この1年「小さいできごとに感謝する」ことで、心安らかに暮らせるようになった、と言う話を書いてみたが、その続編である。
もう一つのポイントは「人に求めない」こと。
これはなかなか大きいポイントだと思う。
他人に求めない、他人に期待しない、と言うことをスパッとやってみる。
最初はなかなかうまくいかない。
大なり小なりうまくいかないと他人のせいにすることが、心底身についているからである。
「くそ~まったく、あのヤロウ面白くねぇ」と思った時点で、「うっ!またもや他人に期待をかけてしまった、いかん、いかん。」みたいな感じで、しばらく行きつ戻りつしながら、半分ヤケクソになりながら、「人はこちらの思うようには動かない、その代わり私も誰かの思惑どおりには動かない。」と念仏を唱えるように、半年1年続けていくと、こちらもまた思考回路がだんだん自然と、そのように変わってくる。
そうすると、不思議なことに心穏やかになってくるのだ。
本当なのだ。
これも1年経った今、説明がつく。
それまでの愚痴のほとんどが、「あの人が私の思い通りに動いてくれない」というもののヴァリエーションだったのだ。誰それさんが、ああ言ってきた、こうしてきた、どうしてなんだろう?私だったらそんな風には絶対言わないのに・・・。
でもそれは私に限らず、愚痴と言うものの正体がそういうものなのだ。
と思ったのは、G子の愚痴を思い浮かべても分かる。話の大半が「T男が自分の思い通りに動いてくれない」と言う内容ではないか。
なので、何かウッと愚痴りたくなった時、ちょっと待った!「人はこちらの思うように動かなくて当たり前!」と強く念じ、相手が動かないのだから自分の力で乗り切ろう(相手から遠ざかる事も含め)とすると、自然とだんだん愚痴や不満が元から消失していくのである。
それでもどうしても「これは違うのでは?」と思うこともある。
相手が変わらない限り、どうにもならない人間関係もあると思う。
そう言う時も「この人のここがちょっとおかしいんだけどな。」とピンポイントでサラリと客観的に捉えるようにしたい。「自分はそういう風にはしないようにしよう」と思うだけなら、愚痴ではない。「観察」し気をつけることで、前向きに考えていることになる。
私もまだまだ、カンペキにはできていないので、これからは更に「求めない」ことを追求していきたいと思う。
もう一つのポイントは「人に求めない」こと。
これはなかなか大きいポイントだと思う。
他人に求めない、他人に期待しない、と言うことをスパッとやってみる。
最初はなかなかうまくいかない。
大なり小なりうまくいかないと他人のせいにすることが、心底身についているからである。
「くそ~まったく、あのヤロウ面白くねぇ」と思った時点で、「うっ!またもや他人に期待をかけてしまった、いかん、いかん。」みたいな感じで、しばらく行きつ戻りつしながら、半分ヤケクソになりながら、「人はこちらの思うようには動かない、その代わり私も誰かの思惑どおりには動かない。」と念仏を唱えるように、半年1年続けていくと、こちらもまた思考回路がだんだん自然と、そのように変わってくる。
そうすると、不思議なことに心穏やかになってくるのだ。
本当なのだ。
これも1年経った今、説明がつく。
それまでの愚痴のほとんどが、「あの人が私の思い通りに動いてくれない」というもののヴァリエーションだったのだ。誰それさんが、ああ言ってきた、こうしてきた、どうしてなんだろう?私だったらそんな風には絶対言わないのに・・・。
でもそれは私に限らず、愚痴と言うものの正体がそういうものなのだ。
と思ったのは、G子の愚痴を思い浮かべても分かる。話の大半が「T男が自分の思い通りに動いてくれない」と言う内容ではないか。
なので、何かウッと愚痴りたくなった時、ちょっと待った!「人はこちらの思うように動かなくて当たり前!」と強く念じ、相手が動かないのだから自分の力で乗り切ろう(相手から遠ざかる事も含め)とすると、自然とだんだん愚痴や不満が元から消失していくのである。
それでもどうしても「これは違うのでは?」と思うこともある。
相手が変わらない限り、どうにもならない人間関係もあると思う。
そう言う時も「この人のここがちょっとおかしいんだけどな。」とピンポイントでサラリと客観的に捉えるようにしたい。「自分はそういう風にはしないようにしよう」と思うだけなら、愚痴ではない。「観察」し気をつけることで、前向きに考えていることになる。
私もまだまだ、カンペキにはできていないので、これからは更に「求めない」ことを追求していきたいと思う。