「そうだ、明日は図書館へ行くついでに、岐阜県立美術館へゆこう。【てくてく現代美術世界一周】と題して、『タグチヒロシ・アートコレクション』を展示している。図書館へ行くたびに、隣の美術館を横目に見て気にはしていたのだが、時間の制約などがあってのびのびになっていた。どんな内容なのかはさっぱり分からない。
しかし、それが楽しい。この田口弘氏、実業家であり現代美術作品のコレクターで、岐阜県郡上市出身らしい。1937年生まれというから私よりも1つ年上だ。その同世代人がどんな美術品に興味を持って集めたのだろうか。百聞は一見にしかずだ。とにかく、観てこよう。」
村上隆「黄色い麦わら帽子の女の子」 近年、フィギアのほうが話題になっているが、
それはなかった
と書いたのは、5月1日のことだった。で、その通り翌2日に行ってきた。報告が今頃になったのは、何やかやあって写真の整理などができなかったからだ。
上に述べたように、田口というひと、私より一歳年上の岐阜県人だが、この世界に疎い私は、こんなひとがいることも知らなかった。「現代芸術」のコレクションとあってどんなものをと思って行ったのだが、割とオーソドックスなもので、それはそれとして楽しかった。
川島秀明 「結末」
日本の作家のものとその他のものが別れて展示されていたが、私のような素人にはそのほうがわかりやすい。外国の作家ときたらアンディ・ウォーフォールかマルセル・デュシャンぐらいしか知らないのだから。
その点、日本の作家の有名どころは眼につきやすいし、何かとスキャンダラスに報じられたりもして露出度が高い。
会田誠「灰色の山」山と積み上げられたのはサラリーマンの屍だという
この人も近年は色っぽい少女で話題を呼んでいるがそれはなかった
写真に掲載したものは日本の作家のものである。
その全てが会場で私が撮ったものである。
この会場では、一部をのぞいてほとんどが撮影可であった。
解説をするほどの知識は持ち合わせていないのでそれは抜きにする。
大槻 透 「四季」
ところでこの撮影の可否について、一度憤慨に耐えぬ事態に遭遇したことがあるのでそれを書きたい。
私とてもういらないくらい年を重ねてしまった老人、人並みの常識はわきまえているつもりなので、美術展などの撮影禁止のところで写真を撮ったりはしない。
草間彌生 この人は赤に白いドット(水玉)がよく知られているが、この作品は
白い点が細かく、遠目には赤ベタに見える
ただ一度だけ、それで注意されたことがある。
何年か前の「あいちトリエンナーレ」の折、それを観に行ったわけではないが、たまたま愛知県の芸術文化センターに所用があったので出かけた。地下鉄を降りて、そのまま進むとこのセンターのB2に至り、そこは行き交う人達が交差するロビー状態になっている。
そこに、キリンのフィギアーがあったのでこれは面白いとガラケーを向けたら、若い係員と思しきひとが飛んできて、「これは撮影禁止です」という。
加藤 泉 フィギアと油彩(うしろ)
ならば致し方無いとは思ったが、あまり納得がゆかなかったので、「でもここは展示場ではなく不特定多数のひとが行き交う場所でしょう。だとしたら野外彫刻と一緒でしょう」といってみた。
若い人は一瞬口ごもったが、「でも、駄目なんです」という。
こんなところで押し問答をしてもと思ってふと視線を上げると、この場所は吹き抜けになっていて、上方(つまりB1)の手すりから複数の人たちが撮影しているではないか。
「あそこからはよくて、どうしてベストアングルのここからは駄目なんですか」と再び私。
奈良美智 アクリル画とセラミックス ひと目でこの人の作品と分かる
「いや、あそこまでは手が回りませんから」と係員。
こういうのを私のボキャでは官僚主義という。「官僚主義と現代芸術の関係は?」と問いたくなったのだが、これ以上粘るとクレイマーとして警備員を呼ばれそうだったので、「撮影されたくなかったら、こんな不特定多数が通りかかる場所に展示しないよう作者にいっておいて下さい」と捨て台詞を残してその場を後にした。
加藤美佳(タレントとは別人) 「マスカット」
私の怒りはさらにそのあとに増幅されることとなった。
その建物の10階に上がった。その階は、メインの展示室のほか大小の展示室、それにレストランと、B2に比べここを訪れるひとははるかに限定される。その10階のロビーとみなされる場所に、先ほどと同じ作家の作品とひと目で分かるゾウのフィギアが展示されていたのだ。
また写真を撮るとうるさいんだろうなと横目に見て通りすぎようとしてよくみたら、回りにいる人たちが誰に制止されることもなく写真を撮っているではないか。
リチャード・モス(アイルランド) デジタルCプリント
よほどB2へ取って返し、先ほどの係員の襟首をとっ捕まえて連れてきて、「これは何なんだ」といってやりたい衝動がこみ上げてきたが、どうせあの係員も、その是非もわからずマニュアル通りに行動しているのだろうと考えて自制した。物事の良否を自分で考えることができないひととの対話は成立そのものがおぼつかない。
悪いのは、こんな公の場所に展示しながら、撮影禁止などというマニュアルを作ったやつだろう。
ヴィック・ムニーズ (ブラジル)「マリリン・モンロー」
「現代芸術」ときくとその時の情景がトラウマのようによみがえるのだが、今回の展示会場内で撮影可が圧倒的に多かったことで、それが少しは晴れたようだ。
掲載した写真についてはキャプションを見ていただきたいが、キャプションで説明しきれない作品もあって、実は私はその作品の前に一番長く佇んだのだが、もう十分長くなった。
稿を改めて書いてみたい。
*なお、上記美術展は5月17日まで。
しかし、それが楽しい。この田口弘氏、実業家であり現代美術作品のコレクターで、岐阜県郡上市出身らしい。1937年生まれというから私よりも1つ年上だ。その同世代人がどんな美術品に興味を持って集めたのだろうか。百聞は一見にしかずだ。とにかく、観てこよう。」
村上隆「黄色い麦わら帽子の女の子」 近年、フィギアのほうが話題になっているが、
それはなかった
と書いたのは、5月1日のことだった。で、その通り翌2日に行ってきた。報告が今頃になったのは、何やかやあって写真の整理などができなかったからだ。
上に述べたように、田口というひと、私より一歳年上の岐阜県人だが、この世界に疎い私は、こんなひとがいることも知らなかった。「現代芸術」のコレクションとあってどんなものをと思って行ったのだが、割とオーソドックスなもので、それはそれとして楽しかった。
川島秀明 「結末」
日本の作家のものとその他のものが別れて展示されていたが、私のような素人にはそのほうがわかりやすい。外国の作家ときたらアンディ・ウォーフォールかマルセル・デュシャンぐらいしか知らないのだから。
その点、日本の作家の有名どころは眼につきやすいし、何かとスキャンダラスに報じられたりもして露出度が高い。
会田誠「灰色の山」山と積み上げられたのはサラリーマンの屍だという
この人も近年は色っぽい少女で話題を呼んでいるがそれはなかった
写真に掲載したものは日本の作家のものである。
その全てが会場で私が撮ったものである。
この会場では、一部をのぞいてほとんどが撮影可であった。
解説をするほどの知識は持ち合わせていないのでそれは抜きにする。
大槻 透 「四季」
ところでこの撮影の可否について、一度憤慨に耐えぬ事態に遭遇したことがあるのでそれを書きたい。
私とてもういらないくらい年を重ねてしまった老人、人並みの常識はわきまえているつもりなので、美術展などの撮影禁止のところで写真を撮ったりはしない。
草間彌生 この人は赤に白いドット(水玉)がよく知られているが、この作品は
白い点が細かく、遠目には赤ベタに見える
ただ一度だけ、それで注意されたことがある。
何年か前の「あいちトリエンナーレ」の折、それを観に行ったわけではないが、たまたま愛知県の芸術文化センターに所用があったので出かけた。地下鉄を降りて、そのまま進むとこのセンターのB2に至り、そこは行き交う人達が交差するロビー状態になっている。
そこに、キリンのフィギアーがあったのでこれは面白いとガラケーを向けたら、若い係員と思しきひとが飛んできて、「これは撮影禁止です」という。
加藤 泉 フィギアと油彩(うしろ)
ならば致し方無いとは思ったが、あまり納得がゆかなかったので、「でもここは展示場ではなく不特定多数のひとが行き交う場所でしょう。だとしたら野外彫刻と一緒でしょう」といってみた。
若い人は一瞬口ごもったが、「でも、駄目なんです」という。
こんなところで押し問答をしてもと思ってふと視線を上げると、この場所は吹き抜けになっていて、上方(つまりB1)の手すりから複数の人たちが撮影しているではないか。
「あそこからはよくて、どうしてベストアングルのここからは駄目なんですか」と再び私。
奈良美智 アクリル画とセラミックス ひと目でこの人の作品と分かる
「いや、あそこまでは手が回りませんから」と係員。
こういうのを私のボキャでは官僚主義という。「官僚主義と現代芸術の関係は?」と問いたくなったのだが、これ以上粘るとクレイマーとして警備員を呼ばれそうだったので、「撮影されたくなかったら、こんな不特定多数が通りかかる場所に展示しないよう作者にいっておいて下さい」と捨て台詞を残してその場を後にした。
加藤美佳(タレントとは別人) 「マスカット」
私の怒りはさらにそのあとに増幅されることとなった。
その建物の10階に上がった。その階は、メインの展示室のほか大小の展示室、それにレストランと、B2に比べここを訪れるひとははるかに限定される。その10階のロビーとみなされる場所に、先ほどと同じ作家の作品とひと目で分かるゾウのフィギアが展示されていたのだ。
また写真を撮るとうるさいんだろうなと横目に見て通りすぎようとしてよくみたら、回りにいる人たちが誰に制止されることもなく写真を撮っているではないか。
リチャード・モス(アイルランド) デジタルCプリント
よほどB2へ取って返し、先ほどの係員の襟首をとっ捕まえて連れてきて、「これは何なんだ」といってやりたい衝動がこみ上げてきたが、どうせあの係員も、その是非もわからずマニュアル通りに行動しているのだろうと考えて自制した。物事の良否を自分で考えることができないひととの対話は成立そのものがおぼつかない。
悪いのは、こんな公の場所に展示しながら、撮影禁止などというマニュアルを作ったやつだろう。
ヴィック・ムニーズ (ブラジル)「マリリン・モンロー」
「現代芸術」ときくとその時の情景がトラウマのようによみがえるのだが、今回の展示会場内で撮影可が圧倒的に多かったことで、それが少しは晴れたようだ。
掲載した写真についてはキャプションを見ていただきたいが、キャプションで説明しきれない作品もあって、実は私はその作品の前に一番長く佇んだのだが、もう十分長くなった。
稿を改めて書いてみたい。
*なお、上記美術展は5月17日まで。