事務所に戻ってきた秀クンと二人で仕事をしていて、「社長は?」と言うので「現場見てから帰る」って言ってましたよと言うと、「もう誰も戻って来そうにないね」と言うので、「そうですね。」と答えた。
「もう帰っていい?」と申し訳なさそうに秀クンは「カミさんから【頭が痛い(泣)】とメールが来たんだ。」と言う。
「夜も1時間半しか寝られない」と言うので、「昼間仕事で夜は赤ちゃんをあやしてるんですか?」と驚くと「寝てるとカミさんが怒るから」と言う。
私は昼間子育てしてるんだからと言うんだよ、と言う。
「母乳ですか?」
「本当はそうしたいんだけど、出ないから半々なんだよ。」
あー思いだすなぁ。
私は母乳だったんだけど、出してから「ちゃんとカラになるまで絞り器で絞りましょう」と言われて、やってしぼっていると、もう1時間半ぐらいになって、またkekeが泣きだしたものだった。
そして、朝から晩まで牛のように母乳を出していたような気がする、最初の頃は。
もう20年前の昔話は伝説のように遠くなってしまったけれど、やはり覚えているのよね、体のどこかで。
「2ヶ月ぐらいすると、もう少し夜まとまって寝るようになりますよ。そして、少し落ち着くと、また離乳食が始まるんですよね。」
「あぁ、食べるとか食べないとか大変なんだ。」
「それとか、清潔にしないとならなかったり。大人と同じものは食べられないし。」
そうそう、あの頃も泣きが出たなぁ。
レシピ通りに作ってもkekeは食べず、うまいのかまずいのか原因も分からず、朝になると両足にじんましんが出てしまったあの頃。。。
まだ元気だった両親が見るに見かねたのか、何と!「これを食べさせればいいんだよ」と大量のベビーフードを買ってきて、我が家にやってきたのだった。
あれはホントありがたかった。
大量のベビーフードもありがたかったけど、それより「これを食べさせればいいんだよ!」と言ってくれたこと。
育児本のレシピでは全然食べなかったkeke。
作り方が悪かったのか、何が悪かったのか分からず泣きが入った私。
「そんな完璧じゃなくてもいいんだよ」と言う悟り。
「生きてさえいればいいんだよ」と言うひらめき。
そして次にkekeのぜんそくがあり、離婚があり、その度に私の予定する完璧子育ては大幅に修正変更を余儀なくされて、今日ここまでやってきました。
ナミダ、ナミダを無くして語れない日々でした。
しかし、そんな事はおくびにも出さず「そうそう、でも最後はベビーフードなのよ」なんて今は、先輩風を吹かす私である。^^;
(ちょっと見栄張ってみた。)
そうなんだよなァ。
親になるまでに、いっぱい大きな関門があったのだった。
その度に、両親が、母が、来てくれて、助けられたのだった。
いつかkekeにもそんな日が来るかもしれない。
期待はしないけど、もしもそうなった時には、そして困った時には私も駆けつけよう。
そうなのだ。
困った時に遠慮なしに手を貸せるのが、オバアチャンの役目なのだ。(^O^)
遠く忘れかけた子育てを、秀クンの話で思いださせてもらったよ。ありがとう。
今日も一人戸締りして、事務所を後にする。
「もう帰っていい?」と申し訳なさそうに秀クンは「カミさんから【頭が痛い(泣)】とメールが来たんだ。」と言う。
「夜も1時間半しか寝られない」と言うので、「昼間仕事で夜は赤ちゃんをあやしてるんですか?」と驚くと「寝てるとカミさんが怒るから」と言う。
私は昼間子育てしてるんだからと言うんだよ、と言う。
「母乳ですか?」
「本当はそうしたいんだけど、出ないから半々なんだよ。」
あー思いだすなぁ。
私は母乳だったんだけど、出してから「ちゃんとカラになるまで絞り器で絞りましょう」と言われて、やってしぼっていると、もう1時間半ぐらいになって、またkekeが泣きだしたものだった。
そして、朝から晩まで牛のように母乳を出していたような気がする、最初の頃は。
もう20年前の昔話は伝説のように遠くなってしまったけれど、やはり覚えているのよね、体のどこかで。
「2ヶ月ぐらいすると、もう少し夜まとまって寝るようになりますよ。そして、少し落ち着くと、また離乳食が始まるんですよね。」
「あぁ、食べるとか食べないとか大変なんだ。」
「それとか、清潔にしないとならなかったり。大人と同じものは食べられないし。」
そうそう、あの頃も泣きが出たなぁ。
レシピ通りに作ってもkekeは食べず、うまいのかまずいのか原因も分からず、朝になると両足にじんましんが出てしまったあの頃。。。
まだ元気だった両親が見るに見かねたのか、何と!「これを食べさせればいいんだよ」と大量のベビーフードを買ってきて、我が家にやってきたのだった。
あれはホントありがたかった。
大量のベビーフードもありがたかったけど、それより「これを食べさせればいいんだよ!」と言ってくれたこと。
育児本のレシピでは全然食べなかったkeke。
作り方が悪かったのか、何が悪かったのか分からず泣きが入った私。
「そんな完璧じゃなくてもいいんだよ」と言う悟り。
「生きてさえいればいいんだよ」と言うひらめき。
そして次にkekeのぜんそくがあり、離婚があり、その度に私の予定する完璧子育ては大幅に修正変更を余儀なくされて、今日ここまでやってきました。
ナミダ、ナミダを無くして語れない日々でした。
しかし、そんな事はおくびにも出さず「そうそう、でも最後はベビーフードなのよ」なんて今は、先輩風を吹かす私である。^^;
(ちょっと見栄張ってみた。)
そうなんだよなァ。
親になるまでに、いっぱい大きな関門があったのだった。
その度に、両親が、母が、来てくれて、助けられたのだった。
いつかkekeにもそんな日が来るかもしれない。
期待はしないけど、もしもそうなった時には、そして困った時には私も駆けつけよう。
そうなのだ。
困った時に遠慮なしに手を貸せるのが、オバアチャンの役目なのだ。(^O^)
遠く忘れかけた子育てを、秀クンの話で思いださせてもらったよ。ありがとう。
今日も一人戸締りして、事務所を後にする。