青空
2012-12-19 | 日記
私の「ありがたい」ブームはまだ続いている。
先週の土曜日は駅の階段を駆け上がりながら「こんなに駆け上がっても膝が痛くない!」と思った。
昨日の雨上がりの朝は、空がまぶしくて、通りを行き交う人がまさに「これから」始まろうとしている!と思った。
まだまだこれから寒い冬が続くはずなのに、まさに「これから」世界がゆっくり始まろうとしているなんて。
そしてその日は税務署に寄るために運転していたのだが、道端で幾つもの花が咲いているのを見つけた。
「こんな寒いのに!」いったい何の花だったのだろう。
分からないままに通り過ぎてしまったけれど。
冬なんて、ただ寒くて春を待つためにあるようなものだと思っていたけれど、目を見張ると、いろいろなものが見えるのだった。
クリスマスや正月がもし無かったとしても、私はこの季節でそれなりの楽しみをみつけて生けて行けるのだ。
当たり前のことかもしれないけれど、大発見。
そんな風に思い始めてから、最近いろいろなものを感じるようになった。
空、色、それから形だけではないもの。
例えば人。
人を感じるようになった。
「この人はこう言う感じなんだな」とか「こう言う考え方なんだな」
そう言うこと。
それも当たり前のことかもしれないけれど、今までとは若干違う温度を感じるようになったのである。
私はあえてそれに色をつけないように心がける。
例えば、「よい」とか「ちがう」とか。
できれば「好き」とか「きらい」とか。
そう言う考えを持たないようにした。
ただ、感じたことはそのまま感じておこうと思った。
毎日「ありがたい」「うれしい」と言う感じ方を持っている事で何がいったい変わるんだろうと思っていたけれど、いろんなものが違って見えた。
例えば、空の青さもより一層くっきりして、曇り方さえも味があるなと思ったりした。
雨の日もそれはそれで面白い発見があるゾと思えたりした。
そうやって考え始めて行くと、何か「ん?」と立ち止まることがある。
空は晴れてないといい天気では言えないんじゃない?と言う考え方に出会うことがある。
その時、ん?と立ち止まることがある。
ちょっと前は自分もそうだったかもしれない、と思う。
でも実際のところ、何でも好きでいられた方が、好きな数の多さで人生は楽しく回るような気がする。
今までは「こんな自分」では申し訳なくて受け取れなかったものが、今なら喜んで受け取れるような気がした。
今はこんな自分に育ててくれた両親に「ありがとう」と言いたい。
ちょっと遅かったかもしれないけれど。
先週の土曜日は駅の階段を駆け上がりながら「こんなに駆け上がっても膝が痛くない!」と思った。
昨日の雨上がりの朝は、空がまぶしくて、通りを行き交う人がまさに「これから」始まろうとしている!と思った。
まだまだこれから寒い冬が続くはずなのに、まさに「これから」世界がゆっくり始まろうとしているなんて。
そしてその日は税務署に寄るために運転していたのだが、道端で幾つもの花が咲いているのを見つけた。
「こんな寒いのに!」いったい何の花だったのだろう。
分からないままに通り過ぎてしまったけれど。
冬なんて、ただ寒くて春を待つためにあるようなものだと思っていたけれど、目を見張ると、いろいろなものが見えるのだった。
クリスマスや正月がもし無かったとしても、私はこの季節でそれなりの楽しみをみつけて生けて行けるのだ。
当たり前のことかもしれないけれど、大発見。
そんな風に思い始めてから、最近いろいろなものを感じるようになった。
空、色、それから形だけではないもの。
例えば人。
人を感じるようになった。
「この人はこう言う感じなんだな」とか「こう言う考え方なんだな」
そう言うこと。
それも当たり前のことかもしれないけれど、今までとは若干違う温度を感じるようになったのである。
私はあえてそれに色をつけないように心がける。
例えば、「よい」とか「ちがう」とか。
できれば「好き」とか「きらい」とか。
そう言う考えを持たないようにした。
ただ、感じたことはそのまま感じておこうと思った。
毎日「ありがたい」「うれしい」と言う感じ方を持っている事で何がいったい変わるんだろうと思っていたけれど、いろんなものが違って見えた。
例えば、空の青さもより一層くっきりして、曇り方さえも味があるなと思ったりした。
雨の日もそれはそれで面白い発見があるゾと思えたりした。
そうやって考え始めて行くと、何か「ん?」と立ち止まることがある。
空は晴れてないといい天気では言えないんじゃない?と言う考え方に出会うことがある。
その時、ん?と立ち止まることがある。
ちょっと前は自分もそうだったかもしれない、と思う。
でも実際のところ、何でも好きでいられた方が、好きな数の多さで人生は楽しく回るような気がする。
今までは「こんな自分」では申し訳なくて受け取れなかったものが、今なら喜んで受け取れるような気がした。
今はこんな自分に育ててくれた両親に「ありがとう」と言いたい。
ちょっと遅かったかもしれないけれど。