津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

確執

2006-12-05 22:20:47 | 歴史
 宝暦期における細川重賢の、堀平太左衛門の大奉行登用については、沢山の抵抗勢力があった。肥後藩に於ける「宝暦の改革」の成功は、藩主重賢が平太左衛門を信じて、全てを任せた事による。
「名君肥後侯の堀平太左衛門 平士より御家老に昇進仰付られける時 御家中一統帰腹致さず 後々は平太左衛門を一統え下され候様にと願出有之候処 御家老扱にて宥され候処両度に及び是非下され候様にと一統願出候処 御家中惣登城にて御逢有之仰出さるには 家中一統平太左衛門を貰い度き段願出候趣逐一聞届けたり 畢竟平太左衛門義(ママ)我心に叶ひ用ひ候故の儀なれば 家中の者我れを如何様とも致すべきと仰せ出されければ 一統誠に恐入りひれ伏候由 誠に有難き事どもなり 夫限り再び平の字も云い出す人無之治まりし由」 これは小倉藩士小島礼重著「鵜の真似」に記された一文である。この様な抵抗勢力(旧重臣)と、重賢・平太左衛門らとの確執が他藩にも洩れていた事が伺える。
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