きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

あれから1年

2013-07-05 | 日記
gooブログでは、1年前の同じ日に自分が書いたブログ記事をメアドまで送ってくれる。
またいつものように1年前の今日、何を書いていたのか読んでみると、記念すべき2冊の本に出会ったことが書いてあった。(詳しくはここに書いてある。)

それで思い出した。
私はこの2冊のスピリチュアル系の本を「そんなバカナ」と思いながらも、だまされたと思って本当に実践してみることにした。
それは、周りの人に感謝すること。(ちょっとしたことでも「ありがとう」と思ったり言ったりすること。)
それから、日常のありふれたちょっと「いいこと」をみつけること。(その度に手帳に書くと尚よい)

簡単に言うと、この二つである。(詳しく書くと、他にも掃除しろとか、金は惜しまず人のために使いましょうとか、いろいろあるけど都合の悪い事はあまり実践しなかった。)

そして1年経った今、ジャーン(^o^)丿
信じられないけれど、毎日シアワセだなァと思えるようになった。

両親から「お前は妹と違ってふくれっ面ばかりしている、もっとニコニコしろ」だの、「人に感謝しろ」だの言われるたびに「そんなことして何が変わるんだ、バーカ」と思ってきたが、バカだったのは私の方だった。
「ニコニコして周りに感謝すれば自然に幸せになれるんだよ」それを両親はくどいほど伝えたかったのだろう。(実際、彼らはいつもニコニコしていたのだ。)


今日はそれでなぜ「感謝をする」ことが幸せにつながるのか、私なりに分析してみたい。
そこで登場するのは昨日の秀クンである。

今の秀クンは結構ふてくされている。何故ならこんなに自分が頑張って仕事をしているのに、それに見合った評価がない(と本人は思っている)からである。
実際には4月にお給料も1万アップしたのだが、秀クンは「自分は資格を取ったのだから、それぐらい当然」と思っている。なので、給料が上がった事より、「思ったほど上がらなかった」と言う気持でイッパイなのである。

「自分が精一杯頑張る」ということは、「人に感謝する」こととどうしても反してしまうのだ。
精一杯頑張るとどうしても、それに対する評価(結果)を期待してしまう。受験、記録、みたいなハッキリ点数になって出てくるものなら諦めがつくのだが、それが人からの評価みたいなものだと「どうしてあの人はこんなに頑張ってる自分を分かってくれないの?!」と言うジレンマに陥り、人への不満につながり、ますます感謝から遠のくことになる。

本当だったら自分もそこそこ頑張って、人にも感謝できれば一番良いのだが、それができるほど、私達は人間ができていない。それだったら自分で「頑張る」ことを押さえて、人に感謝してみることに力を入れてみよう。

感謝することをメインにしてみると、自分が頑張っていないのだから現状維持で当たり前・・なのに、4月に給料が1万円上がったら、単純に「うれしい」→「社長ありがとう」→「新しいものが買える」→「買ってさらにうれしい気持」と、どんどん喜びのスパイラルになっていく。

上の、今現在の秀クンの思考回路とは、雲泥の差があることが分かる。
しかし、与えられた条件は全く同じ「給料が1万上がった」と言うものだけなのだ。

これが毎日大なり小なり繰り返されていくのだから、1年経つと積もり積もった違いが出てきてもおかしくない。

ね?
「当たり前の小さいことを探して感謝する」
最初は無理にでも、やってみて損はないでしょう?

私もこれから1年間、さらにニコニコして周りに感謝していくことにしたい。


そう言えばこの前TUKAさんが会社にやってきて、「ここの葉っぱ増えましたよね?」と言う。
それは玄関先のグリーンである。

3年前のブログで「この先青々と葉が茂る事はおそらくない」「捨ててしまえばいいのに」とハッキリ思った、しかし協力者がいなくて捨てるに捨てられなかった玄関先のグリーンが、いつの間にか青々と葉っぱが茂るようになったのだ。

言われて初めてそれに気がついてビックリした。
物理的には「だんだんあげる水の量が増えていった」とかそんな辺りなのだろうけど、これを私は「幸せのオーラが伝わった」と勝手に解釈することにしよう。

だって、その方が楽しいからね。^^v