この3連休は読書三昧にすることを思いついた。
理由は寒いから。
コタツか布団に入ってないと寒くていられない。
1人でエアコンを入れるのはもったいない。
何を言ってるのだ、
今年はエアコンを入れて朝の家事をしようと誓ってたでは無いか。
そうなのだ、しかし実際この前掃除するためにつけてみたが、家の中をあちこち移動しているうちに、やはりもったいない気がして消してしまった。(ちなみにエアコンも古いもので省エネではないのだ。)
前置きはさておき、思い立つまま図書館に行き、本を借りた。
とは言っても、あまり冒険はしない。
前に読んだ事があったり、それは無いけど他の本は読んでますよ、と言う本ばかりである。
その中の1冊に
「ひとり」/加島祥造さんの本がある。
前に
「求めない」と言う本を紹介したが、その作者の加島さんの生活ぶりが伺える本である。
このおじいさんは東京生まれながら、40代での病気/手術をきっかけに「今の生活はあまりに人工的だ」と考え、横浜の自宅と信州を往復し始め、60代にしてついに信州の山奥で1人暮らしを始めるのである。
水道も使えるようだが、茶の水は隣の(と言っても林の向こうと書いてある)農家の井戸水を分けてもらっている。その水で気持を込めて入れる「ひとり茶」を毎日楽しんでいる。
あとは雄大な中央アルプスの山々を眺めたり、その日の思いを散文や詩でつづる毎日である。
しかし、それは決して「退屈」な生活ではないのだ。
その瞬間瞬間を味わいつくそうとしているので、景色も季節も一つ一つを感じ取ろうとしているから。。。。
これからの時代は、後半の人生をひとりで送る人がますます増えるだろう。
その人のためにひとり茶の楽しさを話したのだが、何でもいいのだ。
いま自分のできる楽しさをみつけるのが大切なんだ。
世間の見栄や体裁、ありもしない恐怖に囚われないで、自分1人で楽しむことだ。
(原文のまま)
決してこのおじいさんは「人ぎらい」ではないのである。
本では、訪ね人がやってくればホイホイあがってくれとお茶を入れたりしている。
気立てがいいがゆえに、世間から距離をおいて自分自身の欲求に素直になりたいのである。(と私は解釈する。)
89歳のおじいさんの感性を、今の私が「分かります」と言うのは失礼にあたると思うので、あくまでも推測ではあるが、世間を切り離さないと自分自身が見えなくなると言うのは私にも通ずるものがある。
さすがに仕事も家も家族も捨てて、一人で暮らすわけにはいかないが、ある程度「ひとり」を意識して生活することは可能ではないか?
またそうでもしないと、(自分の場合は)人にも優しく接することもできないのではないか、とも考えた。
「求めない」とは自分の外に対して求めない。
自分自身にもあえて求めない。
そして何も無いところで感じる。
そうすると、自分の声が聞えてくる。
今、何がしたいのか。
何に対して面倒だなと感じるのか。
「今の生活が人工的」とは、「今、心からしたい何か」ではないことに振り回されすぎているのである。
もしもそれが見栄や体裁であるなら、それから解き放たれた方が楽になるよ、と言うのである。
中には見栄や体裁(分かりやすく言うと人からの賞賛を浴びる事)で自分を保っていける人もたくさん居るであろうから、その人の人生観によってここの解釈はいろいろであろう。
ただ、人からどう思われるかで自分を保っていくことは、自分の価値観を常に外部に委ねていることになってしまう。
そんな風に考えると今、自分の中にあるもの。
今、自分ができること。
今、目の前に居る人。
今、目の前にある仕事。
そう言うことを大切にすることで、自給自足できるような気がする。
自分と向き合えると言うのか。