六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

老女はひたすら故郷を目指す 樽見鉄道の旅から

2020-12-15 01:52:15 | フォトエッセイ

 過日、校下のサークルの人たちと、岐阜県内の三セク鉄道、樽見鉄道の一日フリーきっぷを使っての日帰り旅に出かけた。
 まず大垣駅から北上し、終点の樽見駅まで行って、あとは折返し、ここぞというポイントで下車しながら、附近を散策し、写真を撮ったりして南下した。
 この経緯についてはまた追って書いてみたいが、とりあえずはそこで出会った印象的なエピソードについて書きたいと思う。

         
                本巣駅にて

 樽見から折返し、三つ目の日当(ひなた)駅で下車した。時刻表によれば次の列車までは一時間余あるので、その間にそれぞれ思い思いにその集落や根尾川の初冬のなかを散策したのだった。
 集合予定時刻のやや前に着いた私は、これまで歩いたのとは逆方向も少し見ておこうと歩を進め、山道特有のヘアピンカーブのようなところへさしかかった折だった。

         
                樽見駅近くで

 そのカーブの向こうから、ヒョイと一人の老婦人が現れたのだ。私自身がじゅうぶん高齢なのだが、見たとこそれを遥かに上回る彼女は、疲れたらそこに座れる腰掛け型の手押し車をうつむきかげんで押していた。
 その歩みは鈍く、10歩も進んだかと思うと立ち止まり、その椅子の部分に腰を下ろすのでもなく、手すりの部分に寄っかかってしばし休み、また歩き始めるのだった。

 ちょっと気にかかったのは、スマホのマップによれば、このカーブの先の近くには集落や人家はなく、したがってこの老婦人はかなり先からやってきたことになる。それを確かめるべく、彼女に「こんにちは」と挨拶をしてすれ違い、カーブのところまで行ってみた。やはりマップの通り、かなり先まで集落らしきものはない。

            

 引き返して、ちょうど休憩中だった彼女に尋ねた。
 「どこへ行かれるんですか」
 彼女は耳が遠いらしく、
 「もうすぐ百になるから」
 と答えた。
 もう一度大きな声で、
 「どこへ行くんですか」
 と訊いたら、今度は聞こえたらしく、
 「在所の日当へ行って、先祖の墓参りをし、畑仕事を」
 とのことだった。

           

                 日当(ひなた)駅
 

 日当の集落というのは先ほど私が行ってきたところで、近くて数百メートル、はずれなら1キロはある。
 こうして話しているうちにも、彼女は俯いて車を押すため、つい道路の中央へはみ出す。いくら田舎道とはいえ、2分に一度ぐらいの割合で車が通る。その都度私は、両手を広げ、車に指示を出しながらやり過ごすのだった。

 https://www.youtube.com/watch?v=h1E3qhWDZf0

 道は登り坂にさしかかった。樽見線の渡線部分でしばらく登りが続き、登りきれば今度は下り坂である。登りの部分でも彼女は止まって休憩するのだが、その都度、手押車が下へと動きそうになる。私はそれを支えながら、やってくる車に避けてくれるよう指示を出し続ける。
 椅子の部分を指差して、「ここへ座ったら私が押します」というのだが、それに従う気配はない。
 この登りもだが下りはさらに危険だ。

 私はジレンマにとらわれていた。乗るべき次の列車の時間が迫ってきたのだ。これに乗らなければ、また一時間後を待たねばならない。かといって彼女をこのまま放置するのは危険この上もない。
 私は一列車遅らすのを覚悟した。とはいえ、最後まで彼女の面倒はみきれないから、110番に電話をして彼女を保護してもらい、それを見届けてからこの場を離れようと思った。

         

 その時であった。彼女の背後から白いバンが通りかかった。乗用車よりやや車幅が広そうなので、彼女を道路の端へ誘導し、車を反対へ誘導するよう合図をした。
 ところがである。その車は私の指示に従わないばかりか、私と彼女の後をぴったり付けるようにノロノロとついて来るのだ。私はさらに大きく手を振って合図をした。

 すると、運転していた男性が、窓を開けて言った。
 「大丈夫です。それはうちの婆様ですから」
 事情を聞くとこうだった。
 彼は彼女の息子で、彼女には認知症があって時折、徘徊する。だから家族で気をつけてはいるのだが、しばしばその目を盗んで出かけてしまう。しかし、その徘徊の行く先は毎回決まっていて、私が聞いたように「在所へ行って墓参りと畑仕事」だそうなのだ。
 今日も気がついたらいないので、慌てて追っかけてきたところだという。

 そこで、もうひとつ意外な展開があった。
 「ところで、あなたはどうしてここに?」
 と彼に訊かれるままに、「仲間といっしょに、フリーきっぷで樽見鉄道を満喫しているのです」と答えると、とたんに笑顔が弾け、「それはそれは、どうもありがとうございます」と丁重に礼を言われてしまった。

            
            最後に乗った木知原(こちぼら)駅で

 え、え、え、あなたは樽見鉄道の社長さん?と驚いたのだが、聞けばこのひと、この間まで、NPO法人「樽見鉄道を守る会」の理事長をしていたという。
 私が、彼の母である老婦人と遭遇したのも、樽見鉄道がとりもった縁というべきかもしれない。
 というわけで私は、無事ほかのメンバーと同じ列車に乗って旅を続けることができたのであった。

 最後に、私が感服したのは、その元理事長、母親の行動を強い言葉や行動で規制することはせず、その安全をガードしながら、彼女の動きに寄り添っていたことである。
 力づくで彼女を車に乗せて連れ去ることは可能だったろう。しかし、彼はそれをしなかった。私たちがプラットホームで列車を待つ間にも、彼女の亀の歩みに寄り添いながらノロノロと進む彼の車が目撃できた。

 岐阜の山間部、根尾川沿いを走る樽見鉄道、この路線を思い浮かべるとき、上に述べた私の経験は、必ずいっしょに思い浮かべるエピソードとなることだろう。

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【ある昼餉の記録】作って食う、これぞ一人飯の快楽

2020-12-11 11:29:17 | 写真とおしゃべり

 タイトル通りだ。自分で作って、自分で食う。作るも自由、食うも自由。誰にも指図されず、誰にも文句は言われない。これぞ食の快楽のひとつ。
 昼餉にダラダラ時間をとることはできない。どれもが、残り物や期限切れ近い在庫の処理をも兼ねた即席で、調理時間は15分以内を目安。

         
鶏唐揚蕎麦
 完全に昨夜の残り物の処理。野菜は青ネギだがやや少なくて頼りないので、白菜の葉を一枚使っている。
 出汁に唐揚げの味が移って面白い味わいだった。

         
和風焼き飯
 冷や飯の処理。具もありあわせのもの、おかずの残り物を細かく刻む。野菜が足りなければ、ピーマン、玉ネギなど、ひたすら細かく刻む。油はサラダオイル。刻んだものを炒めている間に、冷や飯をレンジで温める。それを炒めたものに合わせ、味付けは顆粒かつおだし、塩、コショウ、醤油少々。最後に刻んだ柚子の皮をやや多めに混ぜ合わせる。盛り付けた後、大葉の千切りを乗せて完成。
 味付けもひたすらあっさりめを目指す。

         
ラーメン(おでん出汁風味)
 おでんの出汁は、本題の出し汁の他に、入れた素材の味も加わって複雑な味わい。その濃厚さにちょっと手を加えてラーメンの出汁に。まずは辛さを調整し、パンチを出すため、胡椒、牡蠣油、タバスコなどを加える。
 具はありあわせで、この際はキャベツ、もやし、ボンレスハム、それに風邪予防で青ネギをどっさり。
 複雑怪奇で表現不能だが、うまかったことは間違いない。

         
焼きそば
 前にも書いたが、私の流儀はまずはそばのみを狐色がつくほどに炒めて、取り出しておく。そこで今度は野菜や肉切れなどの出番。高温でさっと炒める。油が回ったら、火を少し落としてそばを戻し入れる。素早く味付けをして完成。
 この方法のメリットは、そばがべとつかない、野菜はシャキッとした感触が残っているといった具合で、屋台の焼きそばとはまた変わった味わいになること。

         
あんかけ蕎麦
 残り物の鶏むね肉あっさりソティの処理で考えた。他の食材はニンジンと白菜のみ。白菜の白い部分は、ニンジン同様の千切り風に、青い部分は適当に。ニンジンは硬いから時差をもたせて火にかける。味付けはお好みで。
 あんかけにすることで冷めにくくなる。写真では見えないが、柚子をちらしたので風味がまして季節感がでた。

         
でたらめパスタ
 これも残り物の処理。今顔は昨夕餉の豚フィレ肉の一口ソティの処理。他に具はキャベツとピーマン。味付けはその折の気まま。今回はナポリタンとまでは行かないほどの少量のケチャップと薄口醤油少々。
 炒めるオリーブ油に、ニンニクと鷹の爪をしっかり効かせたあるのでペペロンチーノ風でもある。
 なお、料理番組などではパスタを湯がくのに大量の塩を用いるが、私はしない。これは、下味つけとアルデンテにするためだそうだが、その辺にはあまり気を使わない。
 かつて、アルデンテで有名というイタメシ屋で食べた麺の硬さとその後の腹痛に懲りたことがあるからだ。

《教訓》残り物をそのまま食べるのは味気ない。ジャンルなど気にしなくてなにかに転用したり、勝手にコラボをすると、新たな味わいが生まれ、残り物の処理という後ろ向きな発想から、新たな味へのチャレンジという気分が生まれる。
 食の楽しさは八十路に残された数少ない灯りのひとつ。

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日本海の幸をその日の夕食にいただける至福!

2020-12-10 11:46:34 | フォトエッセイ

 日本海で泳いでいた魚を、その日の夕方には口にできる。とりわけ海なし県の岐阜に住まいする者にとってはありがたいことこの上ない話である。
 決して物流の進歩を讃えているわけではない。釣り人の好意への感謝を伝えたいのだ。しかも、愛知県に帰る経路からみると、わざわざ高速を降りて遠回りになるのに、それを届けていただいたその厚意に対してである。

         

 頂いたのは真鯛とハマチ。この光沢は、この辺りではめったに見られないものだ。とりわけ真鯛のこの色合いの美しさはまれに見るものだ。この赤さがひときわ美しく映える色合いは季節によるものだろうか。

         

 真鯛は、早速この日の夕餉に刺し身にした。普通、お造りは、白身は薄く、赤身は厚く切るなどというが、じゅうぶんな身の量があったので、思い切ってやや厚めに切ってみた。
 この歳にしては歯が丈夫なせいで、その跳ね返すような弾力、口腔に広がる天然の甘み、微かな潮の香、などなどをじゅうぶん楽しむことができた。

         

 鯛のアラはもちろん捨てたりしない。兜煮にするつもりで保存した。

         

 ハマチは三枚卸しにして、片身は翌日の夕食時に刺し身と照り焼きにした。
 この濃い身の色合いこそ天然物の特徴で、養殖や鮮度の落ちたものの白茶けた色相とはまったく違う。
 その翌日に回した刺し身であったが、冊にしてキッチンペーパーとサランラップに包んでおいただけなのに、まったく鮮度を失なわず、しっかりした歯ごたえを残していて、流石に身が締まった天然物と感服した。

         

 数十年前、漁港の民宿で口にした、それまでのフニャッとした柔らかな食感とはまったく違ったハマチの美味さに感嘆した覚えがあるが、その折の感動を彷彿とさせるものがあった。

 これも、アラはブリ大根を作るつもりで、もう半身も適宜使用するつもりで保存してある。

 日本酒との取り合わせをじゅうぶん堪能しながら、早朝から日没近くまで、寒い日本海で竿を操作し続けたでろう釣り人のことを思い、その釣果を、こんなにぬくぬく味あわせていただいていいものかと、なんだか申し訳ないような気もしてきて、改めて感謝を込めながら味合わせていただいた次第。多謝あるのみ!

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そこにある世界での生 小説『中央駅』(キム・ヘジン 生田美保:訳 彩流社)を読んで

2020-12-08 01:15:54 | 書評

 なんでこんな本を読んでしまったのだろう。
 後悔しているわけではないが、そのもって行き場のないような読後感に打ち圧しがれている。

 必要があって論文調のものばかり読んでいるのだが、それが続くと自分の感受性のようなものが妙に偏って、概念先行型というか、感性の鈍麻というか、そんな状態に陥るのではないかとふと思ったりする。

            

 そんな微かな思いをもち、いつものように図書館の新着コーナーをチェックしてたとき、この書が目に留まった。韓国の女性作家だという。つい最近、どこかの書評コーナーで、近年の韓国女性作家の作品は見るべきものが多いとあったのを思い出した。
 それで借りてきたのだが、結果としては、一気に読ませる力がある作品ではあった。しかし、その内容はなかなか重く、消化しきれないものが残っている。

 意外なのは、著者は30代の女性なのだが、その主人公が男性だということで、しかも、性に関する微妙な表現もみられるし、読んでる途中でそれが女性の手になることをまったく感じさせないように話は進んでゆく。

 タイトルの「中央駅」は、おそらく再開発が進んでいるソウル駅周辺で、主人公の男性は、キャリーケースを引いてふらりとそこへ登場し、その界隈にたむろするホームレスたちに溶け込んでゆく。この一団の中で最も若いと思われるこの男の過去や、彼がどうしてここに現れたのかは一切述べられることはない。
 彼のみならず、登場人物は名前をもたず、ただその特徴においてのみ差別化されている。

             

 彼が地下道にねぐらを見つけて体を休めているとき、「女」が現れ、寒いといって彼に体を擦り寄せるようにして共に睡眠を貪る。が、目覚めたとき、彼の持ち物の全てと思われるキャリーケースは女とともに消えていた。
 彼の執拗な追求によって、やがて「女」は見つかるが、キャリーケースはもはやない。彼は女をぶちのめすのだが、彼女は詫びとして「一回あげる」といって自らの体を開く。

 しかし、これは序盤でしかない。それを契機とした「俺」と「女」の関わりが始まるが、彼女もまた、かつて結婚していて子供もいながらここへ流れ着いたということが示唆されるのみで、「俺」よりは年上ということを除いてその全貌はまったくわからない。 
 それのみか、彼女の挙動の端々、昼と夜とのその変貌ぶり、などなどは「俺」にとってもまったくの謎で、他なる者とさえいえる。

 その意味では、「俺」も謎に満ちている。若いし、それなりの能力もありそうだし、一歩踏み切ればここから抜け出せるのに、そして、実際にそうしたきっかけとなる援助の手も差し伸べられるのだが、それに従うことはなく、日銭の入る仕事は若干するにしても、結局はこの世界へと舞い戻ってくる。

         

 その他の登場人物もほぼ同じである。日銭が入れば、集まって酒盛りをし、宵越しの金は持たない。彼らにとっては、ここのみが世界であるかのようで、実際にこの小説の舞台自体が、一部の例外を除いて、この狭いエリアを離れることはない。
 そしてこのエリアで、虚飾を剥ぎ取られた人びとの、赤裸々ともいえる生が展開される。それはあたかも、J・アガンベンいうところの、ビオス(社会的・政治的生)を奪われ、ゾーエー(生物的な生)のみを生きるホモ・サケルのように、まさに「むき出しの生」が生きられている。

 しかし、この書を読み続けるうちに、不思議な逆転現象が生じる。この大都会の片隅で例外的に生きられているこの世界、そちらの世界の方がなんだかリアリティがあって、彼らを石ころでもみるように一瞥し足早に通り過ぎてゆく「通常世界」が、まるで単なる額縁の縁取りのようにその実態をあまり感じさせなくなってゆくのだ。

         
 そんな状況の中で、「女」と「俺」の饐えたような関係が続く。
 どう考えたって、その終焉は救われるはずがないのだが、それを生きている間は生き切らねばならないというように彼らは生きてゆく。やがて、それがプツンと切れることを予測できるのはそれを外部から覗き見している私たち読者のみだ。

 これを、新自由主義的価値観からこぼれ落ちた底辺を描いた社会小説と読むこともできよう。事実、駅周辺の再開発のため、地上げ屋の暴力をも伴った嫌がらせや妨害工作が途中にもでてくるし、それに雇われるのは「俺」たちなのであって、ここには、貧困者たちが対決させられる残酷な情景がある。
 「俺」と「女」がやっと見つけた屋根のある部屋も、再開発のため大家が手放すと決めたため、水も火も灯りもない廃墟と化してしまう始末だ。
 この小説のラストも、そうした地上げ屋に雇われた「俺」が、まだ行方もなく居座っている居住者を、暴力的に追い出すシーンで終わっている。 

 「果てしなく続く夜の中で朝を待つ。風が大きな音を立てて狭い路地を吹き抜けてゆく。冷たい空気が目にしみる。誰かが後ろのほうで凍てついた塀をドンドンと叩く。並んだ者たちが一斉に壁を叩きながら叫び声をあげる。壁は今にも崩れそうだ。俺はヘルメットのシールドを下げ、白み始めた空を見上げる。」

 しかし、そうした社会派的な告発小説としてのみこれを読んだのでは、先に見た、ホモ・サケルとして足掻きながら生きてゆくことの実像をかえって見失うだろう。
 彼らとは異なると思われる通常世界、つまり、私たちの「こちらがわ」で、私たちはゾーエー(生物的な生)を抜け出したビオス(社会的・政治的生)としての生を本当に生きているのだろうか。
 消費社会が次々と押し付けてくる虚飾の担い手として、その日々を過ごす私たちに、否、その虚飾を剥ぎ取ったところに、果たしてビオスとしての尊厳ある生き方があるといえるのだろうか。

                            著者 キム・ヘジン

 もちろん、これもひとつの視点にしか過ぎない。キャリーケースを失った代わりに得た「女」、それをも失った「俺」、身分証明を、自分の名を、詐欺グループらしい連中に売り、自分の未来をも売った「俺」、それでも生きる「俺」。
 もはや、絶望という言葉もそのリアルさを失ってしまうような境遇の「俺」。
 それでも生は、それを突き抜けてゆくのだろう。たぶん。

なお、作者のキム・ヘジンをネットで検索すると、フィギアスケートの選手、女優などがでてくるが、そのいずれもが別人。その略歴は以下。
 1983年、大邱生まれ。2012年に短編小説「チキンラン」で文壇入りし、2013年に本書『中央駅』で第5回中央長編文学賞受賞。2018年に『娘について』(古川綾子訳、亜紀書房、2019年)で第36回シン・ドンヨブ文学賞受賞

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八二歳の初体験! 

2020-12-07 15:33:32 | よしなしごと

 生まれてはじめて、インフルエンザの予防接種というものをした。人に勧められたせいもあるが、「馬鹿は風邪を引かない」というこれまでの信念が揺らぎ始めたせいもある。
 

 最初申し出たのが11月中頃で、その折は今季は既に予約でいっぱいですと言われ諦めていた。今年はとくに狭き門だという。そりゃぁそうだろう、これまで見向きもしなかった私まで申し出るのだから。
 おそらくその根底には、新型コロナへの恐怖があることは間違いあるまい。
 

 ところが先日、そのクリニックから電話があり、キャンセルが出たので今日ならできるということで出かけた。あっけないくらいすぐに終わったが、その後待合室でしばらく接種後の経過をみてから解放された。
 

 皮肉なことだが、今年はそのインフルがとても少なくなっているのだそうだ。コロナを恐れて、手洗いやソーシャル・ディスタンスが守られているからだろう。
 だとすると、私はもっとも必要性が薄い時に接種を受けたことになるのだろうか。
 

 いやいや、普通のインフルで発熱など起こし、コロナと間違われて路傍に打ち捨てられたり、村八分にされる危険性を防ぐためにも必要だったと、いまは考え直している。

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【赤カブ变化】今度は甘酢漬け 

2020-12-06 15:02:51 | よしなしごと

 

        

 私の握りこぶしより二まわりほども大きい赤カブを三個、農協の野菜売り場で100円でゲット。このお値打ちさはありがたい。

 先般はもう少し小ぶりのものを漬物にしたが、今回は甘酢漬けにすることに。昆布、鷹の爪、柚子は欠かせないアイテム。

         
            漬けてまだあまり時間が経っていないもの

 飛騨地方で赤カブ漬けにするカブとは品種が違って、なかは赤くなくて白い。しかし、酢に漬けてしばらくすると赤くなりはじめ、一日も置けばすっかり赤くなる。

         

                  一日おいたもの
 

 茎や葉も捨てたりなしない。これだけ大きくなると繊維も硬いので、時間をかけてしっかり煮込むと蕪菜の風味を残した一品に仕上がる。

         
 
 なお、この赤カブの甘酢漬けは、亡くなった連れ合いの大好物だった。

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美味しいおでんへのオマージュ 私が守っていること

2020-12-06 00:59:27 | よしなしごと

 【今季初おでん】

         
 大阪の老舗おでん店にいた板場に教わったノウハウ。その核心は、出汁を濁らせないで澄んだままで仕上げること。
 そのためにすること。
 1)大根、こんにゃくはそれぞれ湯がいてアクを取る。大根は時間をかけて。
   私は大根は小糠を入れて透明になるまで湯がきます。
 2)はんぺんや厚揚げの油ものは一度湯通しをして油落としをする。
 3)最終的におでん鍋に入れたら、決して沸騰させない。低温でじっくり味を沁ませる。
 4)出汁が煮詰まったら、適宜お湯を注す。出汁の濃さは飲んでも辛くないほどに保つ。
 これらを守ると、素材が煮崩れして変形したりせず、視覚的にも美しく仕上がります。

         

 さあ、できた! 食うぞ! やっぱり熱燗かなぁ。それもコップ酒の・・・・。

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【おせっかいな雑感】『「人間以後」の哲学 人新世を生きる』(篠原雅武 講談社選書メチエ)を読んで

2020-12-05 00:24:13 | フォトエッセイ

              

 サブタイトルの「人新世」というのは、人間の営みが地質、気候、生態系などにわたって地球的環境に重大な影響を与えるようになった地球的年代の呼称といえる。
 いつをその起点にするかは諸説あるが、古くは人間が農耕生産をはじめたときからとするものや、大量生産・大量消費が始まった近代以降とするもの、新しくは1945年の核爆発以降とするものなどいろいろである。

 タイトルの「人間以後」は人新世の諸問題を受けて、人間がいようといまいと存在する現実世界を含めて問題を考えようとする姿勢を示していて、その意味では、時間的な人間以後も、そしてまた空間的な人間世界=人間的尺度で考えられた世界の外部をも含めて考えようとする姿勢を示している。

          

 ところで、この書がいう人間世界=人間的尺度で考えられた世界というのは、フッサール、ハイデガーと続く現象学的に見いだされた生活世界、道具関連による連鎖として私たちを包囲し、私たちをして世界内存在たらしめているそうした世界のことである。
 したがってこの書によれば、そうした「世界意識」は、人間的尺度を超えた実在の世界を排除するものであり、人間が地球規模、宇宙規模の自然と関わり始めた人新世の哲学としてはもはや不十分だという。

 この立場は、明らかに「新実在論」といわれるものに依拠し、ポストモダン以降の、ポスト・ポストモダンの思想として登場したものである。
 なぜなら、いわゆるポストモダンの思想潮流もまた、ハイデガー的、言語論的世界像を前提にしていてからである。

           
 この新しい世界像による立場は、人間が飼いならし、自らの尺度で対応している世界の外部に、人間的尺度では見えてこない世界が存在し、人間は現実には、人間的尺度の内部の世界と、その外部の現実世界との二重の世界において生きていることを強調する。
 
 しかも、この外部の世界というのは、はじめに述べた人新世においても人間の外延的な進出(二酸化炭素の排出、緑地の蹂躙、原子力の利用などなど)により、損傷を被リ、地球規模での気候変動や山火事の多発、生態系の激変などの結果として、人間的世界での巨大災害、環境の著しい劣化などを引き起こしていて、もはや、こちらの世界とあちらの世界という二重の世界の分離が不可能な状況に至っているとする。

           
 したがって、現在の課題は、人間的尺度の内部の世界とともにその外部の世界との二重の世界に思いを凝らすべきであるということになる。
 これでもって、とりわけ際立ってくるのがエコロジカルな課題であろう。人間がいるといないとに関わらず、一方的に作用し続ける世界、それをも対象に思考すべきであるというのは確かに一理ある。
 
 ただし、一抹の疑問も残る。それは、従前よりの人間的尺度内部の諸問題、たとえば自由とか人間の尊厳、あるいは貧困など人為的システムによって生み出される諸問題への関心がよりマクロな関心の要請によって等閑に付されるのではないかといったことなどである。

            
 それから、これは私の夢想に近いが、IT 技術の究極のAI 社会により、AI そのものが自律性をもち、もはや人間を必要とせず、人間が淘汰、粛清される未来があるとしたら、それこそ時間軸の面での人間的尺度を超えた世界であり、まさに「人間以後」の哲学の対象になるのではないかということである。
 しかし、著者の想像力(夢想力?)にはそれはないようである。
 もっとも、それがある私の方がおかしいのかもしれないが。

 いずれにしろそうした未来は、間もなく終焉を迎えようとしている私には関わるようのない話ではある。にもかかわらず、「人間以後」の哲学を覗き込んだりする私は、おせっかいというほかないのだろうと思う。

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赤い蝋燭の人魚姫とフクイチ 人間的尺度の外部としての自然について

2020-12-03 16:12:15 | 社会評論

 以下は、私の家の近くで、長年ウオッチングをしてきたかつての美田が、耕作者の急逝により後継者もないまま三年を経て、見る影もない荒れ地に変じた様を見ながら考えた事柄である。

         
 かつてひとは、荒ぶる大地の雑草茂る平原や雑木林を開墾し、人間的尺度の世界のうちへと繰り入れてきた。
 今日、都会から田舎を訪れる人たちが「やっぱり自然がいいわねぇ」といいながら見る風景もそうした結果によるものである。「手つかずの大自然」といわれるものも、概して、「人間によって」改変を禁じられ、そのように保たれてきた風景といっていい。

 私たちが愛でる自然は、人間的尺度のうちへ繰り込まれ、管理されている自然であるといえる。しかし、その人間的自然の外部には、人間にまつろうことのない他者としての自然、人間的尺度の外部としての自然が依然として存在していたし、いまも存在する。

 そうした自然、人間的尺度を超えた自然は、時折その巨大で荒々しいポテンシャルを発揮し、禍々しい結果を伴うものとして私たちのもとへとやってくる。それらは、大地震であったり、それに伴う大津波であったり、巨大な台風やサイクロンであったり、わたしたちの狭い国土での想像を絶するような面積を焼き払う広域の山火事であったりする。

 それらのうちいくつかは、人間が自覚すると否とに関わらず、人間的尺度のうちでの人の営みが関わっている可能性がある。異常気象は、幾何級数的に膨張してきた化石燃料の消費の結果である地球温暖化、海面温度の上昇による可能性が大である。
 それはあたかも、自然をすべからく人間的尺度のうちへと組み込もうとする試みと、そのうちには組み込まれることをあくまでも拒絶する他者としての自然の相克のようでもある。

           
 地震と津波、それによるフクイチの事故は、小川未明の童話、「赤い蝋燭と人魚」を想起させる。
 自然界にはそのままでは存在しない人魚姫の蝋燭(=原子力発電)を、悪徳香具師(=原子力ムラの住人)は商品化して儲けることを企む。その結果は荒ぶる海の復讐である。人魚姫を入れた鉄の檻(=フクイチ原発)は人間的尺度を超えた自然の猛威によって獰猛なガラクタと化した。人魚姫は大自然の海原へと取り戻され、人間の側には廃墟のみが残された。

         
 しかし、フクイチの廃墟は終わりのない廃墟であり、廃墟の廃墟として存続し続ける。それは、天界の火を盗んだプロメテウスへの罰であり、その事後処理はシジフォスの神話のように徒労のリフレインを余儀なくされるものといえる。
 増え続ける汚染水への対応はその貯蔵の限界との闘いである。防護服に身を包んだ分刻みでの撤去作業、そしてその防護服は、再び洗浄して使うことはできないまま、核汚染物としての堆積される。取り出した核制御棒、取り壊された汚染まみれの瓦礫の行く先は膨大な空間と人の生涯を遥かに凌駕する時間を占拠し続ける。

         
 人間的尺度での自然のほころびはそうした巨大プロジェクトの崩壊と破綻ばかりではなく、私たちの住まうところのすぐ近く、私たちの日常生活のうちにも見出すことができる。
 もはやその痕跡すら見いだせないほど「自然に還った」廃村の集落、放置されたままの都市の中の廃屋、郊外で耕作放置された田畑などなどが急増している。再利用や再開発の商品的尺度から見放された廃墟や廃屋、もはや前身が何であったかもわからない荒れ地などがそれである。ひたすら虚しく軒を連ね、開かずのシャッターが羅列する地方のかつての「繁華街」、商店街といわれた地域の荒廃もそれに加えていいであろう。

         
 かつて人間的尺度の自然として生み出された「私たちの世界」は、私たちがそこで住まう安定したインフラの集積として世代を超えて継承されてきた。
 しかしいまや、私たちの住まう世界は資源として投機の対象にしか過ぎず、その投機の拡散は人間的尺度の外部の自然、地球的規模、宇宙の一部をも対象とするに至った。生産性に名を借りた自然の投機的利用と、交換価値なき対象の一方的放擲とは、他方で、それら外部の自然からの逆襲にさらされている。
 地球的規模の汚染はそれに等しい地球的規模の厄災として結果しているし、既に見たように、一度は私たちの内部へ繰り込まれた自然の馴致は、投機の対象としての興味から解き放たれるや、荒ぶる自然へと回帰する。

 繰り返すが、私たちが思い浮かべることができる自然は、人間的尺度で飼いならされた自然である。先人たちが鋭意努力をして人間的な場へともたらした自然である。しかし、その外縁は、人間的尺度ではいかんともし難い荒ぶる自然の支配に委ねられていたし、いまもなおそうである。

 いま、人間はあくなき投機によって、その外縁をも侵しつつあるのだが、それは人間的尺度を超えた自然によって逆襲されつつあるばかりか、伝統的な人間的世界の内側に、荒ぶる自然を呼び込みつつあるようだ。
 人間的尺度を超えた自然、それは「モノ自体」にも似ていて、私たちの認識と行為の限界を示している。

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