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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

kekeの酢豚

2012-03-26 | 息子keke
今日は帰ると、kekeがニッポンハムの惣菜シリーズ「玉ねぎがあればできる酢豚」を炒めようとしているところであった。
「いいねぇ」と言うと、ネギトロも買ってきたとkekeは言う。

「今日は2品もあるの!!うれしいねぇ~!」と私は喜んだ。
kekeは「半額で買ってきた」と言う。

「(酢豚は)玉ねぎを240グラムも入れたから、野菜が多くなった。」と言うので、「本来は何グラムなんだ?」と尋ねると「200グラム」だと言う。「もうちょっとだから玉ねぎを使い切ってしまった。でもよく考えたら1.2倍だった。」と言う。「だから肉類を増やそうとフライを買いに行ったらネギトロが半額だから買った」と言う。

それぐらい大丈夫だろう、と私は言い、「それじゃちょっとCD返してくる。西野カナの新曲借りたんだ♪」と言った。
帰ってきたらkekeが作ってる間に部屋も片付けるね、と言った。

でも実際に片付ける時間も無く、食事の時間になった。
その2品+今日で賞味期限切れのハムの3品だった。
しかもネギトロは2パックあったので、私は更に喜んだ。

「今日は豪華だねぇ~^0^」と二人で言った。
kekeは酢豚を食べると、「この前自分で作ったよりうまい」と言う。
「今日の玉ねぎは素揚げしたみたいだ」と言うが、私にはその違いは正直分からなかった。
kekeは自ら「酢豚に(キライな)ピーマンは入れなかったから緑が無い。」とカミングアウトするが、私は「それは作る人の特権だから、いいんだよ。^^」と言った。「その分玉ねぎが多くて丁度良いよ」

そしてkekeはンンと計算して、「酢豚の素(300円弱)+ネギトロ(300円弱)+玉ねぎ1個(40円)だから今日の2品は合わせて640円(2人前)だ。」と言い、「なら牛丼屋で食べるのといっしょか。。」と言うので、「いや!これだけオカズが多ければ、ご飯はもう一杯ずつお代わりできるし、さらに明日の朝まで食べられるから、絶対こっちのが得だよ!」と私は言った。

実際に酢豚もネギトロも1/3ぐらい残ったが、私もkekeも満腹だった。

TVではネプチューンのクイズ番組をやっていて、私は分かる答えは言ってしまうのだが、今日はkekeに悪いような気がして、「kekeは運動は得意なんだよね」と言うと、「そうでもない、普通だ」と言う。

「でも、私はオートマでも2回落ちたんだよ、kekeはマニュアルでも1度も落ちなかったでしょ」と言うと、「それは普通。アンタが特別運動神経が悪いだけ。」と言う。


そう、私は特別に運動神経が悪い。

運動会の徒競走は小学校時代6年間全部ビリだったし、走り幅跳びみたいな記録系は、何をやってもクラスで一番ビリだった。
だから、二十歳を過ぎて、父は免許を取れと何回も言ったけど、絶対取らなかった。

と言うか、自分は車の運転なんてできないと思ってた。
周りができるのに自分だけができないと言うのを、私はいっぱい経験していたから、車の運転もそうだと思っていた。

でも40を過ぎてから、ある日車に乗るようになって、そしたら楽しくて毎日乗りたくてたまらなくなって、ついに車を買うようになって、現在に至る。
休日は6時間は乗れるし、首都高も乗れるようになった。
まだ駐車も下手だし、センターラインの無い細い道は通れないのだが、何より面白くてたまらないのである。

だから、kekeも今は絶対できないと思っていることも、いつかできるようになるかもしれない!
そして、その時は爆発的に好きになるかもしれない。



このままでもいいか、今日もそんな風に思えた。

将来のために汗水流して努力する事も大切なのだが、こうしていることが、とても幸せなような気がする。
それに、私とkekeはいつまで一つ屋根の下で一緒に暮らしていられるか分からない。

もしかしたら、この時間は神様が与えてくれているのかも。。。。
今日はそんな事を思いつつ。。。

ちなみに冷蔵庫の合挽きはkekeが明日ハンバーグを作ってみると言う。
先週、kekeに教えて作ったハンバーグの復習をするらしい。

「たくさん作って冷凍しておいて、面倒な日はそれをチンして終わりにしたい」と言う。

200グラムで、そんなにたくさんはできないのでは・・・・と思いつつ、そこには触れなかった。

恋多き女

2012-03-26 | 巷の話題
吉田美和、再婚。すごいなぁ。

ドリカムが売れ始めた当時は子育て真っ最中で関心がなく、妹がよく歌っていたけれど、「学級委員みたいな歌だなぁ」といつも思っていた。

優等生で歌もうまくて完璧。

だから私はあまり好きでなかった。と言うか共感できなかった。
入りこむ隙が見当たらなかった。
初めて覚えたのは「決戦は金曜日」とその後の「晴れたらいいね」だと思う。

そんな私が「およ?」と思ったのは彼女が「略奪婚の上に結婚をはたした」と言うニュースを聞いた時だ。(事実かどうかは別としてそう言う報道であった。)
こんな優等生が不倫してたんかいナと思ったが、当時はまだ略奪婚をされた立場で心の傷も癒えてなかった時代だったので、ますます面白くなかった。

しかしドリカムの歌を聴くようになったのは、実はここからである。
私は完璧な人間が好きでなくて(サイボーグみたいだから)、どこか弱みや悩みや欠点があるものに心惹かれると言う性質があったのだ。

そして、内縁の夫と言う方がお亡くなりになり、今度は19歳年下の彼と結婚すると言う。それも堂々と発表している。(ここに私はもっとも好感を抱く)
こんな事があると前の不倫だとか内縁のことをうんたらかたらと言う人が居るのだが、私個人はそう言う方こそ不潔感を感じてしまうので、今日はそれを(勇気を出して)書いてみることにした。

決して不倫がいいとは言えないが、最近の私はそれをことさら強調して、それだけで他人を責める人をみると要求不満でもあるんじゃないかと心配になってしまうのである。
と言うのも、かつての不倫が大嫌いな自分は、その傾向があったと思われるからである。

自分を振り返ると、それまで本当に心から双方が愛し愛され幸福に満ちて生活していたのか、今となっては疑問に思う。少なくても片方の我慢(諦め)のもとに平和な日々が無難に積み重なっていたのではないかと思う。
そうでなければ風俗ぐらいはあっても、離婚にまでは至らないだろう。

「いや、軽い浮気でも私は許せなくて離婚したのよ」と言うのなら、既に夫に愛情が無いのだと思う。本当に愛していたのなら、それでも好きなはずだから。

本当に愛し愛され燃え上がりながら何十年も添い遂げている夫婦もどこかには居るのだろうが、1度や2度の結婚でそう言う風に続くとはあまり思ってない。人は慣れてしまうと、どうしてもダレるのである。
だけども離婚も浮気もいけないことなので、夫婦関係を改善しようともせず(しようとしても今更できそうにない)、そこに『正義』を見出そうとしている・・・・。
そんな気がしてしまう。

あくまでも私の偏見である。
今の生活に愛し愛されがあって満足している人は、ことさらここで人を責めないような気がする。「私はしないけど、そう言う事もあるかもしれないね。」こんな感じではないかと思う。(それは偏見ではなくいろんな人と接してみた経験上のイメージ。)

人の心は上から言われて、抑えられて変えられるものではない。
不倫はいけませんと言うより、不倫されないように自分を変えて行くべきなのではないか。(と偉そうに書いてみる。)そして、それでもそうなった場合はそれを受け入れる(他の女を好きな旦那でも大切に思う)か別れるしかないのではないか。それは当たり前の事でまったく恥ずかしいことではない。でも決して油断(ダレさせて)してはいけない。他人と他人が心から満足して添い遂げる事は大変なことだから。

と、今では思っている。

「不倫はいけません」とことさら強調したりバカにする人は、この感覚がほとんど無いような気がする。
同じ相手と添い遂げるのが当たり前で、それが出来ない事はとっても恥ずかしいこと、単純にそう言う概念しか無い、そうすることでしか満たされてないような気がする。
私が内心同情してしまうのは、この部分である。

結果がどんなに泣くことになっても、たった一度の人生だから経験はした方がいいと思う私は、恋多き女がやっぱり好きだ。
自分がそうなるかどうかは別として。