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ホロコーストと東西分断の痕跡を訪ねて 八五歳ヨーロッパ一人旅

2024-08-01 11:58:09 | 旅行

 さて、ベルリンへ来た以上、この街が20世紀の世界史の中で果たした事どもの痕跡を訪れないわけにはいかないだろう。最終日はそれに当てることとした。

      

 まず最初に訪れたのは、ブランデンブルク門すぐ南の「ホロコーストで殺されたユダヤ人犠牲者のための記念碑」である。記念碑といってもそれらしい広場に、碑が建っているわけではなく、約2万㎡の広場に、0.95m×2.38mで高さは0m~4.5mさまざまな石碑、2,711基がさながら迷路のように広がる壮大なエリアである。
 その地下には、ホロコーストの各種資料を展示した博物館があるとのことだったが、入り口付近の行列の長さに入場は諦め、立ち並ぶ石の間を歩いた。

     
 この巨大な迷路のような石の広がりは、どんな立派な記念碑にも増して、ホロコーストの不可解さを象徴しているだろう。周りの樹木や、遠望できる近代的な建造物との対比で、この異様な空間は際立ち、それによってホロコーストの歴史的実在の不気味さが突きつけられている。

     

 石碑群の端には特別のコーナーがあり、そこには3人の女性の写真と、その言葉が刻まれている。
 私もよくは知らないが、最初のコーラ・ベルリナーはホロコーストに抵抗し、1942年に刑死した女性のようだ。
 2番目のそれは、ゲルトルート・コルマーというユダヤ系女流詩人で、1943年、ナチスに勾留されて以降、生死不明とあるから収容所での最終処分の犠牲者であろう。

     


 三番目はハンナ・アーレントで、彼女はフランス、そしてアメリカへと亡命し、思想家として永らえるのだが、その彼女の言葉が英文で刻まれている。それを訳せば、「多くの人たちと同じように、彼は (・・・・)変態でもサディストでもなく、ひどく恐ろしいほど普通の人でした。」となる。
 これは彼女の著書の一つ、『悪の凡庸さについて』と同趣旨で、600万人ともいわれるユダヤ人を殺したナチスの官僚たちは、極めて普通の人々であったという事実である。

     

          
 彼女はそれを、エルサレムでのアイヒマン裁判で感得したのだが、それは誤解されたように、だから彼らは許されるべきだということではなく、だからこそこの恐怖はより深く追及さるべきだというものであった。普通の人が、淡々とこなす日常的な営為のなかで、流れ作業としての「最終処分」が実施されてゆく、アーレントはそこで欠落しているのはまさに人としての「思考」であるとした。
 地球上での残虐作用は、決して鬼畜によってなされるのではない。明日には、私達自身が自分に課された単純な作業としてそれをなしうるのだ。
 なお、この記念碑群の置かれた広場の南側の通りは、「ハンナ・アーレント通り」と名付けられていて、私はそこをうろちょろしながら、彼女のものを読んでいたころを回想していた。

     
 この近くに、ヒトラーが立てこもっていた地下壕があり、その最後の地もあって、公園の中に碑があるとのことだったが、見つけることはできなかった。
 それを諦めた後、もう一つのベルリンがベルリンたる所以の地へ向かうのだが、長くなったので次回に。
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