きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

しょせん人間なんて

2011-01-14 | 母子家庭だから思うこと
社長が「sake君」と言い、「会社の電動チャリをほしがっている奴がいるんだけど、譲っていいか?」と言う。
私は「いいですよ」と言いながら、充電の電池がだいぶ消耗している事や、もうタイヤの交換も必要かもしれません、と答えた。
「そうかもしれないな、ああ言うチャリは3年が寿命らしい。」

あのチャリの説明書を1度目を通しがことがあるが、「通勤用には使用しないでください」と書かれている。
それを・・・しかも片道5キロの道のりを毎日乗っていたのである。
やはり寿命だろう。

翌日になると、社長は「チャリだけどよぉ・・それでもいいって言うんだ。sake君だったらあれを1万で買うか?」と言う。
「そうですねぇ。。」と私は答えるが、電池の買い直しやタイヤの交換を考えると、1万じゃ高いな、と正直思った。

しかし、それでも1年半以上も、ほとんど毎日お付き合いしたチャリである。
いつかはまたコイツにお世話になるだろうと思っていたから、丁寧にビニールでくるんで、会社の脇に置いておいた。

でも、まだ車も当分手離す気はないし、こうして放っておいたままでは、そのうちあちこち傷んでしまうだろう。
誰かに可愛がってもらえるなら、よい事だ。

でも、少し淋しくなる。


ここまで考えて、私は人との別れより、物との別れの方が胸がキュンとするようである。

そりゃ母のお別れは悲しかったが、やはり世間様に比べると私はかなり淡白のようである。
おそらくこの先、父の方が先にあの世に行くであろうが、今からそれはかなり覚悟していて、葬式でも涙も出ないように思う。
kekeと数ヶ月別れた時は淋しくて、周辺をグルグル回ったりもしたが、暇でなかったらそうでもなかったかもしれない。

何が違うのだろう?
誰かが去る事で私がどんなに淋しがったり悲しがった所で、相手はみんなもっと大切な人が他にいるのである。
私が手離しで無条件で思うほど、私は思われはいない!!
その隙間の虚しさが、冷めさせてくれるのか。
そう言う愛情の与え合い方をしてこられなかった経験不足か?


そんな風に考えると、人間より物との別れの方が手離しで無条件でキュンとなるのも無理はない、と普通に思ってしまったりするのである。
おかしいか。

彼らは無条件で、私の思い通りに動いてくれたから。
そこには打算も何もなかった。

人間達よりはるかに。。。

そんな所で手放しで安心できる私はおかしいのかな。