きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

「父の生きる」/伊藤 比呂美 さん

2014-04-23 | 読んだ本
今の私がもっとも好きな作家かもしれない伊藤比呂美さん。
新しい本が出たと知って、図書館で借りてみた。

熊本に住んでいるお父様がだんだん弱られてていく様子が日記風に綴られているようである。ブログの抜粋・加筆のようである。伊藤さんは本拠がカルフォニアであり、お父さんに会いに熊本とカルフォニアを何度も何度も往復する。お父様の様子や、時に思うように介護ができないいらだち、アメリカの残された旦那のこと、親を見つめ生きることを考える。そのような記録である。

まだ半分も読めていない。
これは新刊なので、延滞することができず、たぶん読みきれずに返してしまうことになると思う。私の父の状態からすると、今読んでいる箇所の伊藤さんのお父様は元気である。思考が働いている。TVが観れる。電話ができる。今読んでいるのはその会話の記録なのである。おそらく読み続けるうちにこのお父様は亡くなられてしまうと思われ、それを念頭に置くと切ない。しかし、私はそれ以上に今の自分の父親の方がそちらへ突っ込んでいるので、どこか他人事のように読んでいる。

同じ「残された父親」を見つめているのに関わらず、伊藤さんのお父様へのひたむきな気持と、私のそれは温度差があるような気がする。つまり、私はそこまで熱心ではないのである。

たぶん、妹がいるからだと思う。(伊藤さんは一人っ子)
妹もやってくれてるから、まぁいいわと腹のどこかで思っているのである。妹もこの程度ならこれでいいわという気持もあるし、妹がやってくれているから私はいいわ、と言う気持もある。いずれにしてもどこかで「まぁいいわ」と構えている自分がいるのである。

介護と言うのは兄弟で分け合えるものなのだ。
手間だけではなく気持も。それをこの本で知った。


同じことが子育てでも言えるのかもしれない。
子供が2人3人いれば、親の期待やプレッシャーも等分することができるのではなかろうか。うちの場合は1人しか息子がいないので、一挙一動目についてしまうし、そこにどっぷりはまりこんでしまっているのだろう。このひたむきな気持は責任感(と言うプレッシャー)から来るのかもしれない。

この本では(今の所)まったく存在感のない旦那である。父の介護への邪魔者みたいな風にも読める。しかしこの後でおそらく今度はご主人との生きることについて見つめる時が来るのかもしれない。

そんなことを考えて、本当の夫婦は片方が死んで初めて生まれるのかもしれない、なんて考えた。16年も旦那の居ない自分のことだから、勝手に言うだけなのだけれども。
いなくなって初めて、安心して人に語れる気がする。

こんな素敵な人だったのよ、と不動に思えるような気がする。