きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

1年前を振り返って

2013-06-06 | 息子keke
1年前に自分が書いた記事をgooから送られてくるままに読んで、去年の今頃、kekeが年中夕飯を用意していたことに驚いている。
せいぜい週に1~2日ぐらいかと思っていた。
会社から帰ってきたらkekeが寝ててケンカしたとか、そんな印象ばかりあった。

1年前の私は「学校も辞めて家でひきこもってるくせに」と思っていたので、kekeが一生懸命夕飯を用意していても、「するのが当然」ぐらいに思っていて、そしてできてないとムッとしていたのだ。

その事実に今、気がついて愕然とした。

それまで料理をしたことがなかったkekeが回鍋肉一つでも作るのに、どれだけ敷居が高かったのだろう。
それを今日はカレーだの、ビビンバだの、鍋だの、挑戦していたのである。
それは何故か。
「こんな自分で申し訳ない」と思っていたから。それ以外の理由なんてないではないか。

それも気がつかず、「飯ぐらい作って当然」と思っていたとは。
なんてふんぞり返った親だったのだろう。


1年経って、そんな自分を反省する。

たしかに自分は幼稚園時代あれだけいじめられても休みもせず、高校時代も毎朝吐き続けながらも電車に乗った。kekeが学校を休むだの辞めるだの、ありえないことだと思っていた。
でもそれは、私が特別根性がある(悪く言えば鈍感)だったのかもしれない。

そしてkekeのことを思いだす。
中学時代、部活でレギュラーになることなどなく、下級生に抜かれながらも3年間ほとんど休まず部活を続けたkeke。レギュラーで部活が楽しいのは当たり前。そうでなくてもあの子は頑張れる子なんだ。
私に似て、本当は根性がある方の子供のはずだ。

学校を辞めたのも、きっと理由があったに違いない。


「きっと理由があるにちがいない」と思うようになってから、毎日がどんなに生き易くなっただろう。

悪い子供もダメな子供もいないのだ。
そう評価したい人がいるだけで。

そしてその背後にある理由を考えようともせず人を評価する事は、なんて思いあがったことなのだろう。

大人だってそうだ。
悪いだけの人も、ダメだけな人もいない。
きっとその背後には、止むに止まれぬ理由があったかもしれない。


私は妹と違って人徳がないので、離婚しないと離婚した人の気持が分からない。
不妊治療をやってみないと、受けた人の気持が分からない。
流産も、不倫もぜ~~~んぶ、やってみないと分からない。

そしてひきこもりだ。
それまで「子供がひきこもりになるなんて、親がどれだけ甘やかせているのだろう、子供がどれだけ甘えているのだろう。」と思ってた。自分の子供がそうなって初めて考えた。

親がどれだけ心配するのか、子供がどれほど必死でもがいているのか。
それを「甘え」の一言で片づけていた自分がはずかしい。
これがなかったら、今でもそのような人様をバカにしていただろう。

こう言う思いをしてほんとに勉強になった。
悲しい経験は悪いことのように思われるけれど、その度に自分の傲慢さを思い知って反省することができる。
そう思うと悪い事ばかりではない。

「人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」と言う歌詞があったけれど、まさにその通りだ。