私の父は、子どもの頃は非常に厳しくて怖い存在でした。拳骨は日常茶飯事で、口答えなど絶対に出来ませんでした。中学生になると殴られることもなくなりましたが、それも後になって気づいたことで、その当時は怖い感が続いていました。
しかし、野球部の試合などはよく来ていて、遠くから写真を撮っていました。こっちは怖い感が残っているので話しかけたりはしないし、父から話してくることもないので(というか、毎日飲んで帰ってくるので会わないし)、趣味のカメラのためだろうと、その時は思っていました。
しかし、自分も子ども持つ身となった今では分かります。父が非常に不器用な人で、私に対する期待や思いをうまく伝えられなかったのだけで、やはり子どもである私に愛情を持っていたのだということです。当時は、母親が通訳代わりになり、「お父さんは~なんだよ」「お父さんは~って言っているよ」と言っていましたが、当時の私は半信半疑で聞いていました。
父は商業高校卒で所謂「学歴」はなく、元々絵描きになりたいなんてしょうもない夢を持っていたので、仕事では苦労し、たたき上げでいろいろ学び、零細企業で雇われの身ではありましたが、社長をするまでになりました。しかし、雇われの身でそれほどおいしいことがあるわけでもないのに、借金の個人保証をしたりと、とても私には真似ができないと子どもながらに思ったものです。
ですから、私が高校に受かり、大学に受かったところで、親を超えたなんて、一度も思ったことはありませんが、高校の合格発表の日、家に連絡しないで昼近くに帰ったら、父が待っていたり、大学に受かって、母から「お父さんが喜んでいた」と聞いたりすると、何となく父の期待に応えられたのかななんて思って、嬉しかったものです。
そして、今は自分が父親という立場です。子どもが圧し潰されるような期待をかけようとしたことも、かけたこともありません。しかし、親だったら、誰でも自分の子どもに期待をします。親だったら当たり前のことです。それは、いい学校に入ってとか、出世してとかいうことではなく、自分がどれだけのことが出来るだろうかと努力し、自分の夢をかなえたり、チャレンジしたりすることです。
そういう点でも、ジリジリすることが多い倅ですが、少しずつでもきっと成長はしているのでしょうし、それを信じたいと思います。今のところ、高校でも野球をやるつもりのようです。高校で野球を続ければ、それだけで親を超えることになります(私も当然のように野球部に入りましたが、自分の限界を感じ、1年の1学期で断念しましたから)。
しかし、そのためにも、まずは高校に入ってもらわないと、です。別に、〇立高校とか、〇〇東高校に行ってくれなんて言いません。別にどこだっていいのです。でも、少なくとも、やれるだけやって自分の限界がどこなのか、挑戦してほしいと思います。
勉強もそうですが、野球も弱小チームの散ドラで投手・3番を務め、貧打の横中でも3番目を打ち、私から見れば、ギリギリまで自分を追い込んだ練習などはしていないと思います。そういう意味では、親を超える超えないなんてどうでもいい話で、あくまで自分の限界に挑戦することが大事なのだと思います。
今日のジョグ
4.3km 23分13秒