最近、毎日コンビニで買い物をしている。
ひと昔前はコンビニや自販機では飲み物をめったに買えなかった。
高いから「もったいない」と思っていたのである。
基本、自分で入れたお茶か、買っても2リットルサイズの底値の安いやつを買って、それをペットボトルにつめて飲んでいた。
それが今ではコンビニで毎日飲み物を買っている。
せっかくなので、ちょっと高い140円のジュースを買う。
気に入っているのが「キリンの泡」と言う炭酸飲料である。「大人のくつろぎ炭酸」と書いてあったので「どんな味だろう」と思って手に取ってみたら、本当にくつろぐ味であった。
たったそれだけで「しあわせだなァ」とつぶやけるのだ。
もう子供のために貯金する必要もない。
あとは自分で稼いでものを、控えめながらに使っていいのだ。
たった140円のものを買うだけで、心に余裕が生まれるんだよね、アッハッハ。
今日は帰り際に暑中見舞いを作っていたら、秀クンが帰ってきた。
相変わらずゼーハーため息をつきながら、「最近、みんないないよね」と言い、自分は今週9日分仕事だ、と言い、(日曜だかに)夜勤があって、また金曜も夜勤だよ、と言う。
「あれ?月曜に社長も早く帰っていいって言ってませんでしたっけ?」と言うと、「言ってないよ!」と言い、「早く帰っちゃえよ、って言っただけでしょ。そう言われても帰れないよ。」と言う。
「誰かに頼めないものでしょうかねぇ」と言うと、「無理だよ」と言い、「あそこ(認知症とかの)の人が入ってはいけない所に入ったり、ずっと誰か見てないといけないんだから。」と言う。
「ZENさんとか、時間がある時に手伝ってもらえないでしょうかねぇ。」と言っても「無理だよ」とか「ダメだよ」とか言うばかり。
自分も昔はそうやってブーブー文句ばかり言ってたので他人の事は言えないのだが、これは考え方の問題ではなかろうか。。。給料も私の倍ぐらいあるし、愛する奥さんもいて娘も生まれて、仕事もしっかり任せてもらえて、人間関係で嫌なことがあるわけでもない。(ついでに車もスマホも全部会社で持ってくれている。)
もっと真剣に相談すれば、誰かに手伝ってもらうこともできるはず。。。(うつ病にならないように休息は必要だと思うけど。。。)
「私だったら、それだけでしあわせでいられるのに。。」
と思った時、ひらめいた。
秀クンに関係ないところで申し訳ないけれど、「私だったら、それでもしあわせでいられるのに。」これをしばらくマイブーム(座右の銘)にしよう。
「独身でもご飯がおいしくてしあわせ」「子供が無職でも元気でしあわせ」「給料が安くてもコンビニジュースでしあわせ」を強力な武器として、「私だったら、それでもしあわせでいられるのに。」とこう言う場面でつぶやいてみよう。ちょっとイヤミかもしれないけど、口に出して言うわけじゃない。
こうして考えると、改めてその状況より「心の持ちよう」なのではなかろうか。
災害で住む家がなくなったり、失業したり、病気やケガで苦しんでいる人には「それでもしあわせでいられる」とは口が裂けても言えないが、少なくても私の身の回りにそこまでの人はなかなかいない。たいていこの言葉をもって事は全て解決する。
その夜、ご飯がたくさん余っていたので「手巻きにするか」とネギトロを買いに行った。その時にコンビニでしか売ってないと思われた「キリンの泡」が98円で売ってたので買った。
「これだけで私ってしあわせ」そう思う自分に酔いしれることにした。
しかしなんと、家に帰ったらすし酢が使い切ってしまったことに気づいた。
ゲゲゲ。
もう一度買いにまた行くか、それとも作るか・・と思ったら、酢と言うもの自体がない。
(私は酢と言うものをめったに使わないからすし酢で代用しているのだ。)
kekeに「どうしよう。。」と打ち明けると、自分が買いに行くと言う。
こんなことでも、いいことがあったと認識する。
ひと昔前はコンビニや自販機では飲み物をめったに買えなかった。
高いから「もったいない」と思っていたのである。
基本、自分で入れたお茶か、買っても2リットルサイズの底値の安いやつを買って、それをペットボトルにつめて飲んでいた。
それが今ではコンビニで毎日飲み物を買っている。
せっかくなので、ちょっと高い140円のジュースを買う。
気に入っているのが「キリンの泡」と言う炭酸飲料である。「大人のくつろぎ炭酸」と書いてあったので「どんな味だろう」と思って手に取ってみたら、本当にくつろぐ味であった。
たったそれだけで「しあわせだなァ」とつぶやけるのだ。
もう子供のために貯金する必要もない。
あとは自分で稼いでものを、控えめながらに使っていいのだ。
たった140円のものを買うだけで、心に余裕が生まれるんだよね、アッハッハ。
今日は帰り際に暑中見舞いを作っていたら、秀クンが帰ってきた。
相変わらずゼーハーため息をつきながら、「最近、みんないないよね」と言い、自分は今週9日分仕事だ、と言い、(日曜だかに)夜勤があって、また金曜も夜勤だよ、と言う。
「あれ?月曜に社長も早く帰っていいって言ってませんでしたっけ?」と言うと、「言ってないよ!」と言い、「早く帰っちゃえよ、って言っただけでしょ。そう言われても帰れないよ。」と言う。
「誰かに頼めないものでしょうかねぇ」と言うと、「無理だよ」と言い、「あそこ(認知症とかの)の人が入ってはいけない所に入ったり、ずっと誰か見てないといけないんだから。」と言う。
「ZENさんとか、時間がある時に手伝ってもらえないでしょうかねぇ。」と言っても「無理だよ」とか「ダメだよ」とか言うばかり。
自分も昔はそうやってブーブー文句ばかり言ってたので他人の事は言えないのだが、これは考え方の問題ではなかろうか。。。給料も私の倍ぐらいあるし、愛する奥さんもいて娘も生まれて、仕事もしっかり任せてもらえて、人間関係で嫌なことがあるわけでもない。(ついでに車もスマホも全部会社で持ってくれている。)
もっと真剣に相談すれば、誰かに手伝ってもらうこともできるはず。。。(うつ病にならないように休息は必要だと思うけど。。。)
「私だったら、それだけでしあわせでいられるのに。。」
と思った時、ひらめいた。
秀クンに関係ないところで申し訳ないけれど、「私だったら、それでもしあわせでいられるのに。」これをしばらくマイブーム(座右の銘)にしよう。
「独身でもご飯がおいしくてしあわせ」「子供が無職でも元気でしあわせ」「給料が安くてもコンビニジュースでしあわせ」を強力な武器として、「私だったら、それでもしあわせでいられるのに。」とこう言う場面でつぶやいてみよう。ちょっとイヤミかもしれないけど、口に出して言うわけじゃない。
こうして考えると、改めてその状況より「心の持ちよう」なのではなかろうか。
災害で住む家がなくなったり、失業したり、病気やケガで苦しんでいる人には「それでもしあわせでいられる」とは口が裂けても言えないが、少なくても私の身の回りにそこまでの人はなかなかいない。たいていこの言葉をもって事は全て解決する。
その夜、ご飯がたくさん余っていたので「手巻きにするか」とネギトロを買いに行った。その時にコンビニでしか売ってないと思われた「キリンの泡」が98円で売ってたので買った。
「これだけで私ってしあわせ」そう思う自分に酔いしれることにした。
しかしなんと、家に帰ったらすし酢が使い切ってしまったことに気づいた。
ゲゲゲ。
もう一度買いにまた行くか、それとも作るか・・と思ったら、酢と言うもの自体がない。
(私は酢と言うものをめったに使わないからすし酢で代用しているのだ。)
kekeに「どうしよう。。」と打ち明けると、自分が買いに行くと言う。
こんなことでも、いいことがあったと認識する。