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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

それでも親子

2012-03-06 | 父の記録と母の思い出
先週末、父の所に行くと隣にいたのは最近入ってきたっぽいおばあさんだった。
そして、隣に息子さんらしい人が座っていた。

息子さんは優しい感じの人で入居してまもない母親の隣にいるけれど、どうして良いか分からないと言う感じであった。
何て話しかけていいか分からない、どうしていいか分からずに何も言わずに隣に座っていた。

とは言うものの、私も同じだ。
父の所に来るようになってから、3年にもなるのに。
どうして3年と分かるかと言うと、モコを買う半年前だと覚えているからだ。

モコはあと半年で車検だから、父は3年前からここに居たことになる。

こうして週1の頻度で3年通っていても、未だに私は父に話しかける事も上手でない。
目もほとんど見えていないし、さっき食べた食事ももう忘れているだろう。
何を話しかけて良いか分からないので、歌を切りだしてみたり、手を握ることしかできないのだ。

この日は手を出すと、父はその手をあごに持って行って、ひげそりのようにこすっていた。
そんな事も「生きていた証」として思いだす日が来るのかなぁ。

何年も前に、まだ歩いて話していた頃に、kekeと3人で食事に行って、父ばかりがペラペラ話していた時のことや、二人で行ったカラオケボックスや、そんな事も思いだすと、「あの時だったらもっと何かできたかも」と言う思いも横切らない訳ではない。けれど、当時は当時で「いつかそう思う日もくるだろう」と何度も思いながら、出来ることをほどほどにした程度だった。少なくても親孝行を頑張ってやってはいなかった。

でも、頑張ろうと思ったら、どこまでも頑張らねばならないから、これで良いのだと思う。
こうして父の隣に毎週座っていると言う行為は、親孝行と言うより、あとあとの自分のためのような気がしてる。

最近思うのは、親子関係と言うのはいつまでも子供はわがままで、親はその背中を追いかけて行くのだろう。
そこに見返りなんてない。
ベクトルは逆方向に変わることはなくて良いのではないかなぁ。

新入りの息子さんに、別のおばあさんが話しかけている。
アンタこの人の何?
旦那さん?弟?

どう見ても息子だよカワイソウに・・・と心の中でツッコミを入れると、息子さんは戸惑いながらも真面目に「いいえ違います、息子です」と返事をしている。


私は毎週、こんなに何も語らず、何をするわけでもなく、長時間いるわけでもなく、薄情な娘だと病院関係者に思われているのではないかと恐縮していたけれど、新入りの隣にいる息子さんを見て、そうじゃないんだよな、と思い直した。

それでもつながっているのだ、と。

この日も「賽銭箱のうたは?」と尋ねると1番は完璧だった。


父の所から去る時は何も言わずにそっと去ることにしてる。
目も見えないし、私が隣にいることも次の瞬間分からなくなるぐらいだから、「バイバイ」と言って別れを告げるより、イスを片付けてそっと去るのだ。

妹も同じようにそっと去るらしい。