きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「無慈悲」な

2012-12-16 | 今の会社
検診の血液検査も異常ナシとなった。
あーうれしいなぁ、異常なし!

Aさんにその話をすると「次の検査は3月だ」と言い、「前は3ヶ月ごとの検査だったからまだ良かったけど、今は半年ごとだから、ちょっと胸が痛かったりすると心配になるんだよ」と言う。

「私は検診のたびにキンチョウします。だから行くけど苦手です。」と言うと、「いや、オレは受けた方がいいな。」と言う。

「行って何かみつかるのが怖いんです、会社もクビ・・ですよね?」
「そうだよ!」とAさんは言い、オレもクビになったんだからと言う。

あれはショックだった、給料ナシでもいいからせめて籍は残してほしかった、と言う話になって、「あの人は少し無慈悲な所がありますからね。」と私も言った。

そして今になると、半分は過去の笑い話になろうとしていた。


私はいつかこの人ともケンカ別れをすることにになるのだろうかと考えた。
その時は「無慈悲」な別れ方を宣告されるのだろうか、と考えた。

私は元夫や、あの時の社長を思い出した。

ちょっと昔だったら、私はそんな時こう考えた。
「どうせ私はその程度の人間だから、そうなっても仕方ない」
そう言う考え方をしていた。

でも、今はちょっと違う。
いつか、そう言う時が訪れても、「それはそれで事情があったのだろう」と考えたい。

「窮鼠ネコをかむ」
そうなってしまうこともあるのだろう。
私だってそう言う精神状況になることもあるかもしれない。
それは「悪い」のではなく、「弱かった」のではなかろうか。
このぐらいの年になったいい大人が、いたづらに人を傷つけようとするだろうか。

人を見定める能力を磨く必要はあるが、「この人は信頼できる人だ」「つきあっていきたい人だ」と感じたら、信じて行こう。何も恐れずに。

もしもこの先、どんな「無慈悲」な出来事が待っていても、それはどうしてもそうしなければならない事情があったのだろうと考えよう。
私がそこまで悪いわけではなく、相手がそれほど「悪い」訳でもなく、事情があったのだと。

それを「自分」と絡ませると落ち込んだり傷ついたりするかもしれない。
その事情は大抵、(過去を振り返っても)私よりその人個人の事情だったりしている。

「自分」と言う存在が、それべったりでないのなら、また歩き出せる。