きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

愛すること

2013-07-20 | 女だから思ったこと
図書館で偶然「有川ひろみ」と言う人の書いた本を手にする。

みたらなんと、この方、不倫の本ばかり執筆しているのだ。
「ありきたりな言われ方で、抹殺されているのがとても哀しい」から本を書いたという。

一昔前だったら私は「はぁ~?なんだってぇ?」と思っていただろう。
でも、今は「抹殺されるのがとても哀しい」と言う意味合いがとてもわかるようになった。

自分の夫が不倫をしていたと知る時とは、それはそれは相当ショックなもので、後ろから工具で思いっきり脳天を殴られたようなもの、それを痛みとするならば、一緒になることのない相手と付き合い続けていくのは、真綿で首を絞められるような痛みがあるように思う。
それを想像すると、ただ一言で抹殺されるのは、「哀しすぎる」。

昔の私は「って言ったってそんなの自分で選んだことじゃん」と思っただろう。
実際にそう思った。

でも、それを言ってしまったら、世の中のあらゆる愚痴の大半は、自分で選んだことではなかろうか・・・今はそんな風に考えてしまう。
道を歩いていたら通り魔に刺されたとか、乗っていた飛行機が墜落して命を失ったとか、そういうのは「たしかにこっちは何も悪く無いのに大変なことになった」と思うけれど、たいていの人間関係も職場も、恋愛も、子育ても、自分で選び積み重ねてきた結果なのではなかろうか。
それでも泣いたり怒ったりしながら、私達は生きている。

「自分で選んだことじゃん」と人に言えるには、自分のことも全部自分で引き受けねばならないように思うが、自分廻りについては、人のせいにして愚痴っているのが大方の人間ではなかろうか。

そうやって考えていくと(自分がそうだからとはあまり思いたくないのだけど)、どの道いずれ別れなければならない哀しい恋であるなら、そっと応援したい気がする。大きな声では言えないけれど、「1人のものにすることはできなくても、ずっと彼とそばに居れますように、長く添っていられますように。」と願ってあげたい。

不倫をされた妻の立場に最近辛らつなのは、それだけ強いからなのだ。
本当に添いたいと思えれば、そのまま結婚を続けていくこともできる。
もうこんな男はイヤだと思えば、別れることもできる。
この先、自分の意思で自分の行く末を全て決めることができるのだ。

例え旦那が出て行ったとしたって待つこともできる。もうダメだろう、帰ってこないだろうと言う状況でも、帰ってきたその時のために思い遣りを持つことだってできる。

私はそれができなかった。
プライドをケチョンケチョンにされた気がした。
本当に愛していたのは旦那ではなくて、旦那から愛されている自分だったのだ。
だからあんなに許せなかったのだと思う。
(でも本当は元旦那も傷ついていたと思う、今になって思えば。)


それでは今は人を愛せているか、と言うとあまり自信が無い。
やっぱり自分は大切に思うし、仏様みたいに愛することはできない。
この問い掛けは、きっと死ぬまで続くだろう。
本当に愛せていますか、と。

でも、そこに疑問を感じるようになった分、変わったと信じている。

愛し愛され続けることは、当たり前ではないこと。
もしも、この先そういうことがあったら(無いとは思うけど)、毎日私はそれだけでうれしいと思うし、相手に感謝して暮らしたい。

きっと生まれ変わったら、今度は幸せに結婚できると思う。
自分の気持を押し付けるわけでもなく、地下水のように淡々と愛情を続けて、愛されていたらいっぱい喜びたい。そんな風にできるような気がして、それだけでも少しうれしくなる。