトが、音響として耳から飛び込んでくるかのような趣があった。
なお、佐藤氏のライブ当日についての記述がMixiの以下ところにあるので、お読みいただければそのライブの内容がお分かりいただけると思う。
http://mixi.jp/list_diary.pl?id=5675730&year=2018&month=5&day=19