夏の風を受けた青々とした稲の波模様
周囲100mに人家はないような田んぼの中の一軒家に住まって以来半世紀、田園地帯と市街地とのせめぎ合いのなか、ついに最終段階を迎え、ここ2,3年の間に殆どの田んぼが消え失せ、市街地化が凱歌をあげつつあることはもう何度も書いてきた。
10年ほど前の稲刈りの様子 下の二枚も同様
それを象徴するのが、私が長年ウオッチングをしてきた2反=600坪=約2,000㎡の田んぼが、耕作されなくなり、ついには埋め立てられてコンビニができるというこの現実である。
その田は、わが家から歩数で50歩ほどの箇所で、数年前までは専業農家の耕作者によって熱心に農作業が行われていた。「熱心に」というのは、私の友人の農作業機器の専門家が驚くような旧式の農作業機器を使い続け、それでも頑張っていたからだ。
そんなこともあって、他の田はどうなろうともここだけは引き続き、私の死後までも耕作されるだろうと思っていた。にもかかわらず、それが中断されたのは不幸な出来事のためだった。
数年前の雪の日 手前の休耕田は埋め立てられたが彼の田は健在
彼は4年ほど前の正月、なにかの発作で急死したのだった。結構広い昔ながらの農家に住んではいたが、一人暮らしだったため、その発見は遅れたという。
その田んぼをウオッチングする上で、何回か話を交わす機会もあったが、今どき珍しいまさに実直な農民といった風情であった。なお、年齢は不詳であるが、私の息子といっていい世代だった。
枯れ草の原っぱとなった箇所に捨てられたゴミ
彼の姻戚関係は、それぞれ遠隔地の都会暮らしで、その耕作を継承する気は毛頭なく、それどころかその土地を管理することも放棄していたため、その地は荒れ放題になり、雑草の繁殖はもちろん、ついには1mを超える灌木までが生えるに至った。
それに追い打ちをかけたのが、粗大ゴミ級の大型ゴミなどの不法投棄であった。
ついに灌木まで生え始めた
長年、その田で若苗が植えられ、夏には青々とした稲が風に波打ち、秋には黄金色に実ったそれらが刈り取られるのをみてきた身には、それらは実に痛々しい風景であり、そんなゴミをわざわざ運んできて捨て去る連中の精神を疑い、そして憎んだ。
昨年末、若干整理され、普通の休耕田へ
しかし、昨年暮れ近く、それらの粗大ゴミは片付けられ、灌木や背の高い雑草は刈り取られ、普通の休耕田の姿へ戻った。その折、この土地は、誰か第三者の手に渡ったことを確信した。
そして年が改まり、「近くで工事をさせてもらいます」とマニュアル通りに挨拶に来た建設会社の従業員は、私の問いに、「できるのはコンビニです」と応じてくれた。
今月初めから始まった工事 下も同様
今月はじめからまずは埋め立てる工事が始まった。ダンプカーが土砂を運び入れ、ブルド―ザーがそれを均してゆく。その響きはかつての平穏な耕作地が跡形もなく消え失せる葬送行進曲に聞こえる。
ここに載せた写真たち、そして何本かの動画は、私のPCの中に残っていた10年以上前からのこの田の記憶の映像である。
もう3年もすれば、誰もがかつてここに豊かな田があり、それは何百年(それ以上長い歴史があるかも)にわたっての農民たちによって継承されてきたものであったという事実を思い起こしもしないであろう。私もまた、それを思い起こすことがあるかどうかは怪しいものだ。
コンビニになることが示されている
ここにそれらを載せることにどんな意味があるのかはわからない。
ただ、ここで積年にわたって展開された稲作の歴史、その最後の担い手であった急死した彼へのレクイエムとしてこれを残しておきたいと思う。
■以下は私が撮った関連する動画(年代順は不同)
1)耕作されなくなって4年目の夏
https://www.youtube.com/watch?v=aJ-rX4b8f9U
2)10年以上前の田植え風景
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3)これも10年ほど前の稲刈り(広告はスキップしてください)
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4)これもかなり前 田植えされた彼の田の手前の休耕田を飛び交う燕たち
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5)埋め立てられる手前の休耕田と彼の稲刈り(合成)
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こちらは雪こそありませんがもうこの寒さはごめんこうむりたいです。
今期の冬は生真面目で融通が効かないようです。
真面目なのは一般的にいいことですが、前に「ク○」がつくようですと、尊敬の念を通り過ぎ、はた迷惑になることすらあることを教えてやらねばなりません。