ガラシャ夫人の最後とは如何なるものであったのか、真実を極めるのは至難の業だが、残された史料は私達の常識を覆してくれる。「小笠原(少斎)家」の先祖附は、ガラシャ生害の後、「長押ことに焔硝を入置火かけ」少斎も追腹したと記されている。なるほどと思わせるディティールである。火は部屋の四方を走る長押から一気に天井へと打ち上がり、しばらく後には屋根裏へと廻り、ガラシャをはじめとする死者を天国へと誘うために、大きな火柱となって落下したのであろう。その時まで、ガラシャの遺骸は何等損なわれる事なくあったであろう事が、充分理解できるのである。史料の一行の言葉が語る重みを思い知らされる。「熊本史談会」の勉強での「目から鱗」である。
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