きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

いいこと日記

2014-04-01 | 息子keke
車に乗っていると、悲しくなる。

自分ばっかりあれもこれも貧乏くじをひいている気がする。
そんな風に思うこともある。


そんな時はやっぱり「プリンセスダイアリー」である。
それは別名いいこと日記みたいなもので、これから起こった「いいこと」をどんどん手帳に書いていくのである。

種明かしをすると、物事には「良い面」と「悪い面」がある。
同じ暖かい陽気でも、「暑い」と取るか、「暖かい」と取るかで感じる温度が変わるのである。

「いいこと日記」=日々いいことを数えていく、とは陽気を「暑い」ではなく「暖かい」と感じられることである。
他人から「暖かいと満足している私」を意識するより、心から「あぁ暖かい」と満足することが大切に思う。これは似ているようで、ちょっと違うのである。

あぁ暖かい、と感じるためには、五感を研ぎ澄ます事が必要である。
暖かい心地よさを感じられる触感、おいしい食べ物を「あぁおいしい」と感じる触感。例えば静かな川の音、そういうものを感じられる心。。。

それには前にも書いたが、大の字になって何も考えずゆっくり横になる瞬間。(加島祥造さん風)
お風呂に入って「あぁ気持良い」と感じる瞬間。

こういう心地よい瞬間を(できれば人の手を借りずに)自分1人で感じあげる力。心の余裕。
そういうところから、幸せは見えてくるという。。。。
(それは条件付けではなく、心のあり方になってくる。)


だからと言って、悲しむことが悪いことではない。
私は悲しむことも怒りにふるえることも、時には人を嫌いになったり、瞬間恨むことがあっても良いように思う。それも自分の感情の一部だからである。

その自分の感情が許せなかったら、とてもではないが他者を受け入れることができないだろうな、と私は思う。自分の全てを赦し、認められる力が備わって、初めて他者も受け入れる心の余裕ができると信じるからだ。

泣きたい時はうんと泣いて、恨みごとを言いたい時はたまには言って、でもいつまでもそんなことをしててもキリがないから、うんと泣いてうんとごねた後はパッと止めて、そこからは「いいこと」を探そう。
そしてもう一度自分のことをほめてあげたい。

そんな気持で家に帰ると、今日もkekeがお皿を洗ってくれて、今日は髪も切ったようである。
床屋にいくことはいいことだ。
本当に外に出る気がせず、何もする気が無い時は、金を払ってまで床屋になんて行かないからだ。

だから、私は今日も何か作ろうと思い、買い物に行った。
主役はラーメンだけど、肉とピーマンがあったので、チンジャオロースーを作ることにした。

たけのこや、つまめるようなチキンナゲットや、油揚げを買ってレジでお金を払うと、偶然、4月8日から発売される新しいビールの「100円割引券」が当たった。(^o^)丿

ほらね。さっそくもうツイてきたでしょう?