きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

東洋医学

2013-06-18 | 健康とか病院とか
「おでこのかぶれ」が、「何もつけないこと」によって治った(?)ので、だんだん自然志向になった。

人は本来余計なことをせず、自然にありのままに暮らしている方が体にはよいのではないか?そんな気がしている。
なので、土日は化粧水もファンデーションも何も塗らずに過ごして3週間ぐらいが過ぎた。
これが肌にとって良いことなのか悪いことなのか分からないが、化粧品はその分減らなくなった。

しかし会社には仕方なくファンデーションを塗って出て行く。
いくら「私は最近自然派志向になったのでこれからはスッピンです」と言ったところで、男にはその意味がわかるまい。単に「さぼり」「怠け」「やっぱオバタリアン」と思われてオシマイなのがミエミエなので、最低限のファンデーションを乗せて行くけれど、お昼辺りからだんだんはげてくるので(それをトイレで直そうと言う習慣も無い。)、結局はスッピンと大して変わらないのだが、それでも一応「やることはやってますよ」的な辺りで、私なりに最後の一線は超えてないつもり。

でも、実際、化粧品ってどうなんだろう。
高い化粧品はともかく私のような安い化粧品を使っているのは、肌にとって良いのだろうかどうなのか。。。
化粧品に賞味期限がないのも何だか気になる。(でもあったらますます遠のくけど)よく分からないけれど、それなりに保存料的な薬も入っているのではなかろうか。

でもいくら自然自然自然がいいわよ、って言ったって、くすんだ肌よりも幾分白い肌の方が元気も出るし、前向きになるだろう。そういう意味で化粧品って、やっぱり必要なんだろうな。


この前OMさんに会った時に、また正月にギックリ首(ギックリ腰の首バージョン)の話になった。あれはハンパなく苦しくて大変だった、と言う話になって、3週間経っても頭痛がひどくてあれから接骨院に行ったんですよ、と言う話をしたら、OMさんも別の接骨院に行ったらしい。

で、やっぱりあれは肩こりから来てるよね、怖いよね肩こりって侮れないよね、と言う話になった。

それから接骨院の値段の話になり、OMさんが通った接骨院より、私の通っていた方のが安いことが判明して、「今度行ってみようかな」とOMさんは言う。

私達はお互い「東洋医学っていいですね」と言う話になり、私の行った接骨院は治療が終わってからも、月イチだけは1000円で肩から腰からほぐしてくれるんです、と言ったらOMさんはますます「それいいわよー」と言っていた。

ちょっと前だったら、「エー1000円?!年に1万2000円じゃんか」と思ったハズだけど、あの首ギックリ事件から月1000円で少しでもギックリ腰や首のリスクが遠のくなら・・と思ってしまう。

この1~2年、ギックリ腰と五十肩とあの首事件で、何回レントゲンを撮っただろう。。。1万2000円でも元は取れると踏んだのである。しかも苦しい思いもしなくてすむ。(かもしれない)

西洋医学はどうしても「悪くなってから行く」と言うニュアンスがあるが、東洋医学系は「悪くなる前にメンテしておきましょう」みたいな感じで、何となく心持ちも違う。
本来の体の力に沿って自然に行きましょう的な、そういう辺りがいいなと思う。

しかし、だんだん友達に会ってもこう言う話ばかりになるね、どうしても。

初めての経験

2013-06-17 | 今の会社
人手がどうにも足りなくて、最近派遣会社から紹介していただくことになった。
それがWBさんだ。現場はここからは遠い。WBさんの自宅はもっと遠いので、直行直帰で私はまだお会いしたことがない。さっそく作業着と名刺やヘルメットを送った。携帯も会社で用意した。

この前nanuさんから電話が掛かってきて、「FAXぐらいないとまずいだろうから、NTTに連絡してくれ」と言うので、「FAXって何か倉庫にありましたっけ?」と言うと、「なければNTTに相談して」と言うので、電話する。
工事はいつにしますか?と言うので、そういう打ち合わせはWBさんと直接やってほしい、と彼の携帯番号をNTTに教えた。

そして「FAX本体はリースとかありませんか?」と尋ねると、それはやってないと言うので、それじゃどうしましょうと秀クンに相談すると「自分はリース屋で頼んで会社にあるような複合機を頼んだよ」と言い、「現場にそれぐらいあって当然でしょ」みたいな感じなので、リース屋さんに電話して、「秀クンの時と同じのをお願いします」と頼んだ。(そしてNTTから工事の日を聞いて)その前の日に必ずFAXを搬入してほしいとお願いした。

その頃nanuさんが「この工程表をWBさんに送ってくれ」と言うので、「まだFAXの工事の日は○○日ですよ」と言うと、それじゃ「何がいつからいつまで、何がいつからいつまで、と言う風に全部文面にしてメールで送って」と言うので、「えぇ。。。。」と言う顔をすると、「面倒だよな、それじゃ手紙で送るか・・」と言うので、この時代に手紙かよと思いつつ、「住所でちゃんとあそこに届くんでしょうかねぇ」なんて言うと、nanuさんも心配になってきて「あと何日かだから待つか。」と言い出し、ひたすらFAXがつながるのを待った。

そしてNTTの工事が終ったと思われるある日の午後、私はWBさんに電話して、そろそろFAXで工程表を送りたいのですが・・と言うと、「実はまだなんです」と言うので、「まだ工事して無いんですか?あれ?コピー機が届いてませんか?」と尋ねると、「コピー機も前の日に届いて工事も終りました。」とWBさんは言い、「ただここにコンセントが無いんです、だからこれから電気工事を手配するところです」と言う。

そして数日が過ぎ、WBさんから電話が掛かってきた。「あ、WBさん、そろそろFAX送っても大丈夫ですか?」と尋ねると、「それがですね」とWBさんが言い、「コンセントもつながるようになったんですが、よく見たら紙が入ってないんです。」と言う。

「あ!そうですね、紙!どうしましょう、とりあえず買っていただけませんか?お金は必ずこっちから返しますので。」と言うと、あぁそうですかみたいな感じだったが、不安になってまた夕方電話すると、「紙って文房具屋でしたっけ?」と言っているので、あぁ~と思い、「こちらで通販で買ってそちらに送ります」とする。

そして私は紙と一緒にハサミやホチキスや筆記用具なども注文して送ることにしたが、果たしてそれはちゃんとWBさんの元に届いているのだろうか。
今日の朝イチで心配しているのは、そのことである。

東京タムレ

2013-06-16 | 父の記録と母の思い出
先週は風邪気味だったので行かなかった。
父の所は2週間ぶりだ。

いつものホールにいないので「あれ?」と思うと、まだ部屋で寝ているという。
ずいぶん弱っているので少々驚いた。
1ヶ月ぐらい前から気になっていたけれど、左指が硬直したまま動かないのだ。
今日は袖口から出すこともできない指が痛々しい。

この前妹が「前にボタンがついて脱ぎ着できる服にしてほしいと言われたけれどパジャマみたいなものしかなくて。。」と言っていたが、これだけ左腕が頑なに動かないからそうでないと着せ替えることができないのだろう。
いや、これでも着せ替えるのは大変だろう・・父もイタイイタイと大騒ぎしているだろうなと想像される。

呼びかければ返事はかえってくるが・・たぶん言葉の意味は通じてないのではないかと思う。
このままゆっくり寝ているのが良いように思う。


父の部屋に久しぶりに入って、壁に掛けられた絵を見た。
まだ父が元気だった頃、10回も20回も同じ話を繰り返していた頃、この絵をぼんやり見ながら相づちをうったものだっけ。一緒に裕次郎の歌を歌ったりしてたっけ。

そんなことさえ、なつかしい。
あの頃も元気だったのか。

それでも救われるのは、父も母も現役時代したいことをやって、いつも笑っていたことだ。
本当に楽しそうだった。


家に帰って洗濯機を回して、干すことにした。
タオルを何枚か外に干そうとしたら、kekeの洗濯物が先に掛かってる。
昨日洗濯していたらしい。

私が手作りで作った手提げ袋と上履き入れも干してある。
小学生の頃、音楽室に行く時に入れるための袋ではないかと思う。

あとで「こんな袋があったなんてすっかり忘れてたよ」と言うと、「押入れの一番奥に入ってた」と言い、「丈夫そうだから洗った」と言う。

「何に使おう、エコバッグにしようかな」と言うと、エコバッグじゃ変でしょ、と言う。



今日は図書館をハシゴすることになった。
最近、会社の近く(と言っても車で30分ぐらいなのだが)の図書館にも寄っているからだ。
返すついでにちょっとこれ面白そうだなと思うと、ついつい借りてしまう。
だから返すときにハシゴになってしまう。(借りたまま読まない本も相当多いのだが。)

Aさんはこの話を聞くと笑う。
「それで何のCDを今日は借りたの?」と言うので、「YUIと原由子と太田裕美」と言うと、「太田裕美!ずいぶん古いねぇ」と言って原由子のCDは今度焼いてほしいと言う。

そんな話をしながら、自分の聴いてるCDの話をすることなんて、今までなかったなァと気づいた。誰ともそんな話したことなかった。離婚してから、いや元夫もそんなことに興味がなかったから、20年ぐらい自分の聴いてる音楽、読んでる本、今関心があること、そんな話を人にしたことがなかった。せいぜい妹に話すぐらいだった。
(だからきっとこんなにブログに書くことがあるのだろうね。)

あ、他人でもそんなことに興味を持つ人がいるのか、と驚いた。

そしてそれがあまりに自然なことにもっと驚いた。

原由子のCDは何て言うCDなの?と言われたけれど、まだ聴いてないし忘れちゃった、東京何とかって書いてありましたよ、カタカナで3文字だった、と言う。何か昔の曲のリメイクみたいだけど、と言う。
「何だろう知らないなぁ」と言うので、「新しいアルバムですかねぇ」と言う。

心変わり

2013-06-14 | 母子家庭だから思うこと
私はこうして「相手に期待しない」ことを考え始めているうちに、G子のことが苦手になった。
なぜなら、相手に期待しまくりだからである。
T男の愚痴は全て「私はこうしてほしいのに、そうでない」と言う内容だし、私に対しても「もっと話をきいてほしい、いつまでも聞いてほしい」と言うオーラが出まくっている。

今の私はあのオネガイオーラが全ての諸悪の原因に思えるのだ。だから、返事はどうしても上から目線の冷めた返事になってしまう。そんな自分が更にイヤになる。
なので非情だと思いつつ、自分からは少し距離をおくことにしたのだった。

sakeさん、もう少し自分の考えをG子さんに話してみたら?と言うご意見はもっともである。
私ももう少し口数がゆっくりで、頑固ではない相手だったら、それも試みるだろう。

しかしあのG子である。一度火をつけたらさぁ大変。周りの全てを根こそぎ燃やすような勢いで、私をののしり始めてケンカになったことが2度ある。それも、sakeちゃんは友達がいないだとか、kekeがどうこうとか、本題に関係ない所まで火を放ち相手を黒焦げにしようとする。
もうこりごりだ。


しかし、この心変わり。
私は自分が悪いとは思っていない。かと言って、G子が悪かったからこうなったとも思っていない。

自分の心境の変化でやむを得ずこうなってしまったのだ。


そこまで考えて、これと同じことが男と女の間にもあるのではなかろうか。
恋人だって、夫婦だって、何かのタイミングで気持が離れたり、ゆがんだ形で現れることがあるのではなかろうか、と考えた。

私達はみんな自分の人生をまっとうするのが第一目的で、自分が変化(成長)していくことを押さえつけることは難しいのではなかろうか。
もちろん、周りを傷つけない付き合い方はしていかないとならないけれど。。。


人の心はむしろ変わるのが当然と思った方がいい。

「絶対心変わりは許さない!」と力むより、「心変わりもせずに今日も、昨日と同じように私を愛してくれてよかった、ありがとう」これからはそう思いたい。

自分は結婚していた時代に、こう言う気持がとても欠落していた。
結婚と言う制度にあぐらをかいていたのだ。
人の心は変わらないもの、変わってはいけないものだと思っていたから、とても無用心だったし、元夫の心変わりを知った時の裏切られ様もハンパなかった。

でも、今になってよくよく考えると、私だって元夫に対する愛情は変わっていたのである。むしろそっちの方が先だったかもしれない。私も「だらけた」心変わりはしていたのである。
異性を替えることばかりが心変わりと言われるが、そうでない心変わりは油断をするとあちこちにひそんでいる。

人の心は変わってしまうものなのだ。
そう思うと、人はもっと相手のことを真剣に考えるようになる。

自分の心が変わらないように努力すること、心の変わらない相手に感謝することは、二人の間を続けて行く上でとても大切だったと今は考える。

親の役割

2013-06-13 | 息子keke
昨日も今日も家に帰ると、皿もフライパンもきれいに洗われていて、今すぐにでも料理に取り掛かれる状態だ。

マスクをしたkekeが現れ、自分の部屋を片付けているという。
部屋の外には不要なものが毎日少しづつ積み上げられている。

小学校の時着ていた服から、高校時代の制服やカバン。
野球のバッド、バドミントンのラケット。

ボードゲームかぁ・・。

私の実家にはいろんなボードゲームがあったのだが、家を建て替えるときにみんな処分してしまったのだ。
そのあとkekeが大きくなってから「あれ、とっておけばよかったなぁ」と何回も思ったので、トーマスのドンジャラはタンスの上に乗せておこう。。。

孫ができるなんてそんなたいそうな夢、とても持てないけれど、心の片隅にだけそんな夢ももっていたい。。。
野球のバッドだって、買えばそれなりの値段はしたんじゃなかったっけ?
そう思うと、ついつい捨てるのもしのばれる。


本当にこれから無事に学校に行って就職までできるのかなぁ。。。
そんな不安が私を襲う。

でも昔のように「何が何でも行かせなくては!」とか「絶対にそうなるように!」とか、そんな風には思わないのだ。そうならなかった時の絶望の闇の深さが恐ろしく、それを想像するだけでとてもじゃないがエネルギーが枯渇していく。

かと言って「どうせkekeなんて何をやってもダメでしょ」と諦めるのも本人に対してしのびなく、私は心の片隅で「もしもkekeが学校に行って好きな仕事がみつかったら、どんなにうれしいだろう。」と軽く想像するにとどめた。
想像すると(騙し騙しかもしれないが)楽しくなってくる。そんな日がきたらどんな気持だろう、なんて。

その先にも、またその先にもいろんなつまづく種があると予想される。
そのたびに深刻に心配してたら、もう自分の身がもたない。眠れなくなって体を壊しかねない。
無責任と呼ばれても手離そう。
私にできることがあるとしたら、一緒に不安にならないことかもしれない。


鳥だって、すぐに羽ばたいて飛べるヒナと、そうでないヒナがいるはず。
みんながみんな22歳で立派な社会人になるとは限らない。

私は今までどうにかムリにでも空へ飛ばそうとしていたのだろう。
それが自分の役割だと信じて疑わなかったのだ。

でも、きっと時間が来れば羽根を広げて飛べる日が来る。
むしろ、その日を信じることが自分の役割ではなかろうか。


※あんなに台所がきれいなのに、疲れたので何もせず惣菜を買ってきてしまった。
 でもkekeは特になんとも(せっかくきれいにしたのに、とか)思ってないようだ。

ありのままで

2013-06-12 | 母子家庭だから思うこと
そう、私はずっと子供に期待をかけていた。
kekeは大学を出て、しっかりした会社に勤めてほしい。。。

元旦那にもいつも思ってた。
もっと家庭に尽くしてほしい、いいお父さんでいい旦那さんでいてほしい。。。

その裏には自分自身にも「もっとこうでなければいけない」と課していたのだと思う。
自分に自信がなかったから、もっとこうするべきだ、親としてこうであるべきだ・・
いろんなべき論を持っていたのだと思う。

自分が、家族が一人一人が頑張る事で、周りの人に認められたい。
「この人は仲の良い素晴らしい家族を作り上げて来ましたね」と認められたい。

元夫に、子供に、ハッキリとはたぶん示していないと思うけれど、「こうあってくれたら私はうれしいのに。。」そういう気持を抱いていたのだと思う。
どこかで表現してしまっていたように思う。

それから元夫は去り、子供は引きこもる。
でもおそらく一番きいたのは好きな人がこう言ってきたことだ。

「sakeさんそれはできないよ。できることはするけどそれ以上の事はできないから、それを望むなら他の人と付き合うしかないよね。」

はぁ~!アンタよくもそんなことをイケシャーシャーとまぁ!

でもまてよ。
私が人を好きになる基準は「自分のために何かをしてくれる人だから」なの?
順序が逆じゃない?

魅力があったり尊敬できたり、だから自分は好き、そしてその人が自分のためにもし何かしてくれたらうれしい。
そうじゃないの?

それから私は求めることをとめてみた。
(もちろん、そこに至るまでにはものすごく時間が掛かっている。)
見返りはなくていい。一方的にこちらから与えるだけの関係。
もちろん子供へも。

そして少しづつ、私は変わっていったのだ。
こんなことをしたら、喜んでもらえるんじゃなかろうか。
ちょっと面白半分で。

そして、会社のビールを自分の持分はなくなってもみんなに分けてみたり。。。
ちょっと奮発して、kekeの好きなさぼてんの高いフライにしてみたり。。。

そしたらどうしたことだろう。

誰かに何かしてもらっているのと同じぐらいに、気持が満たされていく。。。
むしろ、誰かに何かしてもらって得をしている以上に、心がうるおってくる。。。

今まで得か損か、黒か白か、頑張るか怠けるか、
そんな二者択一の世界に居た自分の心は、とっても乾いていたノドに水分を与えられたかのように、すーっと満たされてくるのを感じた。
これは言葉では説明できない不思議な感覚だ。

何も得なんてしていないはずなのに。。。

それから私にはいろんなものがよみがえってくる。
今まで両親が自分にしてくれたこと。
「これはアンタのためにやってあげたんだよ!」そんなこと1度も言われた事がなかった。
当たり前だと思っていたこと。
当然の権利のように思っていたことも。

それから私は周りを見渡してみる。
kekeもできることはしている。
私の求め方が高過ぎただけ。。。

「できることはやってるよ」その通りだ。
他の誰かと比べなければ、自分が追い求めなければ。
それ以上何の権利があるのだろう。
「私のためにもっと動け」だのどうして言えよう。

そして私は一つ一つ赦していく。
元夫もできることはやっていたのだ。
私がそれを見ようとしなかっただけで。

そうしているうちに、私は一番大きなことに気づく。
こんな自分が好きでいることに気づく。

私はこのままでいいんだ。
欠点もあるけれど、このままで充分にイイ奴じゃんか。
ありのままのコイツでいいじゃんか。

ありのままの自分を赦そう認めよう。。。
もうこのままでいいんだよ。

ありのままの自分が好きになったら、周りもみんなありのままで充分な気がしてきた。
別に大学を出ていなくたって。。完璧に愛されていなくったって。。。
その人はその人なりに変わらず輝いている。
すると何となく周りから笑顔が増えてきたような気がして、毎日が満たされていくのを感じる。

そしてなぜか、ちょっとした小さな「ありがとう」に気づく。
ほんのささいな、自分を喜ばせてくれる小さなことがとてもうれしい。

もしかしたら、これが「愛する」に近い気持ではないかと。

あれから これから

2013-06-11 | 息子keke
「明日もバイトがあるのかね?」とkekeに尋ねると「バイトを辞めることにした」と言う。

えっ!どうして?!と尋ねると、秋から職業訓練校に通いたいから、入れなかったらの場合は考えてないけど、と言う。

エッ!!


「えっ!だってまだ秋だろ?それまで続けてても良いのでは?」←あぁこれが私の悪いクセなんだよね。
と尋ねると、「最初から1年間のつもりでお店にも話してあったから。」と言う。

そしてkekeはウフフフ・・と笑う。

いったいどうしたんだいお前は、と尋ねると、「今まで知らなかったけど有休が残っていた」と言う。
いつのまにか15日もたまってて使っていいんだって、と言う。

「だから休んでてもお金が入るんだ。」と言ってまたウフフフと笑う。

一日いくらだとしてこれから15日でしょ。だからいくら自動的に入ってくるんだ、と言ってまたウフフフと笑う。

ウフフフ。。。

ばっかも~ん。
「またしばらくグータラグータラの日々に戻るんじゃないだろうね。」←またまたこれも私の悪いクセ。
と言うと、生活ペースは今までのままをキープしたい、とkekeは言う。

それじゃその間はまた去年のように夕飯を用意しておいてくれるとうれしいんだけどなぁと言うと、まんざらでも無い様子。

「そうだ、その間一人旅でもするのはどうかね?」←あぁまたこれも私の悪いクセなんだろう。
と言うと、「そのまま旅先で死ぬのもイイかもしれない」等と言う。


私は23歳の頃を思い出した。
今のkekeより一つ年上の頃だ。

私は最初の結婚で(自分が選んだ相手だったはずなのだが)幻滅してしまって、わずか数ヶ月で実家に舞い戻っていったのだった。
その頃の自分と、1人暮らしを数ヶ月で戻ってきたkekeを重ね合わせた。

それから私も25年間、ずっと「愛する」と言う意味を求めて旅を続けてきたような気がする。

離婚をして、他の人と恋をして再婚をして、kekeが生まれて・・・・

結婚に失敗して人を恨んだ時期もあった。
「男なんか信用するもんか」と思った時期もあったっけ。

でも私はやっぱり「愛する」と言うことを考えなかったり求めなかった日はなかったんだ。
なぜなら、小さい頃から夢はお嫁さんになることだったから。

だから人一倍真剣に、人一倍頑張りすぎたのではなかろうか。
それがいろんな所で吹き溜まったのだろう。

でも最近、求めて求めてやまなかったものの形が少しづつ見えてきたような気がする。
「誰も必要ない、一人で生きるわ」と思った時代もここに至る経緯として大切だった。。。


kekeもテーマが違うだけで、これからしばらく10年も20年も探し続けていくのだろう。
私と同じように人一倍真剣に、人一倍頑張って。。。

そして私が元気なうちは、迷ってもつまづいても大丈夫。
戻れる場所があるから、今はどんどん思いのままチャレンジできる時期なんだ。

そうやって私も両親からずっと許され見守られてきたのだと気がついた。

永遠の夢

2013-06-10 | 母子家庭だから思うこと
昨日はOM君のお母さんとホタルが見えると言う噂のスポットに行ってきた。

OMさんは1度でいいから見てみたかったの・・と言い、私もそう言えばホタルなんて見たことがなかったかも。それとも両親との旅行で見た日もあったのかしら。

道中聞いた話では、OMさんはもう2日息子と口をきいていないと言う。ふとした事からケンカになりOM君はおにぎりを投げつけてきたと言う。「ハタチを過ぎてこの態度、顔も見たくないぐらい。」と言う。

「分かります分かります。去年は紛れもなく同感でした。」と私も言う。
あの引きこもっていた頃はkekeの顔を見たくないと思い、寄り道して家に帰ってきたものです、と言う。

「でも、そう言えばあの頃ほどkekeは態度がひどくないですねー、先月の母の日に小学校以来ですけどね、プレゼントをくれたんですよ。」と言うと、OMさんは驚いて「素晴らしい!何をもらったの?」と言うので「ウィスキーです」と言う。

「今、気がついたけれど、去年ほどひどくないですね。去年は母の日に何かをくれるなんてあり得ないことでした。少し吹っ切れたのかもしれませんねー本人も。」
「うちの息子が母の日にプレゼントなんてないわ。」
「いやいや去年は間違いなくそう思ってました、きっと将来が不安なんですよ、kekeはどん底から少し開き直ってきたのかもしれません。」
「子供ながら顔も見たくないと思うのよ。でも正直な気持だからそれでいいと思って。」
「去年はほんと、そんなでしたよー、親子の離れていく時期なんでしょうかねぇ。」

そんな話をしながら、スポットに到着。

暗くなるのを待つと、たしかにホタルが見えてきた。
目を凝らして探さねばならないぐらいではあったが。。。

それでも自然の力で光ってはきえて、また光る。
いつまでもいつまでも飽きずに見ていられそうな。。。

OMさんは最近韓流ドラマにはまっていると言う。ビデオで取っておいて、時間がある時に2時間も3時間も見ているそうだ。
身の回りに「自分はアキバ(AKB)のファンです」と言う者は聞かないが、韓流ファンはいったい何人いるのだろう。姪っ子はもう新大久保を案内できるぐらいだと言う。(今度行ってみようと妹に誘われた。)
OMさん曰く、国民性なのかちょっと違う所があるのよと言い、女の人が不満な時にチッ、みたいな態度を取るの、それは日本にはないわね、と言う。
私はおそるおそる「あちらのドラマでは日本はどんな風なのか」と尋ねると、「そこはやっぱり輸入前に検分していると思うよ、気になるところはないもの。」と真顔で言う。

今一番の楽しみはそれなの、とOMさんは言う。
そう言えば妹も「今一番楽しみなのはTVドラマ」と何年か前に言ってったっけ。

そんなものなのだろうか、たぶんそんなものなのだろう。
あまりにも生活が安定していると、ドラマでワクワクドキドキを味わいたくなるのだろうか。
そこまで人はないものねだりをしてしまうものなのだろうか。

だとしたら、私の人生も悪いばかりではないかもしれない。
このまま1人で「あぁもう一度結婚したかったなぁ、愛し愛されながら・・」と思いながら死んだとしても、そこには小さな夢がある。永遠に壊れない夢が。。。

そのうち年金生活に入ったら、1度韓流ドラマを観てみるかな。

蜘蛛の糸

2013-06-09 | 友人
夕方着履があるのに気がついた。

私はめったに携帯が鳴ったりメールが入ったりしないので、1日に1度携帯を見ればまだ良い方なのだ。誠に非常識で申し訳ないが、友達もたいしていないので迷惑は掛けていないと本人は思っている。
携帯も手元に置く事もなくカバンに入れっぱなしだが、一応大音量で鳴るようになっている。それが鳴らなかった。何故ならG子からの電話は恐怖のあまり消音になっているからだ。

先週末もG子から電話があり、そして今日は午前中に「今何をしてるのか」とメールがあり、夕方は耐え切れず(?)電話を鳴らしたようだ。

私は何をしていたかと言うと、図書館から借りてきた「脳はバカ腸はかしこい」と言う本を読んでいたところである。脳と言う機能は、ストレスや負荷が掛かると余計に糖分で補うように指示をしてしまう、それで糖分取りすぎとなり年を取ってから成人病につながるのではないか・・・と言った内容である。私は最近物忘れが本当にひどいので、ゆっくり読んでるとどこまで読んだのか分からなくなって同じ所を何度も読む羽目になるので(そのくせシオリをはさむような工夫もしない=B型だからなのか)、難しい言葉はどんどんはしょって、猛スピードで読んでいた。

私はG子の張った蜘蛛の糸がじわじわ迫ってくるのを感じつつ、その一方で罪の意識もあった。
G子は悪い事はしていない。先週夜に携帯を鳴らしたら私は寝ていた。だから今日はメールも入れ、夕方にかけたのである。1歩も2歩も歩み寄っているのである。

私は折り返したが電話は来ない。それからビクビクしながら携帯を手元に置く事になる。皿を洗っていても鳴らないのは鳴らないで気になる。掛ければすぐに話ができて当たり前と思ってしまうこのツール。その傲慢さ。うさんくささ。苛立ち。
私は便利だとは絶対認めない。コイツの登場で現代人はいっそう糖分を脳みそから要求され、不健康に陥っているに違いない。


夜になってG子から電話があった。
「今までM君とお茶を飲んでいたんだ」と言う。
 
用件は「ここのところずっと土曜も日曜もT男と会っていた、だけど昨日から会っていない、だから不安になって誰かと話したかった。」と言う内容である。(どうして昨日から会えなかったのかは話が長くなりそうだから訊かなかった。)とりあえずM君とは会ってみたものの、T男の話はできないので不安が解消しなかったようだ。

私は心から「それは自分1人で乗り越えなければならないことなんだよ。。。」とおそるおそる言った。
G子は分かってると言う。たぶん分かってるだろう。分かっててもどうしても脳が納得できないのだ。

「そのたびに誰かに話して、その時はそれでいったんおさまるけど、1人で乗り越えるようにならないとまた繰り返すだけだからねぇ。。。」と言うと、それも分かってるようである。

「時々思うの。こうしててもこれが何になるのかなぁ、虚しいって思うの。」
「それはね、見返りを要求してるからだよ。」

「え?」とG子は訊くので、「それはね見返りを求めてるからだよ」と私は言った。
「相手が幸せだったらそれでもういいじゃん。」と言い、「私なんてね、G子と違って奥さんがうんと若いからね、私ぐらいの年になって、今の私のような考え方になったらきっと家に戻るんじゃないか、って思ってるの。」と言い、「でも最近それが幸せなら、それでいいじゃん、って思うの。」と言った。

正確には、幸せで少しでも長く生きれるなら、なんだけど。


G子は「sakeちゃん強いね」と言い、いつものT男の愚痴、娘の教育自習の話や、「M君に聞いたんだ」と大学仲間の誰それが会社で偉くなったとか、校長になったとかそういう話になった。
G子は「みんな偉くなってるよねぇ、私なんかさぁ・・・」と言いだし、そろそろ関係ない話だよなぁと思い、電話を切ることにした。

そうだ、できることはして、これ以上は勘弁と思うことは自分の中できっぱり線を引いて、逃げるのではなく、優しく分かりやすく思うことを述べてみよう・・・しかしユング心理学で外向的な人はいちいち人に関心を持ち人と比べる率が高いから余計ストレスがたまるかもしれない、・・・と私は蜘蛛の糸にからまれつつ考える。

夜中鍋

2013-06-08 | 息子keke
先週辺りからだらけだした気がする。

kekeが5日ぐらい前に買ったバラ肉がずっと気になっていて、焼きそばの具に入れたり、回鍋肉で炒めてみたりしたけれど、まだ使いきれていなかった。もしかしたら1週間ぐらい経ってしまったかもしれない。

もうやばいだろうやばいだろうと思っていたけれど、ここのところずっと「あまり手の込んだものを作りたくない」モードだったので、「バラ焼きのたれ」と言うものを買ってきた。


バラ焼きと言うのは青森地方のご当地グルメで、牛のバラ肉と玉ねぎを炒めて、甘辛く味付けした料理らしい。このタレも「十和田市観光協会推奨」と書いてある。製造者も何とか協同組合みたいな所で、大手メーカーではない。
このようなご当地のタレが何故か近所のスーパーで売られていて、「珍しいから買ってみよう」と思って買ってみた。

そしてラベルの作り方の通りの分量で食べたら、あまりにおいしい。←あくまで私の味覚です。

なのでもう一度買ってみた。
そこのスーパーに品物があるうちは、こうしていつも冷蔵庫に置いておくつもりである。値段は360円ぐらいだったと思う。
あれで残ったバラ肉を食べてしまえばいいだろう・・と思いながら布団に入った。


夜中にトントントンと包丁をたたく音がする。

「?」と思うと、夕方から寝ていたkekeが台所で何か作っているのだ。
kekeもあの肉がもうやばいだろうと思って、気になっていたのだと言う。

やっと目も覚め起きてみると、「ちゃんこ鍋の素があったから。」とkekeが言い、ちゃんこ鍋を作ったと言う。
鍋のフタをあけるとジャン!、鍋いっぱいにあのバラ肉、白菜、もやしの鍋ができていた。

「ちゃんこ鍋の素なんてあったっけ?

実は寒い頃にちゃんこ鍋を作った時の鍋の素(保存料入って無いから一度に使い切りましょうタイプ)を「もったいないから、これ冷凍庫に入れてまた使おう。」とkekeに言いながら入れておいて、それきり忘れていたのだ。

時計を見ると、2時半。

kekeは食べるわけでもなく、それじゃもう寝るとベットに入っていった。